# 01


https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=14050030


高校二年に上がり、夏休みに入ってすぐのこと。
 部活終わりに「そういえば週末って夏祭りじゃない?」と谷地が言った一言が始まりだった。
 偶然にも体育館のメンテナンス日とかぶり、部活はオフ。
 ともなれば、行動に移すのみ。
 あっという間に夏祭りの待ち合わせ時間と場所が決まり、まとめ役として成長していた山口が二年全員にそれを伝えていく。
 最近では、月島や影山にも有無を言わせなくなったようで、嫌そうな顔をする2人の肩を掴み、「行くよね?」と笑顔で迫る姿はどこか、現部長にとてもよく似ている。
 影山は最後まで首を横に振っていたが、様子を窺っていた現部長がとどめを刺した。
「オフの日にちゃんと休まないと、バレーさせないぞ」
 山口より遥かにすごみのある笑顔に、真っ青になったあの顔を当分日向は忘れないだろう。
 その部長の脅しもあり、晴れて二年全員が揃って夏祭りに行く事が決まったのだった。

 その日の帰り道――。
 日向は帰り道の途中ということもあり、谷地と一緒に帰り道を歩いていた。
「楽しみだなー夏祭り!」
「私、浴衣着ていくかも。お母さんに連絡したら家にあるって言ってくれたんだ」
「谷地さんの浴衣かー」
「あ! 安心して! 着崩れしないようにがっちりぎっちりしていくから!」
 祭りに遊びに行くというのに何故そんなに気合いを入れる必要があるのか、谷地の気合いのいれように日向は思わず首を傾げた。
 でも、谷地のその気合いの入れように負けてはいけないような気がして、ハンドルを握る手に少しだけ力が入る。
 祭りの日は全力で楽しむ、と言葉にはしなかったものの、互いに顔に浮かんでいたのか、ニッと笑い合った。
 しばらく、何があるだろうと、祭りという一大イベントの想像をしながら歩いていると、谷地が乗るというバス停まで来てしまっていた。
「また明日!」そう言って角を曲がった谷地を見送り、日向は押していた自転車にまたがった。
 ペダルに乗せた足に力を込め、ペダルを漕ぐ。
 じょじょにスピードをあげていくと、夏の乾いた熱を持つ風が頬を撫でる。
「浴衣かぁ……」
 先ほど言っていた谷地の言葉を思い出す。
 谷地が似合うのはまあ間違いないだろう。ノヤさんたちと当日はは別行動だけど、見たらきっと驚くんだろうな。
「あ!」
 大きな声をあげ、日向は力の限り回していたペダルから足を離した。
 坂を下るスピードを危なくない程度にブレーキをかけながら、確か中学の頃に買ってもらった甚兵衛を思い出した。
 衣替えの度に確か母親が日向に必ず着るか着ないか尋ねてくれていた。
 今年も確か聞かれた覚えがある。ということは家にあるはずだ。
 せっかくのお祭りだし、たまには着ていこう。
 心の中で決まると、宙に投げていた足をペダルに戻し、ぐっと力を込めて再び全力で漕ぎ始めた。

 そして迎えた当日。
 誰がこうなると予想しただろう。
 これはいわゆる迷子というものだろうか――。
 大通りで前後左右360度を人が行きかい、目が回りそうになるのを振り切るように、日向は頭をぶんぶんと横に振った。
 電車を降りたところからすでに人は尋常ではない、というほど多く、身を任せていれば会場やさらに運がよければ待ち合わせ場所にもたどり着けるのではないかと思っていた。
 用意のいい山口から昨日の夜、恐らく全員にまとめて色々とメールが送られてきていて、ご丁寧に待ち合わせ場所までの道のりから目印から何から何まで書かれていた。
 これさえあれば、あの影山でさえちゃんと集合時間に迷わず来られるはずだ。
 だが、そんな無敵のものがあったとしても、人の波に逆らって歩くのは、慣れていても難しい。
 慣れていなければなおのことだろう。
 抜け出せたと思った頃には待ち合わせ場所とは正反対の場所の、祭りの大きな入り口の近くまでやってきてしまっていた。
 どうにか道の端に立ち止まり、携帯を取り出す。
 約束の時間はとうにすぎてしまい、何回か山口や谷地から着信がきていた。
 携帯の電池の残量はどれくらいだろうか……。
 携帯の画面右上の電池マークは真っ赤になっている。赤くなったばかりなら多少は持つだろうけど、そうでなければ電話をかけるだけでも電池が切れてしまう。
 日向はごくりと唾を飲み、僅かばかりの希望を通話ボタンを押した。
 コール音が鳴り始め、安堵とともに焦りも生まれる。
 次のコールで出てくれないと電源が落ちるかもしれない。
 そわそわしながら立ち止まっていたところから地図を思い出しながら道を逆走する。

