# 01
「お前のトス、すっげぇキレイだな!」
心を暖かな光で照らされた気がした。
*
試合終了
セットカウント 2(青葉城西)−1(烏野)
烏野高校:IH宮城県予選 3回戦敗退
勝負はいつだって残酷だ。
どんなに頑張ろうと、勝負には勝者と敗者が生まれる。
そして、烏野は敗れた。
最後に上げたトスが完全に読まれ、気付けばブロックされたボールが自陣に強烈な音をたて落ちていた。
その音が耳にこびりついて、どんなに水をかぶっても離れてくれない。
影山は武田に促されるまでミーティングに参加することすら忘れ、混乱する頭を持て余していた。
しかし、いつまでも敗戦に心を縛られているわけにはいかない。
悔しさに支配され、前進することを忘れてはいけない。
何とか頭を切り替え、横断幕を回収するため観客席へと移動していた時のことだ。
「あ、烏野の9番だ。お前のトス、スゴかったな」
ご丁寧に学校名と背番号で名指しされれば、無視を決め込むわけにもいかない。
影山は不機嫌を隠そうともせず、眉間に皺を寄せたまま振り返った。
「その制服、青城か…?」
体育館の照明を受けオレンジに輝く頭に一瞬目を奪われたものの、影山を呼び止めた男はよく見れば白のジャケットにネクタイとチェックのパンツを身に着けている。
練習試合で青葉城西へ赴いた際に、ギャラリーの中にこの制服を見かけたから間違いないだろう。
しかし、この小柄な男の所属が分かったことで影山はさらに皺を深くする。
勝ったチーム側の人間が、敗戦校に何の用があるというのだ。
先を歩いていた他の部員も、影山の呟きを聞きつけ振り返った。
すると、視線を一身に受けたその男は緊張したように肩を強張らせる。
「上から見てると分からなかったけど、皆デカいな…」
「…あぁ?お前が小さいだけだろうが」
「はぁ!?おれはチビじゃない!これから成長するんだよ!!」
先程の緊張はどこへやら、身長の低さを指摘されたその男が食って掛かるように影山に詰め寄った。
明らかに頭一つは小さいはずなのに、こちらを真っ直ぐ見つめる瞳の強さに影山は思わずたじろぐ。
体から発せられる妙な迫力に、無意識に圧倒されていた。
「ちょっと自分が大きいからってさぁ」
「ちょっと、じゃねぇだろ。俺より20cmは小さいくせに」
「何だとおおおおお!」
「ちょ、こら止めなさい影山!君も少し落ち着いてくれる?」
このままだと影山お得意の『ボゲェ!』が飛び出しそうで、慌てて澤村が止めに入る。
こんな所で他校生と揉めたとあっては、今後の部活動に支障をきたしかねない。
影山の頭をがっしりと掴み二人に向き合えば、その少年は素直に頭を下げた。
「すみません!あの、別に喧嘩をしにきたわけじゃないです」
「あぁ、うん。それは分かってるよ。君、影山のこと褒めてくれたしな」
「かげやま…?」
「これ、ウチのセッター」
ほら、と澤村がポンと背中を軽く叩けば不承不承といった体で影山が口を開く。
「影山…飛雄だ。で、何の用があるんだよ」
「いや、お前のトスすっごくキレイだなーって思ってたらさ。たまたま近く通り過ぎてくから思わず声かけてた!」
「はぁ?負けたチームへの慰めかよ。同情してるつもりなのか?」
「そんなことするわけないだろ!キレイなものをキレイって言って何が悪いんだよ。とにかく、影山のトスがすっげぇキレイだったの!」
「……!!」
「へー、やっぱり手も大きいんだな。この掌からシュッてボールが飛ぶのかぁ」
欲しかった玩具を買ってもらった子供のような、純粋な輝きを瞳にのせ少年は影山の両腕を掴まえた。
一度慣れると物怖じしない性格なのか、触れる手は大胆になっていき影山を戸惑わせる。
速い、上手い、精密…そんな風にトスを褒められたことはあるが、『キレイ』だと賞賛されたのは初めてで、ましてやこういった接触に不慣れな影山はリアクションも出来ず固まっていた。
そして、顔を真っ赤にして動けずにいる影山の様子に、烏野の部員たちからも思わず笑みが漏れる。
この小さな乱入者に、敗戦でささくれだった心が少し癒された気分だった。
「あんなに激しいボールのやり取りなのに、影山がボール上げる瞬間は音が消えるじゃん」
「音が消える?」
「え、そうじゃないの?特にオレンジの人が上手くボール返した時は、影山がサッとボールの下に入ってまるで指にすいつくみたいにハマってさ。それで、またその指がキレイな形でポーンてアーチみたいにボールを上げるじゃん。その間、スローモーションみたいに静かに動きが流れてくんだ。あんなにシュッとしたすごいプレー見たの二人目だぜ!」
