◇ 25 ◇
――4日目 19:01
テスト期間でもないのに、まだ空が明るい時間に体育館を出るのはなんだか気持ち悪い、と西谷は思った。
以前からではあるのだが、最近は特に、日が完全に落ちきってもまだ体育館にいることが多かった。有望な1年生が入ってきて、顧問のおかげでいろんな機会に恵まれた。コーチもついたし、西谷も東峰も部活に復活出来た。
次こそ勝って、勝ち進んで、全国へ行ってやる!
そんな気持ちが全員にあるからか、朝も早くから夜遅くまで練習漬けの日々が続いていた。そんな中での、早帰り。
「なんかこんな時間に帰るの、妙な気分だよなあ」
穏やかな、のほほんとしたような口調で話すのは東峰だ。見た目こそワイルド系だが、その実、内面は誰よりも繊細で臆病かも知れない彼は、喋り方も穏やかだった。
「やっぱそうっすよね! なんか気持ち悪い!」
「そ、そこまではないけど……」
西谷と同じことを東峰も思っていた。その事実が嬉しくて、普段から大きな声がさらに輪をかけて大きくなる。
2人に挟まれている谷地も、言葉こそ発してはいなかったが、うんうんと何度も首を縦に振っていた。もしかしたら他の部員も全員、同じことを思っているかもしれない。そう考えたら余計に嬉しくなった。
「お、あれ月島と山口だ」
「ホントだ。おーい! 月島! 山口!」
スポーツショップから出てきた2人に声をかける。西谷は大きく両手を振り回しており、それを目に留めた月島がしかめっ面になった。それに若干戸惑いながらも、山口は律儀に会釈をする。
「何買ってたんだー?」
彼らが手に持っている小さな袋を見ながら質問すると、頭上から「テーピングとサポーターです」と平坦な声で答えが返ってきた。
「山口君も?」
「俺はテーピングだけだよ」
彼らが利用したスポーツショップは烏野高校からほど近い場所にある。最寄駅からもそれなりに近いので、帰り道に寄るには最適な場所だ。
ただ最近は、練習が遅くまで続いているので店が空いている時間に来ることが出来なかったりするわけだが。
「谷地さんたちこそ、なんでまだここら辺にいるの? 部活終わったの1時間くらい前だけど」
「えーっと、ですね」
ちらり、と谷地と東峰の視線が西谷に注がれる。それだけで山口たちは察しがついたのか、乾いた笑い声を漏らした。対する西谷は、堂々と胸を張り、
「夏休みの課題をな、教室に忘れてたんだ!」
「え、今日ですか。今日取りに行ったんですか」
「夏休み、あと3週間ないですけど」
「2教科だけだよっ!」
呆れ顔の月島たちに噛みつく。別にわざと忘れたわけではない。本当に頭からきれいさっぱり消えうせていただけだ。夏休み前の、東京遠征をかけたテスト期間の悲劇を忘れたわけではない。今回の課題だって、提出できないなんて事態になったらどうなるかくらい分かっている。
(つっても分かんねえだろうから、力に教えてもらわないといけないか……)
教えてくれるだろうか。彼はああ見えて、結構厳しい男だ。特に田中と西谷に勉強を教えている時は、怒っている時の澤村と同じ系統の迫力がある。何せ彼はああ見えて、2年生取りまとめ係。いうなれば、2年生の首領なのだ。
「あれ? 縁下と木下かな、あれ」
東峰の視線の先。最寄駅までの道の途中に、今まさに西谷が頭で思い描いていた縁下がいた。木下とともに、夏休み中はあまり見かけることのない制服姿で、学校方向へ向かって歩いている。
彼らは今日、何か用事があるからと午前中で部活を切り上げて帰ったはずなのだが。何故ここにいるのか。
「おーい! 部活はもう終わったぜ!」
月島たちにしたのと同じように、両手をぶんぶんと振って縁下たちに声をかける。彼らも西谷たちに気づいていたらしく、小さく手を振り返しながら小走りで近寄った。
「やっぱりもう終わっちゃったか」
「あちゃー。一歩遅かったか」
額に手をあてながら、木下が呻くように言った。何か用事があって一旦帰ったが、自主練習には参加しようとでもしたのか。
「じゃあもう影山も帰っちゃったよな」
「俺らよりちょっと早く帰ったぞ。用があんなら電話でもすりゃいいじゃねえか」
「それがさっき電話したんだけど繋がらなくてさ。移動中だったのかな」
それを聞くやいなや、西谷はポケットから携帯を取り出しアドレス帳を開く。影山の番号を呼び出し、すぐ通話ボタンを押した。
さっき繋がらなかったからって今も繋がらないとは限らない。思い立ったらすぐ行動、だ。
しかし呼び出し音が鳴り続けるだけで一向につながる気配がない。やはり移動中なんだろうかと思っているうちに、留守番電話サービスにつながってしまったため、一回切る。
「繋がらない?」
「おう。ちょっと時間開けてから、もっかいかける!」
