# 02
侑のよく通る声と、今までテンポ良く進んでいたスパイクの列が止まったことで、周囲が軽くざわめき始めた。突っ込みを入れられた張本人は、相変わらず口をモニョモニョさせている。
(何の表情やねん、それ)
侑は軽く息を吐くと、改めて日向に声をかけた。
「まあ、色々聞きたいことあるけど後でええわ。とりあえず、オープンでええか?」
「はい!」
侑の言葉に、日向の目が輝く。
それにつられ、侑も口の端を上げた。
「よし、なら最高打点で飛んでみ」
ボールを一度上に投げ、落ちてきたところを改めてオーバーで優しく空中に返す。ネットに近過ぎず遠過ぎず、絶妙な位置に綺麗に上がったボール見て、日向が舌舐めずりした。先ほどまでとは違う、ボールに飢えた獣の気配に、侑の肌が粟立つ。
日向が助走をつけ、床を蹴った。
ドンっと大きな音が響き、小さな身体がまるで羽があるように高く飛ぶ。空中でその身をしならせ、侑の上げたボールをドパンっと綺麗に打ち抜いた。周囲から驚きの声が上がる。
「ん〜、最っ高です!」
日向がガッツポーズをしながら満面の笑みで侑を見た。全身で侑のトスを喰らう姿に、腹の底が熱くなるのを感じる。再び声をかけようと侑が口を開いた時、ピー!っと笛の音が響いた。
「はい、いったん今の練習はここまで。次は試合形式でやるぞ。宮さんには試合の後にはまた教えてもらうからな。楽しみにしときや」
◇
「実は大阪に親戚がいて、今日はそこの家の子供たちのバレー教室の付き添いで来たんです」
「ほーん。なら、なんで参加しとるん?」
「なんかオレも体験参加だと間違われてしまい…」
「断らんかったんや」
体育館の隅、子供たちの試合を眺めながら侑は日向の話を聞いていた。
あの後、日向を捕まえ、気になったことを質問責めにしたのだ。日向は怒られると勘違いしたのか、侑のテンポの速い質問に対し、あわあわしながら応えていた。
「うっ、だって宮さんのトス打ちたくって…。参加しちゃっていいのかな、でも打ちたいしなって気持ちがせめぎあって、変な顔になっちゃいました」
「…あぁアレそんな表情やったんや。で、打ちたいっちゅう気持ちが勝ったんや」
「最初は見てるだけのつもりだったんですけどね」
「ほんま?そんなこと言ってめっちゃ動けそうな服装やん、それ」
侑が指摘したように、日向は上下スポーツウェアに身を包んでいた。だからこそ、バレー教室の関係者も日向を参加者だと勘違いしたのだろう。
「うぐぅ!本当は!隅っこでバレボール触らせてもらえたらなって思ってました。…なんかボール触ってないと落ち着かなくて」
「素直か!いや、でも分かるで。目の前にボールがあるんに触れんのは辛いよな」
笑顔を浮かべた侑に、日向はあからさまにホッとした表情になった。ボールに喰らいつく時は恐ろしいくらいの気配を纏うのに、日常では普通の高校一年生の顔をしているらしい。確かに他校の先輩にいきなり詰問されたら緊張もするか、と頭の片隅でチラリと思った。
「なあ、翔陽くん。俺のこと宮さんやのうて、侑さんって呼んでくれへん?」
「…?侑さん?」
「正解」
首を傾け己の名を呼ぶ後輩に、侑は目尻を下げて日向の頭を撫でた。稲荷崎は強豪ゆえ、そのほとんどが170cm代後半以上の身長だ。日向ほどの小柄な選手はいない。撫でやすい高さにあるオレンジ色の髪は、ふわふわして心地良かった。日向は侑が手を触れた瞬間に身を固くしたものの、しばらくするとその緊張をゆっくりと解いた。いきなりのスキンシップに戸惑っているようだが、大人しく侑に身を預けている日向を見ていると、なんだか野生動物を手懐けているようで面白い。
侑に撫でられながら、日向はようやく笑顔を浮かべた。
「オレ、侑さんはもっと怖い人だと思ってました」
「え?なんで?」
「だって、春高の時、開口一番に『俺、下手くそと試合すんの嫌いやねん』って言われたから」
