# 01


夏に向かって気温も上昇していく5月。
日向たちが2年生となったこの年、全国大会でしのぎを削ったも縁あり、2泊3日の合同合宿を行う事となった宮城県の烏野高校と、この合宿の開催地である兵庫県の稲荷崎高校。
日向たちが1年生の時には春高にて烏野が勝ちをもぎ取り、次に行われるインターハイでは、「次も絶対に勝つ」「次は絶対に勝つ」という強い意志を双方が秘めている。
そして力が拮抗する良いライバルの存在により練習試合は本番さながらの試合のような白熱を見せていた。

何度目かの休憩で、暑さでボーッとする頭を水飲み場で顔を洗ってシャキッとさせた日向は、体育館までの帰り道で重そうなバケツを危なげな足取りで運ぶ自身の部のマネージャーを見かけた。

「谷地さん!」
「あ、日向」
「重そうだな、それ。持つよ!」
「えっ!?いいよいいよ!日向たち今休憩中なんでしょ?休まないと...」
「いいって!体育館の方に持って行くんだろ?どうせおれ体育館に戻るところだし!」

そう言って二カッと笑い、谷地の手からバケツを奪い取る。
持ってみるとなかなか重く、これを谷地が運ぶのは大変だろう。偶然通りかかって良かった。

「うぅ~~~...」と唸っていた谷地だが、こうなった日向が頑なであることはここ1年ほどの付き合いで分かっている。
選手に肉体労働を課すのは気が引けるが、ここは大人しく任せることに決めた。

「ごめんね、じゃあお願いしていいかな?体育館の入口の所に置いといてほしいんだ」
「おう!任せろ」

「他にも持っていく物があるから」と元の道を戻って行った谷地と分かれ、一人体育館へと歩き出す。
ちゃぷちゃぷと水が揺れる音を聞きながら、零さないように慎重に日向がバケツを運んでいると、前方からこちらへと向かってくる宮兄弟と卒業した北、そして稲荷崎の教師と思われる男性がニコニコと機嫌良さそうに3人に話しかけながら歩いてくるのが見える。

合宿が始まってからは会話を交わすことも増えたため、春高対戦時ほどの苦手意識はないが、依然として好戦的な宮侑、何を考えているか分からない宮治、そして試合で見たのみで関わったことの無い北。
そんな多勢に対しこちらは日向のみ。
その状況に若干の気まずさを覚えた日向は、ウッ...と思わず目線を左の方に逸らした。
そうして、目線を逸らした先の光景に面食らう。

(えっ?)
(タ、タバコ?!不良っ!!?)

そこには物陰に隠れてタバコを吸う稲荷崎のバレー部員がいたのだ。
烏野には、コーチの烏養を除き、もちろんタバコを吸うような部員などいない。
普段お目にかかることのない、出来ればお目に掛かりたくもない光景に呆気に取られていると、向こうもこちらに気づき、「げっ!」と声を上げた。

同じバレーを追いかけるものとして、その行為は日向には理解し難く、許すまじきものではあったが、彼らは烏野の部員ではない。日向としてはかける言葉など思い浮かばない。見なかった振りをするべきか?!そう思っているのに向こうは腰を上げこちらへと何か言いかける。

(く、口封じ!?)

思わず1歩後ずさった日向だったが、その時、ハッと前方にいる存在を思い出した。
ちょうど死角になっているらしく、まだ前方の4人はあの部員たちに気づいていない。

宮や北はともかく、教師に知られたら。稲荷崎バレー部は...

ぐるぐると様々な思いが日向の頭を駆け巡っている間も、4人はこちらの方へと近づいてきて、バレー部員はこちらに歩み寄ってきている。
(どうする...どうする...)自分の頭では処理しきれないこの状況に日向がパニックになっていると、日向に気づいた侑が日向に向かって手を上げかける。
その時



バシャーーーン!!!