プツッ――

「あっ、やま……」
 つながったと思った瞬間、体が大きく揺れた。
 地面を見たまま歩いていたせいか、向かいから歩いてきた人とどうやらぶつかってしまったらしい。
 持っていたはずの携帯が手の中から抜けていくのがわかった。
 携帯から空を掴み、ぶつかってよろけた中、顔を上げると少し離れた空中を飛んでいる携帯がある。
 日向の咄嗟の反応で手を前に伸ばし、キャッチしようとする。
 だが、結果は目に見えてわかっていた。
 セットポイントのボールが目の前で落ちる時のような感覚を覚えた。
 スローモーションで落ちていく携帯はカシャンと音を立てて、コンクリートの床に落ちた。
「…………」
 あまりの出来事に声も出せず、唇が震えた。
 呆然と地面に落ちた自分の携帯を見ていると、不意にそれに誰かの手が伸びた。
「あっ……」
 おれのです、と言おうとしたが唇の震えがそれを邪魔する。
 手を伸ばし、せめて気づいてもらえないかと、携帯を持つ手から腕へと辿るように視線を上げる。
 携帯を持つ手は大きく、浴衣から見える腕もごつい。

「う、牛島さん!?」

 視線を上げ、携帯を拾った人物に、唇の震えが瞬時に止まり、その名を叫んだ。
 周囲の人間が日向の叫びに近い声に幾人か振り向き、牛島へと視線を向けた。
 日向が牛島とこうして会うのは年明け早々に白鳥沢で行われた合宿に押し掛けた時以来だった。
 牛島は春に卒業し、確かそのまま東京がホームのプロチームにスカウトされて所属したはずだ。
「なんで?」「どうして?」「それおれのけいたいです」何から言えばいいのか1つ1つの言葉が見事に頭の中で混ざりあい、言葉にならず、口内に溢れる唾液と共に嚥下し消えていく。
「……日向翔陽」
 視線が絡み、牛島の眉間と瞳が僅か数ミリぴくりと動き、以前と変わらずフルネームを呼ばれる。
「お前のものか?」
 傍からみたら、名前を呼び合うだけで何をしているんだろうと思われているだろう。
 しばらく無言で視線を絡ませた後、牛島が拾い上げた携帯を日向の前に差し出した。
「そう、です……ありがとうございます」
 恐る恐る携帯を受け取り、画面を見るが何も映さない。
 電源ボタンを数秒押して起動するか試すが、画面に映ったのは、電池切れを示すマークだけだった。
「うわぁ……」
 思わず声が漏れ、ため息をついていると日向と、日向の携帯に影がかかる。
「壊れたのか?」
「いえ……電池が切れたみたいです。元から充電し忘れてたので……あ! 拾ってくれてありがとうございました!」
「いや……誰かと来ていたのか?」
「バレー部の皆と……あれ、そういえば牛島さんはどうしているんですか?」
「ちょうど実家に帰省したら天童に呼び出された」
 質問を投げればストレートに返してくれるのは変わらないようだった。
 見慣れぬ景色、大勢の人――普段とは当たり前だが違う雰囲気と場所に不安しかなかった日向が変わらないものというものに触れ、少しだけ安堵を覚えた。
 だが、そんな牛島も普段とは違う様相だということに落ち着きを取り戻したことでふと思い出した。
「そういえば、浴衣! 似合ってますね!」
「ああ、これか……。これは」
「あ、そうだ! 牛島さん、携帯……ってすみません! 何かいいかけてました?」
「……いや。携帯なら持っていない」
「え!?」
 携帯なんてこの時代、誰もが持っているもののはずだと思っていた日向は、牛島の発言にまたしても大きな声を出してしまう。
「勘違いするな。自宅に忘れてきた」
「あー……なるほど。あれ……もしかして牛島さん迷子……」
「違う」
 今までの会話で一番力の入ったように聞こえた言葉に吸った息が「ひっ」と音を上げた。
「待ち合わせ場所は覚えている」
「そ、そうなんですね。おれも、皆との待ち合わせ場所なら覚えてるのでそっち行ってみます」
「ああ、わかった」
 怒っているのかと思っていたが、どうやら日向の思い過ごしだったらしい。
 牛島のあっさりした返事に、色々な意味で安心した日向は「それじゃあ」と言って頭を下げ、山口たちとの待ち合わせに向かうことにした。
 待っていてくれるかもしれないし、待っていないかもしれない。とにかく行かないことにはどうしようもないだろう。
 牛島ももちろんそうだと思い、ここに辿り着いた時よりも落ち着きを見せ始めた人の波に立ち向かう。
 と、覚悟を決めた日向の横に何故か牛島が並ぶ。
「あ、れ……? 牛島さん?」
「待ち合わせ場所に行くんだろう?」
「そうですけど……牛島さんも?」
 思わず首を傾げながら、指を指すと斜め上から日向を見下ろす牛島の首が縦に振られた。
「ああ」
「じゃあ、もしかして屋台が並んでる方ですか!?」
「ああ」
 対外の人であれば、飾りを見るためにアーケードに行くことが多い。
 だが、屋台はそこから少し離れた方に密集している。山口が指定したのも、先にご飯で腹を満たしてからということで屋台のある大通り近くだった。
 そして二人がいるのは、立派な七夕飾りが吊るされているアーケードの近く。
 落ち着いてきたとはいえ、人混みはまだ多く、逆走するだけで運動の時とは別の体力が削がれてしまいそうな気がした。