「…ああ、そんなこと言うたかもしれんな。やってあの時、翔陽くん顔面でボール受けとったんやもん。下手くそなんかなって思うやん?」
「うっ!それを言われると、返す言葉もございませんが…」
侑は烏野戦の前、稲荷崎のチーム全員で春高宮城県予選の決勝を見ていた。そのため日向の変人速攻やネットぎりぎりの真下打ちなども知っており、春高の際の下手くそ発言は、実際のところ半分以上が煽りみたいなものだった。しかし、日向はそんな言葉もしっかりと覚えていたらしい。意外と負けず嫌いなんやな、と思ったが、よく考えると負けず嫌いでなければこの低身長でバレーが出来るはずもないか、と侑は目の前の日向に対して認識を改めた。負けず嫌いなヤツは嫌いではない。むしろ好ましい。
「まあ、春高ん時は下手くそ言うたけど、俺は好きやよ、翔陽くんのプレースタイル」
まさか侑に褒められると思わなかったのだろう、日向が目を丸くした。そのあどけない表情に思わずフッフと笑いが溢れる。
「子供らの試合終わるまで、あっちでパス練でもしよか」
「はい!」
体育館の端で、二人でゆっくりとボールを上げる。春高のアップ時は顔面でボールを受けていたが、なかなかどうして、日向はボールの扱いに慣れていた。基礎技術というより、ボールが身体に馴染んでいるのだ。
「なあ、春高の鴎台戦のとき、途中退場やったけど、大丈夫やったん?」
ポーンと上げたボールに乗せて、侑が日向に話を振った。日向もボールを返しながら答える。
「ハイ。単なる風邪でした。もう、同じ過ちは繰り返しません!」
「過ちて、なんや大袈裟やな。でもまあ、体調管理も大事なバレーの一つよな」
侑が風邪をひいたとき、大将から「体調管理できん奴は帰れや」と正論パンチを喰らったことがある。その後、梅干しやのど飴のセットをもらって感動するわけだが、きっと日向も同じように烏野のメンバーにいたく心配されたに違いない。特に烏野のキャプテンは、稲荷崎の大将と同じく、安心安定の仲間思いというイメージがあった。
「なあ、翔陽くん。烏野の次の主将ってもう決まっとるん?」
「へ?主将ですか?」
侑の唐突な質問に、日向は目を瞬かせた。
「おん」
確か、烏野の二年生レギュラーはリベロとウイングスパイカーの二人だったはずだ。リベロはキャプテンにはなれないはずなので、ウイングスパイカーの方だろうか。
「決まってますよ。縁下さんです」
「誰や?ソイツ」
「んー、稲荷崎戦の時は出てなかったですもんね。新三年生のドンなんです」
「ドン?」
「三年生と二年生の手綱を握れるのは縁下しかいない!って言う理由で選ばれたって聞いてます」
「ほーん。…やっぱり前の主将とおんなじ安定路線なんやね」
「稲荷崎の新しい主将は決まったんですか?」
「俺や」
日向が首を傾げた。
「え?侑さんが?」
「なんや、その言い方。似合うてないんは自覚しとるわ」
その低い声と返ってきたボールのそこそこの威力に、侑の機嫌が急降下したのを悟ったのか、日向が慌ててフォローする。
「似合ってないとか、そういう訳じゃないです!ただ、侑さんが眉間に皺寄せながら答えるから、聞き間違いかなって」
「俺、そんなけったいな顔してた?」
「ハイ。なんか難しそうな顔してます。今も」
日向は、乱れたリズムを整えるように、ボールをアンダーでゆっくりと返した。それを受け、侑は、ポツリと呟いた。
「主将って柄やないねん、自分」
日向は何も言わない。ただ、侑の上げたボールを丁寧に返してくるだけだ。
己のチームから離れ、目の前には他校の後輩だけ。そんな非日常感が、侑の言葉を押した。
「挑戦しようとせん奴の気持ちが分からんねん。挑まんと、成功もクソもないし、楽しいことかて味わえへん。ウチのレギュラーは皆やることやって楽しんでる奴らばっかやけど、部員全員がそういうわけやない」