「影山に用事って、そんな急ぎなの?」
首をかしげながら尋ねる東峰を仰ぎ見て、2人ははっきりしない返事を返した。
「急ぎ……じゃあないんですけど、なるべく早く聞きたいなーくらいで」
「そういえば今日お前ら、部活休んでどこいってたんだ?」
休む理由などほとんど聞くこともないのだが、縁下と木下が揃って休む、という状況がずっと気になっていた。片方だけなら気にもしなかったけど、揃って制服を着てどこに行ったのか。純粋な興味からの質問だった。
その質問に、縁下がいつもよりも少しだけ力のこもった目で西谷を見返す。
「昨日俺たち、六宮さんの病室に残っただろ? その時、彼がこの事件に巻き込まれた理由を聞いたんだ」
「で、今日はそのことを調べに行ってたってわけだよ」
この後も調べに行くつもりなんだけどな、と木下が続けた。2人の話を聞いて、西谷は大いに感動していた。大切な後輩を危ない目に合わせた事件を少しでも早く解決するために、2人だけで行動していたなんて。
「お前らかっこいいじゃねえか!」
「え? そうかな。でも西谷に褒められると嬉しいな」
そう言われると同時に、西谷は首をかしげる。以前から度々、西谷にかっこいいと褒められると嬉しいと答える人は多かった。しかし当の本人は、何故皆がそう口にするのかを理解していない。
「それがなんで影山に話を聞くことになったんですか?」
「ああ。今日話を聞きに行った人がな、その原因になった事件に、影山が関係してるとかいうもんだから。こういうのは直接聞いておきたいだろ?」
事件に影山が関係している?
その事件のことを西谷は一切知らないので、影山がどう関係しているか、全く思いもつかない。ひとまず、もう一度影山に電話をかけてみようとリダイヤルをかけた。
受話口を耳に当て、呼び出し音を聴く。またつながることなく、留守番電話サービスにつながるのだろうかと思案したときだった。
ぷつっ、と呼び出し音が途切れ、わずかな雑音が耳に届いた。
「影山?」
電話越しに呼びかけるも、返事がない。雑音は相変わらず聞こえているので、電話が途切れたわけではない。ただ単純に、聞こえなかったのかもしれない。そう思った西谷の行動は早かった。
息を大きく吸って、受話口を耳から離し、通話口を正面に捉える。その様子を見ていた東峰をはじめとしたメンバーが咄嗟に、耳を手で押さえた。1人理解していなかった谷地も、周りに合わせて慌てて耳を塞ぐ。
「かあああげやまああああああ!」
試合中と同等の大声で影山の名前を叫ぶ。瞬間、びくりと肩をすくませた人々から一斉に視線を集めた。街の真ん中で、突然轟いた大声に驚かないはずがない。慌てて東峰たちが周囲に頭を下げる。
これで流石に聞こえただろうと、携帯をいつもどおり持ち直し、受話口を耳に当てた。相変わらずの雑音に紛れて聞こえたのは、微かな話し声だった。
「おい、聞こえてんのか影山! 返事しろ!」
『……影山じゃないですけど、はい。聞こえてますよ』
その返事に面食らう。携帯から聴こえてくる声は確かに、よく知る影山の低い声ではなかった。男の声ではあるが、影山よりは高い聞きなれない声。
西谷の顔に警戒の色が浮かんだ。
「誰だお前」
『えーっと……にしやさん、って読めばいいんですか? 烏野のリベロってことは分かるんですけど』
「にしのや、だ。お前は?」
『青葉城西の国見っていいます。昨日ちょっとだけ会った』
その答えに、ああ、と嘆息した。日向の容疑を晴らすかも知れない証拠を持って警察に現れた影山の同輩で、
「後半になってから馬力出す青城の13番か! んで、なんで影山の携帯に出るのがお前なんだ?」
『道に携帯が落ちてて、拾ったらたまたま影山のだったってだけです』
「携帯が道に落ちてた? うっかりしてんなー影山のやつ!」
影山は普段から携帯をあまり見ないらしい。加えて、バレー以外にはほとんど興味も示さないので、携帯を落としても気付かなかったんだろうと結論付ける。
「悪かったな! よければその携帯、影山ん家に届けてやってくれ!」
『あの、その前に気になることあるんですけど……』
言いにくそうに続けた国見の言葉に耳を傾ける。それと同時に、隣にいる東峰が小さく悲鳴を上げた。
気になってそちらに視線を向けると、何故かそこには東峰の肩に手を置き、ニコニコと笑う及川がいた。彼の隣にはいつもどおり岩泉もいて、はあと大きなため息をついている。
「おい国見、その前に。お前のとこの主将とエース来たぞ」
『は? 及川さんと岩泉さん?』
なんで、と受話口から聞こえてきたが、それはこちらのセリフだと西谷は思った。