 それなら、と日向はあることを思いついた。
 隣の人物が話に乗るかはわからない。
 それならそれでいいだろう。
 ぐっと握りこぶしを作り、覚悟を決めて顔を上げた。
「あの、牛島さん。逆走するより、人の波に乗ってとりあえずアーケード抜けてぐるっと回っていきませんか?」
「…………」
「そ、その方が楽かなって思ったんですけど……どう、ですか?」
「そうしよう」
 牛島のこういう決断の速さもまた試合中に見せた判断力からくるものなのだろう。
 羨ましいと思わず思っていると、「行かないのか?」と既に踵を返していた牛島から声をかけられ、慌てて同じようにくるりと背を向けていたアーケード街の方へ向き直る。
 信号が赤になり、立ち止まっていた人がそれぞれのペースで、小さな波が浜に向かうにつれ、大きな波へとあわさっていくのと同じように見えた。
 普通に歩いて行く日向だったが、横にいたはずの牛島がいない。
 自分より早く歩いて行ったのか、と先を見てもその姿はなく、振り返ると目の前にいた。
「すまない、浴衣だから少し遅れた」
「あ、そっか……。いえ、こっちこそすんません!」
 早く通り抜けたい気持ちと、牛島と一緒に歩く、という緊張せずにはいられない状況で自然と足も速くなっていたのだろう。
 時折早く行きそうになる度に横の人物を思い出しては飛び出さないようにペースを落として歩いた。
 アーケードに飾られている七夕飾りなんて、ちゃんと見たのはいつぶりだろう。
 中学校の頃も確か屋台でもらったお小遣いでどこまで食べられるのか勝負していた。だからこうしてまじまじと見るのは、小さい頃を除けば初めてなのかもしれない。
「すげぇ……」
 日向が無意識に零した言葉に、隣を歩く牛島の視線も吊るされた七夕飾りに向けられた。
 ひらひらと人が歩くことで起こる風によってゆらゆら飾りが揺れる。よそ見して歩くのはよくないのかもしれないけれど、こうも多く色鮮やかな飾りが並べられていると目を奪われてしまう。
 そうなると周りと同じかあるいはそれよりも歩く速度が遅くなる。
「あ、あれすごくないですか?」
 ふいに日向が少し先の飾りが気に入ったのか、牛島の浴衣の裾を掴んで軽く引く。
 ただ、牛島の視界の高さでは、目の前にある七夕飾りが靡き、日向のいうすごい飾りがどれだかわからない。
 どうしても見せたいらしい、日向は裾を掴んだまま、引っ張りながら歩みを進める。
 それに抵抗するのは簡単だが、牛島はそれをすることもなく、されるがままに引っ張られた。
 歩き進めた先にあったのは、中央に大きく吊り下げられている大きな鶴が繋げられた飾り。
「ほら、すごいっすよ、牛島さん!」
 その場に立ち止まる人も今までの飾りよりも多い。
 人の流れの邪魔にならないところで二人も立ち止まるとそれを見上げた。
「すごぉ……」
「そうだな」
 ただすごいと思って、単に牛島にも見てほしくてつい勢いに任せて浴衣の裾を掴み、引っ張ってしまっていた日向だったが、ちらりと見た牛島の顔は今日見た中でも穏やかそうで、見せるために少し強引だったかもしれないけれど、よかったと小さく胸を撫で下ろす。
 浴衣の裾を掴んだままだったことに気付き、そういえば横に並んで歩いていたからふと全身が見たくなった。携帯を拾ってもらった時はテンパりすぎて浴衣姿の全身をまだ見ていなかったのだ。
 似合っているのはもちろん十二分にわかっている。
 今ならまだ鶴を見ている。
 なんだかただ相手の姿を見るだけなのに悪いことをしているような気分だ――。
 少しの罪悪感に襲われながらも、視線を泳がせながら足元からゆっくり視線をあげていく。
 白地に曲線が描かれたシンプルな浴衣の柄がよく似合う。
 ただ少しだけ、袖の丈が短いように見えるのは素人目によるもので、こういうものなのだろうか。
「どうした?」
 いつの間にか鶴に向いていた視線が日向の方へ向いていた。
 袖を見ていたのが気になったのか、牛島の視線も自然と日向が掴んだままの袖に向く。
「いや……浴衣、かっこいいなあ……と思って」
「……昔、父親のために作ったらしい」
 ふ、と小さな息とともに言った牛島の表情は微かに笑っているように見えた。
 先ほど見た穏やかな表情とはまた違う、言葉にするなら『笑っている』と使うのが正しいはずだ。
 こんな顔をするんだ――、日向は何故かその表情から目が離せなかった。
「そ、そうだったんすね……お、お父さん、背大きいんですね」
「そうだな。元バレー選手だった」
「え!? そうなんですか! あ、だから袖……」
「……ああ。そうだな、袖はさすがに足せなかった」
「でも、いいですね。お父さんの浴衣着るって……なんかかっけぇーす!」
「そうか、ありがとう」
 自分のことのように言われたのが嬉しかったのか、さらに緩んだ表情を見える牛島に日向の心臓が跳ねた。
 なんだろう、これは……褒めたのは自分なのに、お礼を言った顔にどきりとしたのはなんだ。
 嬉しい――。
 ない脳みそで瞬時に出た単語がそれだった。
 あっているのかはわからない。ただ、牛島のそんな表情を見ることができたのは“嬉しい”と思った。

