# 02


「日向こっち!」


第三体育館の扉前に立っていた国見は、少し先に朝日でまぶしく輝くオレンジの頭を見つけ片手を挙げる。
丸一日デッサンにあてたいという日向の申し出により、日曜の練習を朝から見学することに決まったのだ。
そして、一人では体育館に入りづらいとこぼした日向を気遣い、こうして国見は彼の到着を待っていた。
国見の存在に気付いた日向は、スピードを上げてこちらへ向かってくる。


「いいよ、そんなに慌てなくて。まだ練習始まる前だし」
「ほんと?遅くなったら皆に迷惑かけるかと思って、少し早目に来たんだよ。でも良かった〜、国見いて!クラスメイトがいると心強いな」


身長差のある国見を見上げたかと思うと、日向は嬉しそうに破顔した。
その笑顔とジャージ越しに触れてくる体温の高い小さな手に少しドキリとしつつ、何事も無いように無表情を決めた国見は日向の背を軽く押し体育館へと促す。
心を開いた相手にはスキンシップ過多な日向は、無意識にこうして甘えてくるからタチが悪い。
その仕草がどれ程相手の心をくすぐるかなんて、思いもつかないのだろう。
ただそれを諌めてしまえば、こうした自分との触れ合いが無くなってしまうことも意味するわけで、国見は強く注意出来ずにいた。


「岩泉さんも遠慮なんかしないでいいって言ってたから。気にせず見学していけよ」
「岩泉さん?それって副主将の人じゃなかったっけ。主将はいいのかよ」
「…そこら辺の細かいことは気にするな。気にしたら負けだ。まぁ、会えばすぐ分かることだけど」
「ふ〜ん?」


納得がいかないのか小首をかしげている日向だったが、ほら行くぞと頭を撫でてやると笑みを浮かべ国見の横に並ぶ。
頭一つ小さな日向を見下ろし、この単純ともいうべき素直なところに癒されるんだよな、とぼんやり思う。
金田一相手ではこうはなるまい。
しかし、これをあの及川に会わせた時の反応を思い浮かべるだけで頭痛がする。
何が何でも日向を守り抜かないといけない、と一人決意新たにした。


「いいか。何か困ったことがあれば、俺か岩泉さんを頼れよ?最悪、監督のところに逃げ込め」





*





ズラリと並んだバレー部員を目の前にしてごくりと喉を鳴らすと、日向は意を決して自己紹介する。


「1年6組、美術部の日向翔陽です。ポスターのデッサンのために一日練習を見学させてもらいます。今日はよろしくお願いしましゅ!」


(あ、嚙んだ…)


頭を思いっきり下げお辞儀した瞬間嚙んだ日向に、周囲がざわつく。
ここに日向より身長の低い部員はおらず、それが一斉に取り囲んでいるものだから一見するとイジめているようにも見えかねない。
日向の緊張具合を心配した岩泉は、隣に立つ後輩にたまらず話しかけた。


「おい、日向は大丈夫なのか。だいぶ緊張してるみたいだぞ」
「あぁ、大丈夫ですいつもの事なんで。日向は初対面の強そうだったり大きな相手にはビビる傾向があるだけです」
「だけ、ってお前。それなら、ウチは一番苦手とする面子が揃ってるとこだろうが」
「でも、日向のコミュ力半端ないので。カップ麺より早く周りがグズグズに出来上がります。腹立ちますけど」


そうなのだ。
背の低いことに並々ならぬコンプレックスを抱く日向は、身長の高い人間を極端に怖がるのだが。
それもわずか数分。
気付けば相手の懐にスルッともぐり込み、自身もその中心でほがらかな笑顔を振りまいている。
実際、国見と教室で初めて出くわした時は恐る恐るといった体で見上げてきたのに。
日向が落としてしまったプリントを偶然国見が拾ってやったことにより生まれた会話で、あっという間にその距離を縮めてきた。
普段他人にあまり興味を持たない自分が、いつになく日向に執着してることを思うともう『人たらし』と言っても過言ではない気がしている。
今だって、部員に『そんなに緊張しなくていいんだぞ』『思う存分描いてけよ』とフォローされ、さっきの慌てっぷりはどこにいったという感じだ。
緊張が解けた日向が『あざっす!』と顔をほころばせれば、皆が一様に懐柔されている様が見て取れた。
こっそり応援していたアイドルが、いきなり全国区になってしまった寂寥感もこんなものだろうかと国見は嘆息する。


「本当だな。いつの間にかアイツらに囲まれても笑ってるわ」
「…3分もかかりませんでしたね。順応性がバカみたいに高いんですよ、日向」
「馬鹿で思い出したが及川はどこいったんだ?」
「そういえば姿が見えませんね」