昨日は、たまたま日向が入院していた病院が青葉城西にもほど近い場所にあったために遭遇した。しかし、今この場所は青葉城西のそばではなく、はたまた彼ら北川第一出身者の地元でもない。烏野高校のそばだ。
何故ここにいる、とこの場にいた烏野バレー部が揃えて顔に出したせいか、及川は小さく笑った。未だ肩に手を置かれている東峰はどうしたらいいものかと、若干青ざめた顔でうなだれている。
「やっほー! 昨日ぶり!」
「ど、どうも……」
「早速なんだけど、飛雄ちゃんってもしかしてもう帰った?」
また影山だ。この男はどこまで影山にちょっかいをかければ気が済むのか。
そう思ったせいか、西谷の眉間にシワが寄る。しかし及川は、そんな西谷にへらりと笑いかけ、
「飛雄ちゃんを弄りに来たわけじゃないよーリベロ君。ちょっと用があって電話したんだけど繋がらなくてね。ちょうどこっちに来る予定があったから直接烏野に行ってみたんだけど、誰もいないんだもん」
探しちゃったよ、と肩をすくめながら続けた。
影山を弄りに来たわけではないなら、一体何の用があるのだろう。実は仲良し、ということもなさそうなのだが。
「繋がらないのは当たり前っすよ。アイツ携帯道に落としたらしいですから」
「ちなみに携帯を拾ったのは、あなたたちの後輩みたいですよ」
苦笑して続けた縁下を見てから、西谷はずっと繋がったまま放置していた電話の向こう側へと声をかけた。
「悪いな国見。んで、何が気になるんだって?」
電話の向こうでは国見の他に誰か、もう1人いるらしい。何事かを話し合っているようだが、西谷にはほとんど聞こえなかった。
しばらく話し合ったあと、気にしすぎかもしれないんですが、と切り出す。
『影山の携帯、メール作成画面のまま落ちてたんです。帰宅、って文字だけ打たれてて』
帰宅メールを送れといったのは澤村だ。日向の事件が解決するまでは、家に無事に帰り着いた旨をメールで澤村と菅原に送るように指示されている。そのため、影山が道中、帰宅メールを打っていたとしても違和感はない。
しかし、うっかり落とされたはずの携帯画面にメール作成画面が開いていた。この点が問題だ。
画面が開いていたということは、携帯を落とす直前まで手にしていたはずだ。うっかり落として、気がつかないはずがない。
「どういうことだ。メール画面開きっぱなしの携帯が落ちてたって」
西谷が口に出したことで、その場にいた面々が視線を注ぐ。国見の声は他の人たちには聞こえていないので、西谷を注視するしかなかった。しかし、話の内容がおかしいことにいち早く気づいた月島が、西谷の肩を叩く。振り返ると、電話に声が乗らないように小声で「スピーカーにしてもらえますか」と言ったので、一つ頷き携帯をスピーカーに切り替えた。携帯を中心に、全員が円陣を組むように集まる。
「国見ちゃん。今こっちスピーカーに切り替えたから。そのまま、分かること全部話して」
及川が携帯に向かってそう呼びかけると、少しの沈黙の後、了承の返事が得られた。
「で、携帯はどこに落ちてたんだ?」
『俺たちの地元です』
『やっぱりおかしいですよね、直前までメールやってたはずなのに落とすなんて』
国見のそばにいるもう1人も会話に参加してきた。おそらく彼も影山を知っているのだろう、声が不安げに揺れていた。
「一緒にいんのは金田一か」
『はいっ!』
金田一とは確か、らっきょうみたいな頭が特徴の12番だったか。彼もまた、影山の同輩だったはずだ。セット間に影山が名前を呼んでいるのを聞いたような気がする。
「……ねえ、まさか」
震える声で呟いた山口を一瞥する。おそらく彼が考えていることは、この場にいる全員が考えていることだろう。
まさか、影山も日向と同じように誘拐されて、暴行されようとしているのではないか。
そこまで考えたが、普通180センチメートルもある男を誘拐しようとするか。日向の話によれば、犯人は複数人いるらしいから、集団で襲いかかればおそらく誘拐自体は出来るだろう。しかし、目的が分からない。
(昨日成田が言ってたように、うちの戦力を削ぐためなのか?)
一瞬考えたが、『戦力を削ぐ目的が分からない』と言った月島の言葉を思い出した。彼の言う通り、例えば戦力を削いで烏野を潰したとして、それで何になるのか。
これが例えば青葉城西や白鳥沢のような強豪校と名高い学校だったなら、その理由で納得も出来る。だが、烏野は再び飛び始めたばかりの古豪だ。そんな学校を狙って何になる。
「あの、縁下さん。さっき言ってた、六宮さんが巻き込まれる原因になった事件って、なんですか?」
月島の質問に一瞬思考が止まった。影山が誘拐されたかもしれない、という状況で、そんな事を聞くことになんの意味が有る。
西谷が月島に詰め寄ろうとするより一歩早く、縁下が話を切り出した