「お、おぅ。ありがとな…?」
試合中の影山のプレーを思い出したのか、興奮冷めやらぬ調子で熱く語る少年にもうお手上げだ。
どうにも擬音語が多くて要領を得ない部分もあるが、レシーブからトスまでの一連の動きが彼の心をつかんだことだけは把握した。
オレンジの人、ことリベロのユニフォームを身に着けた西谷も、自分のレシーブが褒められたことを理解して『よく分かってるじゃねぇか、少年!』と目の前の頭を後輩たちにするように撫でている。
普段からそうされることに慣れているのか彼も甘んじて受け入れていたのだが、ふと思い出したように影山を見上げた。
「でもさぁ、試合の途中まで何で一人でプレーしてたんだ?」
「何の話だよ。最初からコートには6人いただろうが」
公式練習のトス上げのことでも言っているのかと思ったが、見上げてくる瞳の鋭さにどうやら違うと知る。
心の奥を見透かすような視線に思わず顔を背けた。
「コートの中でひとりぼっちみたいな顔してた」
その言葉に皆が息を飲んだ。
彼はその瞳に何を映し、何が見えているのだろうか。
影山が『コート上の王様』と呼ばれていたバックボーンなんか知らないはずなのに、全てを見抜くような観察眼。
知らず、恐怖とも畏怖ともつかないものが背中をかけぬけていく。
「何も知らないおれが言うことじゃないかもしれないけど…。皆お前の強さ頼りにしてるし、お前のことちゃんと好きだと思うぞ。だから迷子みたいな顔しなくていいんだよ。まぁ、2回目にコート入ってきた時は大丈夫そうだったけどな!」
菅原に交代される前に抱いていた『一人でやらなければ』という焦りや不安。
その後にコートの外からプレーを観察し感じた『一人ではない』という仲間たちへの信頼。
それらの感情を正しく把握し指摘した彼に、ぶるりと体が震えた。
自分が不器用で、感情を上手く表現できないことは承知している。
ここまでチームに溶け込むことが出来たのは、根気よく影山とコミュニケーションを図ってくれた先輩たちのおかげだ。
それでも、彼らが影山を理解するのにいくらかの時間を要したというのに。
彼は一瞬にして己の心の内を解いてしまった。
目の前の霧を払うかのような鮮やかに色付いた声で告げられた言葉たちに、心を救われたような気がした。
しかし、当の本人は何気なく言っただけなのだろう。
影山の肩をバシバシ叩くと、そうだ!と今度は菅原に向き直っていた。
「でも、今日烏野で一番格好良かったのは2番さんですね!」
「え、俺?君がキレイだっていう影山と交代で少し入ってただけだよ?」
菅原は誰かと勘違いしているのではないかと自分を指差し尋ねるが、間違っていないとばかりに少年はにっこり微笑んだ。
調子を崩した影山を落ち着かせるために交代で入っていただけだ。
序盤こそ作戦も上手くいっていたが、後半はトスが読まれはじめ決定率も下がっていたはず。
1セットも通して出場していない菅原を、どうして彼は一番などと言ってくれるのだろうか。
「青城のエースも強い人なんだけど、それとはまた違った感じっていうか」
「それって岩泉のことだよね?岩泉が強いっていうのは分かるけど、俺は彼みたいなプレーしてないよ」
「プレーとかじゃなくて。心が強い人なのかなって。岩泉さんは竹みたいに上へ上へと伸びる強さなんです。真っ直ぐで健やか」
「じゃあ、君が言う俺の強さっていうのは?」
彼の自分に対する評価が気になり、知らず緊張した声で菅原は先を促す。
すると、得意気な顔でいたずらっ子のように笑うと、内緒話でもするかのようにこそっと語り出す。
「川みたいな大きな強さがある人だなって思いました。岩泉さんが引っ張る人なら、2番さんは包み込む人。どんどん皆を包んで大きくなってく。途中に濁った場所があったり、邪魔な石があったり、曲がりくねった流れになったり大変なこともあるだろうけど、最後には全部飲み込んで大きな本流に流れつくみたいな」
何か言葉がまとまらなくてすみません、と頭をかきながら謝る小さな姿に釘付けになった。
葛藤が無かった訳じゃない。
これまで守ってきたチームの正セッターというポジションを、後輩に明け渡す悔しさがふと頭を過ぎることは何度もあった。
それでも歯を食いしばって練習し、チームを支えていこうと決意したのは、ひとえに勝利をこの手にするため。
その頑張りを全て肯定してもらえたようで、不覚にも泣いてしまいそうだ。
先程の影山もこんな気持ちを味わったに違いない。
この少年の言葉がこれほど心に沁みるのは、瞳にも声にも嘘が一切無いと感じ取れるからだろうか。