 立ち止まっていた二人は再び歩き出す。
 それまではただ飾りを見て、アーケードを抜けることが目的だったはずなのに、牛島の浴衣の話、父親の話を聞いてからはなんとなく、日向が一方的ではあるものの、祭りの話題で言葉が交わされるようになった。

「一昨年なんか、公園の方で早食い対決とかあったんすよ。知ってます?」
「いや……」
「あ! 牛島さん! お面売ってますよ! 懐かしいなぁ……小さい頃とかよく買ってもらいませんでした?」
「ああ」
「それにいい匂い! アーケードの方って飾りだけかと思ったんですけど、いろんなのが出てるんですね!」
「そうだな」
「牛島さん、なんか思い出とかあります?」
 ふと、気になって尋ねてみた。
 思えばさっきからお祭りのことをしゃべっているのは日向ばかりで、牛島は嫌な顔一つ浮かべずに相変わらずに相槌を打ってくれていた。
「…………」
 思い出すように数秒、顔をあげていたがすぐに正面に戻った牛島が一言、呟いた。
「一度、父親と一緒にきたことがあった」
 今日はよくあの人のことを思い出す。穏やかでいつもどんな時も笑顔だった。
 その時もこの浴衣を着ていて、牛島自身は子供用の浴衣を着ていた。
 表情が乏しいとよく言われることもあったけれど、父親にはまるで隠し事ができないといえるくらい表情がわかっていたようだった。


『こんな大きな飾り、あんまり見ないよな。驚いただろ? ほら、肩車してやろう。こうしたらもっと近くで見えるぞ』

 父親から見える景色にも興味があったが、それより高いところから見える景色は何よりも新鮮で、七夕飾りの美しさも、何もかもが今日ここにきて思い出すことができた。
 あの時食べたのは、確かわたあめだった。
 父親の頭の上で食べていたから、家に帰る頃には髪の毛がべたべたになっていて、母親に怒られていたことも思い出した。

