# 02
『迷子にならない』と口調荒く反論していたのは嘘ではないらしい。
青城のメンバーが控えている場所を伝えると、少年こと日向は及川の腕を掴んでグングン進んでいく。
外では日向の興味を引くものが多くあり人の列から乱れがちだが、室内だとそういうこともないと確か国見が言っていた。
館内の案内図を一度見ていたから既に構図も覚えているだろう、と。
それでも応援席に日向の姿が見えなくてどこか嫌な予感を覚えた及川は、体育館内をウロウロしていたのだ。
すると黒の集団の中に探していた小さな姿を見つけ、自分の喉がヒュッと鳴ったのが分かった。
駄目だ駄目だ駄目だ…頭の中で警鐘が鳴り響く。
あの子の興味が余所に移ってしまうのは許されない。
気付けば及川は走りだし、その腕の中に日向を囲い込んでいた。
及川の登場により少しばかり緊張が走っていたが、それでも烏野が日向を見つめる視線は柔らかだったし、影山の瞳にはそれ以上のものがこもっているようだった。
もう少し遅ければ、青城のバレー部にいつの間にか溶け込んでいた時のように、烏野の懐にもスルッともぐり込んでいたかもしれない。
間一髪の所で保護できたことに安堵し、わざと大声を上げて日向の自己紹介を遮った。
名前さえあの後輩には教えたくない、という乱暴な独占欲が胸をよぎる。
及川が『チビちゃん』と呼ぶのはわざとだ。
一度その名を呼んでしまえば、心を囚われてしまいそうで怖いから。
名を呼ぶことは相手を縛ることだというが、及川にとっては逆だと感じている。
きっと声にしてしまえば、日向という絶対的な存在に心ごと縛られてしまうだろう。
それは甘い誘惑にも似て及川を手招きしているが、まだその時期ではない。
そう自分を戒めている所であるのに、余所の人間にその名を呼ばせることを認められるはずがないではないか。
不可能と知りながら、この子の名を呼ぶのがいずれ自分だけになればいいと願っているのだから。
「及川さんもセッターの手してるんですね」
「ん?どうしたの突然」
日向は及川の腕を自分の目の前まで掲げると、ふいにそんなことをこぼす。
まじまじと見つめられ多少照れながら、急に何があったのだと尋ねるが日向は及川の手に夢中なようだった。
熱の高い小さな手でふにふにとあちこち触れられ、くすぐったさに身をよじる。
そのいつにない距離の近さに幸せを感じていたのに、次の言葉で一気に機嫌が降下した。
「影山も同じ手をしてたなーって」
「…飛雄と?」
「大きくて掌が厚くなってて、でも爪はキレイに整えられてて」
「爪の手入れを怠ると、ボールにかかって剥げちゃうこともあるからね」
「へー、ちゃんと理由があるんだ」
未だ繁々と及川の手を見つめるその様子に、奥歯を噛みしめて耐える。
ともすれば、影山の事など思い出すなとみっともなく口からついて出そうだった。
しかし悟られてはいけないと、日向に触れられていない方の手を強く握りしめ苛立ちを抑え込もうとしていたその時。
日向の何気ない言葉で、今度は気持ちが急浮上する。
「やっぱりセッターだから気になってたのかなぁ」
「…何の話?」
「え、だから及川さんがセッターだから烏野のセッターも気になったのかなって。及川さんのスゴいプレーいつも見てるから、相手はどんな感じなのか注目しちゃってたのかもって」
「俺のポジションだから、飛雄のことも見てたってこと…?」
「うん、そうかもしれないです。及川さんみたいに上手い選手いるのか気になったし。あと、影山のサーブとか何となく及川さんに似てたから」
「あははは、そっかそっか。…これを聞いたらさぞ悔しがるだろうね」
天才と恐れる影山のトスは確かに美しい。
否が応でもそれは認めざるを得ないし、及川に関係なくそのプレーは日向の目を引いたかもしれない。
だが、日向は及川がきっかけで影山に目をやったのだと言う。
刷り込みだろうが何だろうが、初めて見た及川のプレーが日向のバレーを見る基準になっているのだとしたらこんな嬉しいことはない。
雛鳥を開眼させたのは己のプレーだという喜び。
今すぐにでも『ザマーミロ!』と影山に伝えたいぐらいだ。
「チビちゃんと先に会わせてくれた神様に感謝しないとね」
「何言ってるんですか及川さん。疲れておかしくなった?」
「ちょ、チビちゃん。最近国見ちゃんに影響されてない?俺先輩なんだからね!?」
「あだだだだ、やめてくらひゃいよ!」
可愛くないことを言う後輩にはお仕置きだ!と、及川は日向のまるい頬を左右からつまみ引っ張る。
そして、痛みに涙目になる日向を見つめながら、今しかないかと覚悟を決めて気になっていたことを尋ねた。
「…さっき飛雄たちと何の話してたの?」
「影山のトスがキレイだったぞーとか。菅原さんがカッコよかったです、とか?」
「飛雄とあの爽やか君か。セッター気になるって言ってたもんね」
