◇ 27 ◇


 ――4日目 22:13

 夜の帳が降りた。
 月明かりが僅かに届くだけの暗闇の中で、もぞり、と影が動く。それに気がついたもう1人が吐息して振り返った。
「……っ、なに……」
 低くかすれた声が響く。声を発した男は、緩慢な動きで頭をあげ、周囲に視線を巡らせた。
 その様子をじっと伺っていた者は、表情のない顔で嗤う。
『おはようございます。良く眠れましたか?』
 奇妙な声だった。機械に通されたような歪な声は、男なのか女なのか、はたまた子供なのか老人なのかも分からない。
 声の方向に首を向け、男はじっと見つめた。直前まで眠っていたせいか、視界がかすんでいるようだ。何度も瞬きをして視界を開こうとしている。
「……誰だ」
 ようやく彼の視界が開けた頃に確認出来たのは、1人の人物。
 空間を支配する暗闇に溶け込むような黒い服に身を包み、しかし顔は恐ろしいまでに白く平坦。表情が何もない白い面をつけているのだ。その面すら覆うほど深くフードを被り、僅かな段差に腰をかけて男を見ている。
 身長は低くはないようだが、その姿かたちから性別を判断することは出来そうにない。
『誰だ、か……便宜上、エスと名乗っていますので、それでいいですかね』
 問いかけられた男はエスと名乗った白面を睨みつけ、すぐ視線を逸らした。しかめっ面で、周囲を改めて見渡す。
 彼らを取り囲むこの空間は、なかなかに広かった。天井も高い。
 建物内はコンクリートがむき出しで、真夏だというのにひんやりとしている。エスが寄りかかっている壁には大きな四角い穴が等間隔で空いている。その向こうには夜空が広がっていた。おそらくこの穴には本来、扉、あるいは窓ガラスが付けられるはずだったのだろう。
 床には釘やネジ、ボルトなどが転がっている。そのすぐそばには、電気延長コードが伸びていた。
 彼が見渡せる範囲で確認出来たのはここまでだった。ぎり、と音がなるほどに歯を食い縛る。
 男は今、両手と両足を縛り上げられ、コンクリートで覆われた巨大な柱に縛り付けられていた。手首と足首は細いロープが何重にも巻かれ、キツく縛られている。加えて、両手のひらはぴたりと重ね合わせられていて、親指には細い金属線が巻きつけられていた。腰と脇の下に回された太いロープはとてもキツく男を縛っていて、身動きはとれそうにない。
 事実、全く自由にならない体を動かそうと男は何度も試みていたが、無意味に終わった。
「お前が、日向を襲ったのか」
『私は彼の誘拐にも暴行にも加わっていませんけど、計画したのは私です』
 真っ黒い手袋をはめた手をひらひらと無意味に動かしながら、エスは男の問いに答えた。機械越しの奇妙な声は、感情も抑揚もほとんど外に漏らさない。対する男は紺青の瞳に怒りの色をのせ、エスを睨みつけた。
「日向の次は俺、ってことか……」
『半分正解、半分不正解ってところですかねえ』
 壁に空いた穴から外を眺めつつ、エスは男にとって首をかしげたくなる答えを返した。訝しげに片眉を上げてエスの動向をじっと見る。エスは、そんな様子が可笑しかったのか、声を出して笑いだした。
『あー……調べていた時から分かっていたことではあるんですけど、影山君。貴方、バレー以外には頭使わない人間ですね』
 頭の出来は悪くないはずなのに勿体無い、と笑いながら続けた。
 エスに影山、と呼ばれた男は自由にならない腕をどうにか動かし、足だけでも解こうと苦闘している。その姿を眺めつつ、エスは時々耳に手を当てたり、壁の穴から外を眺めたりしていた。
「どういう意味だ」
『そのまんまの意味なんですけどねぇ……』
 ずっと外を眺めながら、影山を振り返りもせず呟いた。
『日向君の後、というのは正解です。けど、日向くんが1番目で貴方が2番目、というわけではないんですよ』
「あ? なんの違いがあるんだ」
『目的の違いですよ。何故私が日向君を狙ったのか、そして何故、貴方は今捕まっているのか』
 要領を得ないエスの言葉に影山は首をかしげる。その様子が見えたわけではないだろうに、エスは小さく笑った。
『例えば試合中、エースに打たせようとトスを上げたとして。その時、他のスパイカーだって、飛びますよね? 敵の目を引き付けるために、エースの決定率を上げるために』
 月明かりを背負って振り返ったエスの白面には、ぞっとするほどの笑顔が浮かんでいる。
『そしてそれを専売特許にしている選手が、いるじゃないですか。敵どころか、味方の目すら惹きつけてしまう稀有な存在が。だから、利用したんです。決定率を上げるために』
 影山の目が徐々に見開かれ、信じられないと訴えるようにエスを捉える。慄き、震えた。
『だって、烏野の小さい10番君は、“最強の囮”ですものね?』