...気づけば日向は、手に持っていたバケツの中身をバレー部員に向かってぶちまけていた。


「...は?」


その一言を発したのは誰だったか。
その場にいた誰もが呆気に取られ、しん...、と静まり返った場で、日向の手からバケツがガコンという音を立てて滑り落ちた。

その音にいち早く正気を取り戻したのは水をかけられた部員たちで、「はあっ?!」「何すんねん!?」などと日向に食ってかかったが、駆けつけてきた教師の「なんや!どうした!?」という声に、初めて日向以外の存在に気づいたのだろう。そしてそれが教師と分かるとビクッ!っと肩を震わせる。
さらに、渦中にいるのが自身のところのバレー部員だと気づいた北と宮もやってくる。その姿を見て、部員たちの顔はいっそう青ざめた。
日向がこの状況をそのまま教師に伝えれば、自分たちは退部はおろか、停学は免れない。下手すれば、退学もーーー。
そう考えギュッと目をつぶり、拳を握ったその時、日向の大きな声が響く。



「ッ!スイマセンッ!!!」

「?!」

「おれ!うっかりつまづいちゃって!バケツの水ぶっかけちゃって!」

スイマセン!!!そう謝罪する日向に、部員たちは唖然として何も言えないでいた。
一方、日向の言葉にどうやら揉め事ではないとほっと胸を撫で下ろした教師は「気をつけないか!まったく!」と日向に言い放ち、さらに言葉を重ねる。

「暖かくなってきたとはいえ風邪を引いたらどうする!」「君は今うちのバレー部と合宿をしている烏野高校のバレー部員だな?」「そちらの無名の高校と違ってうちは全国常連高だぞ!何かあったらどうする?!」

好き勝手に非難されるのを、日向は(がまん...がまん...)と、俯いて拳を握り、黙って聞いていた。
咄嗟とはいえ、自分でやった行動だ。覆すようなことなど、言いたくない。

日向が黙り込む様子にヒートアップしたらしい教師が「まさか...やっかんでわざと...」と漏らし、さすがにこれには反論しようとした日向が顔をガバッと上げたところで、これまで黙ってバレー部員やその周辺を見ていた北が口を開いた。

「...先生。こん子はわざとそんな事するような子やありません」

その言葉に侑も
「そや。敵引きずり下ろそ、ゆうよりは自分が上がることばっか考えとるような奴ですわ」と続け、治もその言葉に頷く。

日向を庇う3人の様子に、教師はバツが悪そうに口ごもった。

「...ともかく。これは事故です。この後のことはこちらで引き受けますんで、先生は戻られてください」

北が圧をかけるように言えば、尚も言葉を重ねようとしていた教師は、グッと身を引いた後、「ちゃんと片付けておきなさい」と言い、日向を一瞥しその場を去っていった。





「好き勝手言いよって、あいつほんまいけ好かんわ。その無名の高校に負けたんは俺らやっちゅうに」

教師が去った後、そう憎々しげに言ったのは侑だ。その表情に、普段からあの教師に良い感情がないのが見て取れた。

「侑。先生に対してそんな風にゆうもんやない」
「やって北さん、あいつ春高の後「まさか君たちが初戦で負けるなんて〜」「期待しとったのに〜」って嫌味ったらしく言ってきたやないですか」
何回殴ったろ思たか。そう吐き捨てる侑に、
「許されるなら殴ったりたかったな、あれは」と治も同意する。

「アホ。そんなんしたら一発で終わりやぞ」

2人の愚痴にため息をついた北が、3人のやり取りに身動きが取れずにいた日向へと歩み寄った。

「日向...やったな。...うちのバレー部員庇ってくれたんやろ?それやのに不快な思いさしてすまんかったな」

そう言って頭を下げる北の言葉に、侑と治も神妙な面持ちで日向を見つめる。
あの時、「次は期待している」「全国制覇」などと一生懸命自分たちに向かって捲し立ててくる教師と違い、軽く聞き流していた3人は事が起こる前に日向に気づいていた。
その日向が、自分たちを見て慌てたような素振りをしたあと、突然何かに向かって意図的に水をぶちまけたのだ。
つまずいてうっかりでは無いことは見間違えようがなかった。