『若利、バレーをやったらもっと高いところからの景色が見られるぞ。そこはネットの高さにも満たない。ジャンプして、ネットを超えた景色を、いつかお前も見てくれるといいんだけどな』

 父親から聞くバレーの話が好きだった。
 今よりもっと高いところでどんな景色が見られるのか、ただ純粋に気になって、そしてここまできたような気すらする。


 牛島がたった一言呟いた後、ここではないどこか、たぶん今言った『父親との思い出』を見ているような気がして喋るのを待とうと思っていた日向だったが、彼のある一部分が黙ってはいなかった。
 ぐぎゅるるぅ――
 甚兵衛の下から響く音は雑踏の中でも確かに牛島の耳にまで届いてしまったようだった。
 咄嗟にお腹に手を当ててみるも、既に遅かったようで牛島の視線はこちらに戻り、そして日向を見ていた。
「何か食べるか?」
「い、いいです……! 皆を待たせてるかもしれないし……」
「そうか」
 お腹が減ったと意識するまでは気にも留めていなかった牛串、じゃがバター、ずんだ餅、ずんだシェイクののぼりがやけに目につくようになってしまった。
「うぅ……」
 息をする度に鼻から吸った美味しそうな匂いが口内をかすめ、じわじわと唾液が溢れてくる。
 味のする空気と共に飲み込めば少しは腹も満たせるのかも――自分でもしょうもないことだとはわかっていてもやらないよりはましだろう。
 ごくり、と喉が動き、唾を飲む。もちろん、何度やってみたとしても腹は満たせない。
「日向翔陽」
 不意に名前を呼ばれ、顔を上げると目の前が白い靄のようなもので覆われた。
「ぅわっ……ふが!」
 叫びをあげた口を塞ぐようにその靄が侵入してくる。
 窒息するんじゃ、と思い、本能がそれ以上の侵入を阻止しようと口を閉じ、舌が引っ込む。
「……ん、まい?」
 口の中いっぱいにあふれていたものが気が付けば溶けるようになくなり、甘いという味だけが残っていた。
「そこに売っていた」
 その声に顔を上げると牛島が片手で“ずんだわたあめ”と書かれたのぼりを指し、もう片方には日向の眼前、否、口元に差し出されたわたあめを持っていた。
「少しぐらいならいいだろう」
「ぁ……な、なら金……!」
「俺も食べるからいい」
 そう言って、わたあめをちぎり口に運んでいた。
「牛島さんって……甘いもの食べるんですね」
「甘いものくらい食べる」
 そう言ってまたアーケードの出口に向かい歩き始める牛島に、数歩遅れ日向も歩き始める。
 二人の歩くスピードは食べ歩きしていることもあって回りよりさらに遅くなる。
 それなりにお腹が減っていたのだろう。日向も牛島もわたあめを会話の合間合間に食べていく。
 大きな雲の塊だったそれは、どんどん小さくなっていく。
「あ、もうない……」
 手を伸ばそうとした日向はわたあめを作るベースになる割りばしが見えたところで残念そうにつぶやいた。
「まだ何か食べるか?」
「うーん……あ、でも、もう出口だ……」
 ところどころに見えるのぼりを指差してくれたが、もうアーケードの端に辿り着いていた。
 七夕飾りを見終えた人の多くもう一度というように踵を返し、再びアーケード街を歩いていく。
 無事通り抜けた二人は自然とアーケード街を振り返った。
 賑やかな人の声と綺麗な七夕飾りが靡く景色がただ広がっていた。
「綺麗でしたね」
「ああ」
「こうして見るのもよかったすね」
「ああ」
 ただアーケード街を歩いてちょっと買い食いをして――
 牛島若利という人物とこんなことをする日がくるとは思わなかった。
「皆より一足先に楽しんだ気分っすね!」
「ああ……」
「牛島さんも楽しかったすか?」
「ああ」
 楽しかったと言ってくれただけでも迷子になったのはよかったのかもしれない。
 へにゃりと顔の筋肉が緩む。
「おれも! あとは待ち合わせ場所の方に向かうだけっすね!」
「ああ」
「へへ、おれまだ牛島さんに聞きたいこといっぱいあるんで! 歩きながら聞いてもいいっすか!?」
「構わない」
 人の声とはまた違う車の走る音や風を切る音が邪魔をするけれど、目的地に着くまで二人はすっかり慣れたかのように同じスピードで並んで歩いていくのだった。