真実を見通すかのようなその眼差しに、一瞬にして魅せられてしまう。
油断するとこぼれそうな涙を何とかこらえて、菅原は改めて向き直った。
「ありがとう、そう言ってもらえて嬉しいよ」
「でも、先輩に生意気なこと言ってすみませんでしたっ!…2番さんって3年生ですよね?」
「はは、いいよそんな事気にしなくて。本当に嬉しかったから。それよりも『2番さん』っていうのもアレだし、自己紹介しておこうかな。俺の名前は菅原孝志、よろしく」
「はい!あ、そういえばおれもまだ名乗ってないですよね。おれ青城1年の、ひな…」
握手しようと手を差し出す菅原に、同じように少年が手を伸ばしたその時…
「チビちゃんみーつけた!」
軽い声とは裏腹に奪うような早さと強さで、少年の体が誰かに囲われる。
驚いて声の主を探せば、皆が一様に目を見開き固まった。
「え、及川さん!?何でココにいるんですか」
「それはこっちの台詞。青城の応援席にいるはずのチビちゃんの姿が見えないから慌てちゃった」
「だからって、次の試合控えてるんでしょ?キャプテンがこんな所にいちゃダメじゃないですか!」
「チビちゃんの姿が見えないと落ち着かないから、いいんですー」
「そんな風に言っても可愛くないですよ」
「チビちゃんが可愛いから問題ないよ!」
突如現れたのは、先程煮え湯を飲まされた青城バレー部主将の及川その人だった。
腹の底で燻る敗戦の悔しさで知らず渋面を浮かべてしまったが、目の前のやり取りにそれも忘れ唖然としてしまう。
3年生相手に萎縮せず軽口を叩いている少年に対してではない。
その少年を自らの胸に抱き寄せ笑顔を浮かべている及川に、だ。
相手を挑発する時に浮かべる人を食ったようなものでも、ファンの声援に応える張り付けたようなものでもない。
影山以外の及川をよく知るとは言えない面々にさえ、嬉しさがそのまま出ているのだろうと分かる心からの笑顔。
一癖も二癖もあるあの及川から、こんなにも素直な表情を引き出せる少年は一体何者なのだろうか。
未だ喋り続ける二人を見つめていた影山は、チリッと胸が焦げる音を聞いた。
この痛みは恐らく嫉妬、紛れもなく及川に向けられた鋭い感情。
彼と自分はたった今会ったばかりで、学校の先輩後輩である二人の関係性とは比べるべくもない。
自分に対する態度よりも親しげにしているのも当然だ。
それなのに、彼を我が物顔で抱きしめる及川に血が沸き立つような気持ちが芽生えてしまうのを抑えられない。
知らずその苛立ちが影山の眼差しに込められてしまっていたのだろう。
視線を感じた及川は影山を見るなり、にやりといつもの食えない表情で口角を上げる。
そうして、おもむろにジャージを脱ぐや眼前の小さな肩にそっとかけた。
「ん?どうしたんですか、及川さん。おれ別に寒くないですよ」
「これはチビちゃんが迷子になってもいいように目印。青城のジャージ着てれば何かと目立つから、ね?」
「何ですか、それ!!おれ迷子になったりしないのに!!」
まるで、これは己のものだと主張するような所業だ。
素直な彼は信じてしまったようだが、迷子防止なんて嘘だろう。
周囲を牽制する目的で、この大会に来た人間ならほぼ全員が知っている『青葉城西』の白いジャージを着せたに違いない。
加えてあの及川が連れている人間となれば、おいそれと声を掛けることも出来ない。
及川は自分が持つ影響力を十分理解した上で、彼を守るために動いたのだ。
それ程大事な人間ということなのだろう。
及川の瞳は雄弁で、目の前の存在が愛しくて仕方ないと言わんばかりに甘さをたたえていた。
「そういえば、岩泉さんに言ってから来たんですよね?」
「怒られるから言ってなーい」
「えぇ、その方が怒られるに決まってるじゃないですか!もう、急ぎますよ!」
「はいはい、分かったよ。じゃあ、急いで転んじゃわないように手つなごっか」
「嫌です」
「それなら行かない」
「…あぁ、もうっ!分かりました、早く行きましょう!」
我が儘な言葉に折れた少年は、体に合わない大きなジャージの袖口から何とか手を出すとそのまま及川の腕をつかまえる。
それから『引き留めてすみませんでした!』と烏野の面々に頭を下げ、青城メンバーが待つ場所へと戻っていった。
振り返りざま『あげないよ』と声に出さず唇の形だけで伝えてきた及川に、影山はギリッと歯噛みする。
そして、ふと先程のやり取りを思い出しますます顔をしかめた。
―――あんなにシュッとしたすごいプレー見たの二人目だぜ!
「一人目は及川さんってことかよ…」