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 ――4日目 19:50

 影山と別れた後のことだ。
 成田は、夏休みの課題に1つレポートがあることをすっかり忘れきっていた田中と2人で、図書館へと来ていた。今どうにかさせないと、あと2週間ちょっとしかない夏休みはあっという間に終わってしまう。直前になって縁下に泣きつこうものなら、どうなってしまうことか。
(あれで結構怖いんだよな、縁下って)
 レポートに必要な本を数冊見繕い、外へと出たところで、成田の携帯が音を鳴らした。
「山口だ。珍しいな」
 山口から、というよりも、部員から電話が来ること自体が珍しい。成田たちはほぼ毎日体育館で会うので、わざわざ電話をするという発想そのものがないのだ。連絡事項は部長である澤村が一斉メールで流すことのほうが多い。
「もしもし、山口。どうした?」
『突然すみません! 影山と別れたのってどれくらい前ですか?』
 随分と焦った声が聞こえてきた。隣に立つ田中にも声が漏れ聞こえていたようで、訝しげに成田を見ている。
「1時間くらい前かな。影山がどうかした?」
『1時間……あの、多分、なんですけど、影山が、誘拐されたかもしれなくて……!』
「はああ?」
「ちょ、田中うるさい」
 今にも成田の携帯を奪いそうなほどに詰め寄ってくる田中に辟易し、成田は携帯をハンズフリーに切り替えた。雑音が思った以上に多く、山口の後ろで誰かが騒いでいるのが分かる。おそらくあちらも、ハンズフリーにしているのだろう。
「おい山口! 誘拐されたかもってどういうことだ!」
『えっ田中さんも一緒なんですか? まだ確定したわけじゃないんですけど、影山の携帯が道に落ちてて。メール打ってる途中で落とすなんてことあるはずないのに!』
『鍵は、3年前の事故です。多分、王様は事故現場にいる……』
「事故? まあいいか、現場ってのはどこにあるんだ?」
 問いかけると、月島に変わり縁下が住所を告げる。事故現場とされているのは、総合運動場、と呼ばれる様な公共施設だった。確か広い体育館が2棟と、スポーツジム顔負けの器具をそろえたトレーニングルーム、競泳用プール、そして何より広大なグラウンドがうりだったはず。
「俺たちも探しに行ってみる! 何か分かったら連絡するから」

 何本が電車を乗り継いで、駅から走る。
 ようやく指示された体育館へと着くやいなや、すぐさま施設の周りをぐるりと走った。だが、どこも施錠されていて入れる場所がみつからない。乗り越えられない高さではないが、無理やり侵入したとなれば、諸々の問題になりかねない。
「田中! そっちどうだ?」
「ダメだ! こっちも鍵かかってる!」
 がしゃん、と音を立てて門が揺れる。
 この施設の利用時間は21時までだったはずだ。周囲には人も車も殆どない。
(あれ、でも、そうだとしても、影山が誘拐されたのって……)
 成田たちが影山と別れたのは19時前だ。その後、連れ去られたというのなら、とっくにここに着いていないといけないのではないだろうか。
 急いで成田は山口に電話をかける。
「山口! 今大丈夫か?」
『大丈夫です! 乗り換えで電車降りてます』
「今体育館の前についたんだけどさ、ここ21時までは開いてるんだよ。そう考えると、誘拐した奴を連れて中に入った、っていうのはおかしくないか?」
 告げると、電話の向こうで山口と誰かが話し合いを始めた。
 誘拐の手段として使われるのはおそらく車だ。どのタイミングで誘拐されたかは分からないが、烏野、あるいは影山の地元からだとしても、1時間もあれば着くはず。しかし、他の利用者がいる状況で、誘拐した奴を連れて中へと入るには無理がある。
 未だに車の中にいるか、はたまた全く別の場所に連れ去られている可能性を考えるべきじゃないか。
「どうする成田。ここじゃないかもしれないっていったら、場所の予想なんてつかねえよ!」
「ああ。日向が連れて行かれた場所っていう可能性もあるかもしれないけど、どこにあるかは俺たち知らないし……」
 なんとも不甲斐ない。後輩が危険な目に遭っているかもしれないのに、何も出来ないなんて。
 何故影山が連れ去られたかは知らないが、ほかの部員の誰のことも、日向の二の舞にはさせるものかと思っていたのに。
 ぐっと拳に力を入れて、歯噛みする。
『あの、確証はないんです、けど……』
「なんだ?」
 言っていいものかと逡巡している様子の山口を促す。見つけられるかも知れないなら、わずかな可能性にでもすがりたかった。
『その体育館の周辺に、人が入れそうな建物ってないですか? その施設を見渡せて、誘拐に使えそうな……』
「ここを見渡せそうな、建物……」
 言われるがままに周囲を見渡す。
 周囲、と一口に言っても施設の敷地は結構広範囲だ。そこからさらに絞って考える。
 この広大な敷地を見渡せるという条件でなら、高い場所だろうか。高い場所といったらマンションかビルくらいしか思いつかない。
 しかし、人が住んでいたり、あるいは利用していたりする場所で誘拐行為を堂々とやるには気が引ける。いつ、誰にその現場を見られるとも分からないのだ。もし影山が自発的に、自らの足で付いていっているとしたら話は別だが、それはありえないだろう。そうだとしたら、携帯が道に落ちる理由にならない。
 ならば、影山は無理やり連れ去られたと考えるべきだ。だが、大柄な男を誰の目にも触れないようにどこかへと連れて行くとなれば、意識がある中では難しい。彼は身体能力が高いし、意識がある状態でなら抵抗されることは確実だ。
(確か、日向は睡眠薬を盛られたって言ってたはずだから……それを使ってる可能性もあるか)
 睡眠薬や、あるいは頭を強打するような強硬手段に出て意識を奪ったほうが、誘拐はしやすいはずだ。ただそこで問題になるのは、影山の体格だ。身長が高いだけではなく、筋量が多いから体重もそれなりにある。
 大柄な男の意識を奪ったと仮定した場合、まず1人で運ぶのは無理だ。最低2人は必要で、そうなるとどのような運び方をしたとしても相当目立つ。出来るだけ人が少ない場所を使いたいと思うだろう。
(廃墟、廃ビルとか?)
 サスペンスのセオリーに則るなら、廃墟は格好の場所だろう。だが現実には、そう都合よくあるものではない。あったとしても、浮浪者や破落戸が入らないよう厳重に施錠されているため、中に入るだけでも一苦労だ。
 再び周囲をぐるりと見渡し、自分の記憶を掘り起こす。何か、ヒントになるような情報はなかっただろうか。
「ここが見えればいいのか? 見るだけなら、結構離れてても見えるんじゃ」
「そうか、見えればいい。……ごめん山口。一旦切るな!」
 電話を切り、田中を見る。彼の言うとおりだ。見えればいい。
 建物自体が高くある必要はないのだ。高い場所にあれば、この広大な施設を見ることは出来る。今は夜だから、その場所はここから離れすぎてはいないはずだ。その条件に当てはまる場所に、成田はいくつか心当たりがあった。
「心当たりがあるんだけど、そこに入っちゃったら多分不法侵入扱いになると思う」
「……まじか。やべえな。部活停止とか大会出場停止処分とかなったらどうしような」
「正当な理由、ってのがあれば不問で終わるらしいけど、それどういう理由なんだろう」
「グダグダ考えてても仕方ねえ! 行くぞおらああ!」
  雄叫びを上げると同時に、成田の先導で走り出した。