晴れ渡った空の下、気が置けない間柄である幼馴染みの岩泉と一緒に(というか連れ回され)、スポーツショップ巡りをしていた及川の機嫌は、現在すこぶる悪い。
それは隣にいる岩泉も同様で、たまたま出くわした目の前の人物を鋭い目で睨んでいる。
先ほどまでは欲しかった月バリやら腕サポーターやらを手に入れ上機嫌だったのだが、その人物を視界に入れた途端、それはもう及川の十八番であるジャンプサーブ並みの速さで機嫌ゲージは最低値へと急降下していった。せっかくの休日が台無しだ、と心の中で吐き捨てる。
「……なんでここにいるのかな、ウシワカちゃん」
「その呼び方をやめろ、及川」
嫌味たっぷりに言えば淡々と返される。眉ひとつ動かない鉄面皮に、意識せずとも眉間に皺が寄った。
牛島若利。
かつて怪童と恐れられ、高校生となった今でも王者・白鳥沢学園の主将として君臨する、全国でも三本指に入るスパイカーである。
あ、考えててムカついてきた。天才うざい。
「君は一体何をしているのかな」
「ロードワークだが。少し足を伸ばしただけだ」
「白鳥沢学園の学区内でやってくれる? 広いでしょ、学区」
「そういう問題ではない。勾配や距離も考えている」
「だとしても青城の近くまで来ないでよ。会いたくない」
「それはこちらも同じだ」
うーわー腹立つ。
及川はにこやかに微笑みながらこめかみに青筋を浮かべた。
じっと黙っている岩泉も、買い物袋に振動が伝わるくらい、握った拳を震わせている。
「……まあ、君がどこまで来て走ろうと関係ないか。どうせ今年は俺らが勝つしね」
宣戦布告をすれば、牛島はくっと顎を上げて及川を見下ろした。ほんっとムカつくんだけどその顎を上げる癖。もともと見下ろしてんだからさらに見下ろす必要ないだろ。
「言ってくれる。しかし今年も勝つのは俺達だ」
「残念だったね、今年の青城は強いよ」
「一年も俺らが北一にいた時の後輩が揃った。最高の状態でお前を倒す」
岩泉も力強く宣言する。周囲の空気がびりびりと張りつめ、緊張が高まっていく。
「一年ならうちにも面白い奴がいる。あいつを止められる人間は東北にいない」
だから負ける訳がない、と調子も変えずに告げる牛島に、及川と岩泉は少なからず驚いていた。
エースである事の絶対的プライドと自信を持ち、ひとりでも他者を圧倒する実力を誇る牛島をもってして、入りたての一年であるはずなのに「面白い奴」と評価され、止められる人間は東北にいないとまで言わしめる人間がいるとは。
そして、その一年にそこまで牛島が入れ込むとは。
及川は自分の口元が緩むのが分かった。
彼の言う「面白い奴」を、この手で折れるまで叩きのめしたら、この天才はどんな顔をするだろうか。
鉄面皮が剥がれ、悔しそうに歪むだろうか。
見てみたい。
それはぜひ、見てみたい。
「……ねえ、ウシワカちゃん。その一年生ってどんな子?」
「言う必要はあるのか?」
「だって知りたいじゃん。君がそこまで注目するって事はすごい選手なんでしょ? 知りたいなぁ」
「おい、及川……」
岩泉がたしなめるような視線を向けてくるが、及川はあえてそれを無視した。
有望なルーキーを迎え入れた際、その存在はひた隠しにされる場合がある。これは及川の持論だが、勝負事において何よりも敵に揺さぶりをかけられるのは「意表」だ。たとえば及川なら、連続ジャンプサーブからの、軟打。重いサーブがくると身構えた矢先に軟打がくれば相手は当然動揺する。だからこそサーブで乱すのがやめられない及川なのである。ともかく、有望なルーキーはそれだけで「意表」となる。実力も、ルーキーを使った戦略もまったくの未知であるから、相手の困惑を誘える。大会本番まで練習試合にすら出さない事もあるのだ。
牛島が評価し、今大会最大の「意表」となりうるそのルーキーを知りたかった。
もっとも牛島の事だから、言う意味もないと一蹴される事を想定した上で、だ。
一蹴されてからもなお食いつくべく、その後の言動を考え始めた及川の前で、牛島はわずかに目を細めた。
「ただの馬鹿だ」
「……は?」
及川と岩泉の言葉が重なる。
牛島は続けた。