「はい。ていうか及川さん、何で影山のこと名前で呼んでるんですか?」
「アイツから聞いてない?飛雄は俺の中学時代の後輩だよ。さっきチビちゃんが言ってた俺のサーブに似てるっていうのも、俺のを間近で見てたからかもね」
教えを乞う影山に積極的に指導してやった事はないが、及川のサーブを見て覚えたらしいジャンプサーブ。
そのフォームが及川に似るのは当然だが、それをまたもや一度で見破る日向の観察眼には舌を巻く。
「及川さんがお手本ってことかー。威力は桁違いに及川さんの方が上だったけど」
「嬉しいこと言ってくれちゃって」
「だって音が全然違うし!…あ、そうだ。先輩だったんなら影山がひとりぼっちでプレーしてた理由って分かります?」
「え、どういうこと…?飛雄が一人でプレーしてたように見えたっていうの?」
「途中までですけどね。だから、もっとチームのみんなを頼ったらどうだ?って話してました」
おせっかいだったかもしれませんけど、と笑って言う日向から目が離せない。
『コート上の王様』の異名を持つ影山の孤独を、試合の最中で見抜いてしまったのか。
そして、それを素直に言葉にして影山に伝えたということか。
裏表のない日向の言葉は、人の心に自然と染み入り喜びを与えてくれる。
通りで影山の日向を見る目に熱い想いがこもっていたわけだ、と及川は納得する。
己を理解してもらえる心地よさを一度知れば、もっともっとと欲しくてたまらなくなるはず。
人から拒絶され孤独の怖さを知る影山にとっては尚更、自分を分かってくれる存在というのは砂糖菓子のように甘美なものだったろう。
だからこそ、及川が日向に対して我が物のように振る舞っているのを、あれ程までに鋭い視線で睨んでいたのだ。
しかし、及川とて易々と人に渡してやる気などない。
手に入れられない悔しさで歯ぎしりしながら見ているといいのだ。
「ねぇ、チビちゃん。あと一つ聞きたいことあるんだけど」
「なんですか?」
「…ウチはどうして烏野に勝てたと思う?」
実績を鑑みれば、青城が勝つのは当然なこと。
しかし、烏野の驚異の粘りにより最終セットの30点台まで試合はもつれ込んだ。
ただひたすらに勝利を目指して戦っていたが、もしかしたら…という弱い気持ちが少しも無かったかと言えばそうではない。
それがサーブの乱れに表れ、岩泉にたしなめられた通り牛島の面影がチラついたことに繋がったのだろう。
選手の持つ地力は青城が上だったが、烏野にはそれを覆すような勢いがあった。
正直終盤は意地だとか根性だとかの域に達していたように思うし、最後のアタックを読み違えていたら敗者は青城だったかもしれない。
そんな試合運びの中で、日向が何を感じたのか純粋に知りたくなったのだ。
勿論、バレーに詳しくない彼に戦術などの考察を求めたいわけじゃない。
ただ、日向のすべてを見通すかのような目に自分たちがどう映っていたのかが気になった。
そんな及川の質問に対し、日向は至極シンプルな言葉でもって答えてみせた。
「及川さんがいたから」
「えっ!?」
「青城には及川さんがいて、烏野には及川さんがいなかったから」
「俺みたいに威力のあるサーブを打てる人間がいなかったってこと?」
「違います!そうじゃなくて…」
―――おれが描いたポスターみたいに強い及川さんが今日も見えたよ。
「及川さんが最初から最後まで皆を信じてたから」
「信じてる…?」
「影山は途中までチームメイトと距離があったように見えたけど。及川さんは違ってた。岩泉さん、まっつんさん、マッキーさん、わたっちさん、金田一、国見…皆を信じて一緒に戦ってた」
「チビちゃんが描いてくれた『仲間を率いて』っていうやつ?」
「うん。チームの真ん中で皆を引っ張ってる及川さんが、それを見て頑張る青城が、弱いわけない」
「もう、チビちゃん反則…!」
いつかの体育館の時のように、顔に熱が集中してとてもじゃないが人に見せられる状態じゃない。
それをごまかす為に、強引に日向の背後から腰に腕を回しぎゅっと抱きしめた。
「ヤメテ、チビちゃん…。次の試合控えてるのに心臓もたなくて死んじゃいそう…」
「おれ及川さんみたいに殺人サーブ打てないよ?」
驚くぐらい鋭くて、驚くぐらい鈍くて天然。
『及川さん震えてる?…もしかして寒いんですか!?おれこのジャージ脱ぎます!』なんて的外れのことを言う始末で。
今も及川がどれ程歓喜に心を躍らせているのか全く理解していないようだった。
溢れる気持ちがおさまらなくて、それをぶつけるように日向の肩に顔を押し付ける。
すると頬に当たる及川の髪がくすぐったいのか『やめてください!』と暴れられたが、暫く離してあげられそうにない。
しびれを切らして二人を探しにきた岩泉の怒声が響くまで、廊下の片隅で及川は日向を抱きしめ続けた。
君の見つめるその先に、いつだって強い自分が立っていますように。