あれだけ『国見が特別に位置づける日向』という存在に興味津々だったというのに、及川の姿が見えない。
常日頃の飄々とした態度に誤解されがちだが、ことバレーに関しては真面目な人間だから練習をサボったりするはずはない。
何かあったのだろうかと岩泉と国見が顔を見合わせた瞬間、バーンと体育館の扉が開かれ騒がしい声がコートに響き渡った。


「及川さん参上ー!」


振り返れば噂をしていた及川本人の登場で、そのやかましさに岩泉が額に青筋を立てたのが分かる。
とばっちりを受けないようにと判断した国見は、そろそろと皆の集まる場所へ避難した。


「こんのクソ川!お前は静かに入ってくることも出来ないのか!」
「ええー、今の岩ちゃんの方がよっぽど煩いと思うけど?」
「ウッセェ、揚げ足取ってんじゃねぇぞ!それに遅刻しやがって!」
「あれ、知らないの?主役は遅れて登場っていうでしょ」


悪びれなく言い返す及川にしびれを切らした岩泉が無言でボールをぶつけ始める。
教育上よくないと、国見はそっと背後から日向の目を覆った。
『え、何?何が起こってんの?』と慌てる日向を、国見の意図を悟った他の部員たちが宥めにかかる。
彼らのやり取りをこの天真爛漫な子に見せてはならないと、変な団結力が生まれた瞬間だった。


「ちょ、ヤメテってば岩ちゃん!この近距離を容赦なく投げられたら本当に痛いんだからね!?」
「痛いように投げてんだから当然だろうが!」
「待ってよ、岩ちゃん。聞いてってば!今日は騒がしくない方がいいだろうと思って、女の子たちに帰ってもらうよう話してたんだよ」
「あぁ?」


聞けば今日も今日とてほぼ及川目当ての女子生徒が、練習を見学をしようと体育館へと続く道に集まっていたらしい。
しかし、日向がデッサンをするなら落ち着いた環境がいいだろうと、その女子たちを説得して帰らせたと言うのだ。
それを聞いた日向が、国見の手をどけると及川を見つめ深々と頭を下げた。


「気を使ってもらって、すみません!今日一日お世話になる日向翔陽です」


律儀に自己紹介し直す日向に軽く目を瞠ると、岩泉が投げたボールを広いながら及川が近づいてくる。
そうして目の前に立つと、ふわりと髪をすくうように頭を一撫でして日向の顔を上げさせた。


「俺はバレー部主将の及川徹だよ。よろしくねチビちゃん」
「…チビちゃん?」


(あ、地雷踏んだ…)


日向のコンプレックスを煽るような及川の台詞に、一同がピシリと固まった。
案の定不機嫌をあらわにした日向は、上級生に臆することなく食ってかかる。


「おれは『チビちゃん』なんて名前じゃありません!今の自己紹介聞いてなかったんですか!?」
「勿論聞いてたよ、日向翔陽君?でも、実際君小さいしチビちゃんでいいじゃない」
「だから、チビちゃんって呼ぶなああああ!」


大型犬にキャンキャン吠える子犬のようで可愛くもあるが、やはり心配で皆がオロオロしているというのに、怒り心頭の日向は気付かない。
それを面白そうに見つめる及川も、周囲の雰囲気なんかものともせず日向をからかうことに暇ない。
抱えたボールを一つ日向に渡したかと思うと、『ほらチビちゃん、悔しかったら片手で持ってごらんよ』と無理難題をふっかける始末だ。
体の大きさに見合った小さな手ではそれがかなうはずもなく、眦を吊り上げて悔しそうにする日向がいっそ哀れだ。


「あんなに観察眼に優れてるのに、何でこうも人が触れてほしくないところばっか突くんだか…」
「いや、あれはワザとやってんだろ。あぁ言えば日向が怒ってリアクションしてくるって、分かった上でのことだろうな。やっかいなヤツに好かれて可哀想に」


『好きな子をいじめる小学生と変わんねぇだろ』とぼやく岩泉の視線を国見がたどれば、今度は高い高いをするように日向の両脇に腕を差し込み持ち上げている及川の姿。
どうせ新しいおもちゃを発見したぐらいの感覚だろうと思っていたのだが、よく見れば及川の瞳にはどこか甘く優しい色が浮かんでいて、岩泉の言葉に間違いがないと知れる。
言葉は悪いが誘蛾灯のようにホイホイと人を惹きつける日向には、もう呆れを通り越して感心するしかない。


「このままだと練習始めらんねぇから、俺が及川回収する。国見は日向頼む」
「分かりました」


監督とコーチが到着するまでに何とか練習を開始できる状態にしなければ。
岩泉と国見は痛む頭を抱え、輪の中心にいる2人を捕獲するべく歩き出した。