「ただのバレー馬鹿だ。それ以外の何でもない」
「……意味が分からないな」
薄々と、分かってはいるのだが。
バレー馬鹿とは単にバレーが大好きで、寝ても覚めてもバレーの事しか考えない人間を差すが、牛島が言うとそれだけではないと思えてくる。
バレーにひたむき。一生懸命。それだけならいくらでもいる。そんないくらでもいるバレー馬鹿を、わざわざあの牛島が「バレー馬鹿」と紹介するはずがない。
やはり、牛島はその一年を特別視している。
さらに詮索しようと口を開いた瞬間、ガシャン、という派手な音が耳を打った。
及川達のすぐ隣にある、公園のフェンスが揺れた音のようだった。
牛島が及川から目を逸らし、その向こうを見ると片手で顔を覆った。
はぁ、と呆れたような息を吐くその姿に、及川と岩泉は隠しもせず驚いてしまう。
「あーっ! みーつけた――――っ!!」
背後から、子どものように明るい声が飛んできた。
続いて、ガシャンガシャンガシャン! と連続でフェンスが揺れる音。かなり乱暴に揺さぶられているのだろうか。
いや、それにしては、音が近付いてきている気がする。
恐らく揺さぶっているのは手ではない。
振り返る及川の眼前を、牛島と同じ白鳥沢バレーボール部のジャージに包まれた足が通り抜けた。
それはフェンスの上を疾走していた。
ガシャッ! とひときわ大きくフェンスを揺らして、「それ」が立ち止まる。
「牛島さんみっけー! やっと追いついた!」
「お前は、だからフェンスを走るなとあれほど……」
「こっちのほうが気持ちいいですよ! 高いし!」
及川の首ほどもあるフェンスの上で、白鳥沢のジャージに身を包んだ少年は屈託なく微笑んだ。背丈は低いし、大粒の瞳が特徴的な顔立ちは幼げだ。中学生のようにも見える。
どんな理由だ、と呟いた牛島は少年を指で差し、及川に向き直った。
「これがお前の知りたがっていた一年だ」
「え? ……え?」
「あっ、白鳥沢学園高校一年の日向翔陽です! バレー部です! ポジションはミドルブロッカー!」
「え!?」
「マジかよ……」
この身長でそのポジションなのか、と及川と岩泉が露骨な反応をすると、日向は困ったように笑った。言われ慣れているらしい。まあ当然だろうか。
ひょい、とフェンスにしゃがみこみ、日向は及川に目を合わせてきた。
「あなたは青城の及川さんですよね? なんでここにいるんですか?」
「いや、俺は買い物帰りで……。俺の事知ってるの?」
「もちろん!」
日向は胸の前で両手を握った。直視が辛くなるくらいに目をきらきらと輝かせて。
及川は思わず息を呑んだ。何この子。ポーズあざとい。かわいいな。ウシワカちゃんとは大違い。
「中総体でベストセッター賞取ってたでしょ? あ、ですよね? それに試合の映像とか見ててすげーかっけー! って思ってたし! サーブも相手を混乱させるセットも! ずっとこのひとのトス打ってみてーって思ってました!」
「そ、そう」
普段から女子に黄色い声で騒がれている及川でも、ここまで純粋な目で見つめられ、惜しみない賞賛を送られればさすがに戸惑ってしまう。何より実力を褒められた上で「トスを打ってみたい」と言われるのはセッターとして喜ばしい事だ。
「ありがとう、チビちゃん」
「んなっ、チビって……!」
怒りなのか羞恥なのか、日向は顔を真っ赤に染めて身を乗り出した。
「たっ、たしかにおれは小さいけど! その呼び方は嫌です!」
「えー? いいじゃんチビちゃん。かわいいよー?」
「かわいくないです! それにおれは飛べる!」
がばっと勢いをつけて日向が立ち上がる。先ほどの身を乗り出す動作といいこの上下運動といい、かなり激しく動いてフェンスの揺れも相当であるはずなのに、日向自身がバランスを失っている気配はない。すさまじい平衡感覚だ。
「試合でその頭の上、ぶち抜いてやりますよ!」
「……へえ。言うじゃねーか」
触発された岩泉がそう言って笑うと、日向の肩が一瞬怯んだように跳ねる。しかしすぐにまたしゃがんで身を乗り出した。
「青城のエースさんだ! 四番の!」
「お? おう。岩泉だ」