突然のことに驚き、その先を見ると自分たちのところの部員 、それも、普段の部活態度があまり褒められたものではなく、「本気でやれや」とは思っていたものの「やる気がないもんに構っとる暇はない」と放置していた者たちがおり、その部員たちはみな、一様にびしょ濡れになりながら俯いていた。

「なんや?揉め事か?」と、最初は思ったが、部員たちはともかく、日向翔陽という人間は売られたケンカには、ビビりながらも、時にはこちらがゾクッとする様な気迫で答えることはあるものの、手が出たり、物理的に攻撃しようなどとする人間ではないと思えた。
「一体何が」そう思った時、北が部員の周りにある何かをじっと見ているのに気づく。
同じように水浸しになっている地面を見て、それが何かという事に気づけば、侑と治も何があって、何のために日向が水をぶっかけたか、ということを理解出来た。

その間にも隠された事実に気づいていない教員は日向に好き勝手言っていた訳だが、それに対し、全くの非がない、むしろ稲荷崎としては感謝するべき存在である自分への嫌味を、ひたすらに耐えていた日向に感嘆する。

「お人好しがすぎるやろ...」そう呆れもするが、自分たちのピンチを救ってくれた日向には感謝すべきだ。
そして、現在の主将である自分の管理不足により、既に卒業もしている北の頭を下させている、という事実に侑はようやく慌てる。

侑が、「いや、北さんが頭下げるんはちゃいますて!」と言い、
治も「現部員である俺らがちゃんと管理できてなかったんが問題です!」と言い、二人して日向に向き直ると

「迷惑かけてすまん」「うちのアホらのこと庇ってもらって感謝しとる」「それなのにあのアホ教師がくだらんこと言って、嫌な思いさして、すまんかった」
と口々に告げる。

そして、侑は部員の方を向くとドスの効いた声で睨みつけた。

「オマエらぁ...」
「ヒッ!」
「何してくれとんねん...自分らが何やったんか分かっとるんかこのボケが...!!!」
「スッ!スミマセッ...!」

その様子を見ていた日向はヒュッ!と喉を鳴らした。
試合中や合宿中、キレて怒鳴る侑を見ては、(怖えぇ〜!)と目を剥いていたが、今はその比ではなかった。
向こうを向いているため侑の表情は伺えないが、見たいとも思わない。
静かに、低い声で怒りを露わにする侑は、それはそれはもう怖かった。

もう俺のことはいいんで!そっちのことはそっちで何とかしてください!日向は一刻も早くここから立ち去りたい気持ちでいっぱいだったが、侑としてはそうは行かないらしい。
部員の頭をガッと掴み日向に向かって下げさせ

「ほれ早よ「アリガトウゴザイマス」言わんかい...」
「アリガトウゴザイマス!!!」
「ほんで「ゴメンナサイ」や!!」
「ゴメンナサイッ!!!」

恐喝にしか見えないその様子に、日向も釣られて一緒に感謝と謝罪を言いそうになる。
気の毒になるほど怯えている部員に、やったことは許されないと言えど若干の同情が生まれてくるほどだ。

「イッ、イエッ!おれもとっさにやった事なんで!」
「それにやり方としてはゴーインだったっていうか...!」
そう慌てて手を振る日向に、
「ほぉんまお人好しやなぁ、自分。もっと「ホンマやで糞ボケ!」言うたってもエエのに」と治がのほほんと言い、そんな治の空気に触れてか若干怒りを収めた侑が、「ホンマやで翔陽くん!こういう奴らはなぁ、ガツンと言ったらな同じこと繰り返すんや!」
と言うが、日向としては、「もうどうでもいいから一刻も早くここから解放されたい!」の一心だ。
それに相手は他校の部員だ。日向が口を出すことでもないだろう。そう思ってはいる、が...