侑は今まで、そういうやる気のない部員を、己の足しにならないからという理由でほぼほぼ無視してきた。というより、眼中に入ってすらいなかった。
ただ、前主将である北は、そういった部員にも一定の指導をきっちり行っていたように思う。部員たちもまた、自身がレギュラーになれずとも毎日誰よりも丁寧に己を磨く大将の姿を見て、それに倣い、ある程度のモチベーションを持って練習をこなしていた。
対して自分はどうだろうか。キャプテンになったからと言って、今まで話したこともない部員に声をかけて、すんなりと鼓舞できるとも思えない。中学の時のように人間関係が悪くなるのがオチではないのか。称賛か罵声。中途半端はいらん。侑は、己にも他人にもそれを求めていた。
「…部をまとめるんが主将やんか。人の気持ちも分からへん奴がなってええもんちゃうよなって思う」
侑から日向にボールが渡った。そのボールを、日向はオーバーでもアンダーでもなく、両手で受け止めた。
昼下がりの体育館の窓、ちょうど日向の後ろから日が差し、侑は目を細めた。
逆光になったその顔の中で、日向の琥珀色の瞳だけが爛々と輝いているように見えた。
「分からなきゃ、いけないですか?」
本当に不思議そうに聞いてくるその目には、何の含みもない。
「人の気持ちが分からないのって、普通じゃないですか?」
ぞくり、と侑の背筋が震えた。
何か言おうと口を開いた時、体育館に笛の音が響いた。
その音に、侑は急に現実に引き戻された気がした。日向に集中していた感覚が霧散する。いつの間にか聞こえなくなっていた、ボールの音や子供たちの声が、きちんと音として認識された。
「ほな、これで練習試合終了!10分休憩のあと、また宮さんに教えてもらうから楽しみにな!」
子供たちからは歓声が上がった。
どうやら先程行った侑のトスからのスパイク練により、子供たちの株が上がったようだ。
侑くん、と稲荷崎OBが呼びかけた。
「この後、ダイレクトデリバリーとかインダイレクトデリバリーとか含めて、色んなセットアップを実演してもらおう思てるんやけど、ええかな?」
「ええですよ。」
「一応、スパイカーは準備しとる。治くんと比べたら物足りんやろけど、我慢してや」
稲荷崎OBの男が目線で示した先には、なかなか良い体格をした若い男がいた。子供たちと親しく喋っている様子をみると、おそらくここのチームのコーチ陣の一人なのだろう。
侑は、目線を戻してOBの男を見た。
「…スパイカーですけど、その人やのうて、俺が指名してもええですか?」
侑の唐突な問いかけに、OBの男が首を傾げた。
「ん?ええけど、誰かおるん?」
侑がニヤリと笑った。
側にいた日向の肩に腕を回し、ぐいっと自身に引き寄せる。
目を白黒させた日向をよそに、侑は人好きのする笑みを浮かべて宣った。
「ここに適任がおりますよって」
日向がキョトンとした顔で驚きの声を上げた。
「え!オレですか?」
「そや。ええやん。子供たちのためやし。…それに、侑さんのセットアップ、打ち放題やで」
耳元で囁けば、日向の目が再び輝いた。分かりやすく、トスに飢えているらしい。ただ、飢えているのは何も日向だけではない。子供たちの相手は楽しいが、侑もそれだけでは満足できなかった。
ブロックをブン回すほどの速さと高さ。個性的な日向の武器を、自分のセットアップで実現させてみたかった。
それに、と侑は心の内で思う。人の気持ちが分からなくて良いという日向の言葉の続きが聞きたかった。
(逃さへんで…)
侑は口の端を舌で舐めた。
日向の肩に肘をかけ、ダメ押しで宣言する。
「ちゅーわけで、スパイカーはこの日向翔陽くんで行きますわ。この間の春高で全国ベスト8やから、実力は折り紙付きです」
「おぉ、そらすごいな。こっちとしても願ったり叶ったりや。日向くん、よろしゅうな」
「ハイ!」