「わ〜! おれ、一回青城のエース生で見たいって思ってました! ほんっとあのスパイクかっこよくて! 及川さんとの連携もすごいですよね!」
「そりゃあね〜、岩ちゃんと俺は超絶信頼関係で結ばれてるからね!」
「あってたまるかそんなもの」
「岩ちゃんひどい! 俺らの阿吽の呼吸は侮れないよ!」
「いいなぁ〜! かっこいいな〜!」
目の中に星が輝く様子が幻視できるほどに目を輝かせて日向が言う。相棒ってやつですね! 憧れる! と笑う姿は、牛島との邂逅でささくれだったふたりの心を和ませた。
同時に及川は思う。
ウシワカちゃんのくせに、こんなかわいい子を後輩に持ってるんだ。
「どこで拾ったの」
及川が問うと、牛島は拾ったなどと言うな、人間だと律儀に言い返しながら答える。
「俺が高二、こいつが中三の時、インハイ会場で見つけた。足のバネがすさまじかったのでな。技術も経験もなかったから俺が育てる事にした」
「あれはきつかった……」
遠い目をして日向が力なく笑う。あれは俺もきつかった、と牛島は言った。どうやらバレーの技術や経験もそうだが、「育てる」ために白鳥沢へ入れるべく勉学の面倒も見たらしく、散々な有様だった成績を死ぬ気で伸ばしたらしい。
「そもそも合格は奇跡に近いな。あとは俺が推した」
「たぶん牛島さんの推しがなきゃおれはここにいない……。でもいまはすげー楽しいし! ここに来てよかったと思ってます!」
高い空を背にして、日向は白い歯を見せるように笑った。目を細めてしまうほど眩しい笑顔だった。
牛島が再び息を吐いた。笑っている訳ではないが、仕方ない奴だな、と呆れるような、それでいて優しいその横顔に思わず目を見開く。しかし直後に優しい表情は消え、「行くぞ」と短く口にした。
「えっ、もう行くんですか?」
「俺もお前もロードワークの最中だろう。お前は俺を追いかけていただけだが」
「一緒に行こうって言ったのにさっさと行っちゃうからでしょう! 高いところ登ってやっと見つけたんですから!」
「高いところ?」
及川が尋ねると、日向は頷いて手近な電柱を指差した。
「電柱に登ってそれっぽいひとを探してました」
「電柱……え?」
「そんで、それっぽいひとたちがいたんで塀に降りて、そこを伝って、フェンスに乗り換えたところで見つけました」
あれあれ、と指を向ける先には、民家の塀と、日向が走ってきたフェンスがあった。
いや、最初から地面を走ろうよ。
「日向、電柱と民家の塀は他人様に迷惑だからやめろと言っただろう」
「あっ、すみません。でも地面を走るより楽しいですよ。電柱も高くて景色いいし。木のてっぺんとかもおすすめです!」
「どんなお勧めだ。行くぞ」
及川と岩泉に軽く視線を投げ、牛島はその横を通り抜けて走り去っていった。「あっ、ちょっと、待って牛島さん!」と日向は慌ててその後ろを追いかけ、思い出したように振り返る。
「じゃあ及川さん、岩泉さん、また会いましょう! インターハイの決勝で待ってますね!」
日向はひらりと手を振って、来た時と同じようにフェンスの上を走っていった。塀に乗り換え、角を曲がる直前にまた振り返り、大きく手を振ってくる。その姿に軽く振り返すと、嬉しそうに笑って「さよーならー!」と叫んだ。……だから、他人様に迷惑ではないのか。
白鳥沢のふたりが完全に見えなくなったところで、及川がぽつりと呟いた。
「チビちゃん、待ってますねって言ったね」
「ああ。しかも決勝でってな」
「ウシワカちゃんに影響されたのかな」
「元が純粋そうだし、間違いなくそうだな」
「……まったく憎らしいな。あんなかわいい子を無意識レベルまで自分好みにしちゃってさ」
及川はうっそりと笑う。
純白の、まだ翼もいたいけな雛鳥の、一瞬だけ光ったあの目を思い出す。
恐らく彼は化けるだろう。あの目は白鳥が泳ぐ優雅な姿とは程遠い、むしろ肉食獣のような獰猛さを秘めていた。
試合であったなら自分はあの目に呑まれていたかもしれない。
「また会いたいね」
「ああ。全力で叩きのめす」
岩ちゃん物騒だよ、と及川が笑う、その目は笑っていない。
叩くなら折れるまで。
因縁のウシワカと一緒に、折れて砕けるまで叩いてあげるよ、チビちゃん。