「あ...でも、」
そう言い、部員たちに目を向ける。

「...おれたち烏野のみんな、それに...稲荷崎のみんなも...みんな真剣にバレーやってるってのは試合とか見てたら、分かる。」
「真剣にちゃんとやってる人達にメーワクかけるのは、ダメだと思います!!」
そう言った日向に、部員たちは何も言えず俯くばかりだ。

「じゃっ!おれはこれで...「まぁ待て」ヒェッ...!」

勢いよく頭を下げ、バケツを引っつかんで逃げようとする日向を引き止めたのは北だ。

「ちゃんとやっとる人らに、か」
「ふふ、エエなぁ。まっすぐや」

うん、エエな。
そう言って微笑みながら頷く北を双子は珍しいものを見るような目で凝視している。

(マジか...)
(北さんが...気に入っとる...やと...?!)

「日向」
「アッ、ハイッ!!もちろん誰にも言いません!!!」
「ちゃう。口止めしたいわけやなくてな...まぁ言わんでくれとったら助かるけど」
「モチロンデス!」
「ふっ、ありがとぉな」

「お礼になるかは分からんけど、今回の合宿でうちで作った米提供さしてもろててな。味わって食べてくれたら嬉しいわ」
今日はその用事と様子見で来てんけどな。
と言う北。

「あっ!」
北の言葉に日向は目を輝かせると身振り手振りでしゃべり始める。

「今日お昼に食べたご飯!あれも北さんのところのお米だったんですか?!チョー美味かったです!美味すぎておれ、二回おかわりしました!ホントはあと一回、最後に卵かけご飯にして食べたかったんですけど月島にバカにされて止められちゃって...」
そう言って一瞬肩を落とすが、続けて
「でもあのご飯が合宿中食べれると思ったら楽しみです!ご飯を楽しみに今日の練習も頑張ります!!!」
とはしゃいでいる。

そんな日向に北は目をパチパチと瞬かせた。

もちろん自身の後輩たちが「おいしいっす!」「ありがとうございます!」と言ってくれるのも嬉しいものだったが、こんなに力いっぱい全身を使って賞賛してくれる日向が北には眩しく見え、思わず頬が緩む。

「そらよかった」
「たらふく食べてくれたら嬉しいわ」

そう言って日向の頭にポン、と手を置く北に双子はこれまた信じられないものを見たという顔をしている。

(今日槍降るんちゃうか?!)
(まぁでも、あそこまでまーっすぐ褒められたら北さんほどの人やってあぁなるわな...)

「ハイっ!じゃあおれ、月島になんか言われても北さんの言葉で言い返してやります!!」
そう言って日向は満面の笑みを浮かべ、じゃあ失礼します!と言って今度こそ体育館の方に走っていった。



(北さんって思ってたのと違って優しそうな人だなぁ...!)

北への認識を改めた日向は足取りも軽く、
「よーし、やるぞぉー!!」と拳を突き上げた。



日向の姿が見えなくなると北は先程の微笑みを引っ込め、表情を引き締める。

「...で、侑」
「...っ!はい」
「今の主将はオマエや。部員の管理も大事な仕事やぞ」
「...分かっとります」

強豪校の稲荷崎は、それだけに部員が多く、
レギュラーになれる者より、なれない者のほうが圧倒的に多い。
層の厚さにレギュラーになる事を諦める者、練習量についていけず辞める者も多い。
そしてこのように半端にぶら下がって部に害をなす者。それら全てを統括するのは無理に等しいだろう。
それでも、自分が鼻にかけないような連中でも、何か問題を起こせば「稲荷崎高校 バレー部」の問題となるのだ。
割と好き勝手やってきた自分だが、主将という立場になって北の苦労が伺い知れた。...特に、自分のような後輩がいたのだ。自分で言っていて複雑だが。
まるで自身がお手本かのように、その姿を見ることで『こちらも"ちゃんと"しなければならない』と思わせる北と、自分は同じような主将象は描けないだろう。

ひとまずは、この元主将に恥じぬべく、目の前の問題を解決するために侑は、逃げ出すことも出来ず未だに震える部員に向き直ると口を開いた。