一瞬気を失っていたバカ息子だったが、お供の海兵に揺さぶられ、やがて我に返った。殴られた頬を押さえ、涙目でこちらを睨み付けてくる。
「な…な…殴りやがったな!! このおれを殴りやがったな!! 親父にだって一度も殴られた事ねェのに…!!」
海軍大佐の息子なのに、父親に稽古をつけて貰うようなことはなかったのだろうか。なかったんだろうな。もしそうだったらこんな風に育っていないだろうし。そう考えながら、ルフィが落とした麦わら帽子を拾い上げる。
改めて見ると、随分古い帽子だ。一体いつからある物だろう。少なくとも20年は前だと思うが。
「おれは海軍大佐モーガンの御曹子だぞ!!! 親父に言いつけてやる!!!!」
その台詞小者っぽくてすごく格好悪いんですけど…とは流石に口に出さなかった。隣のコビーに睨まれたので。何だか段々彼が私という人間を理解し始めている気がして内心震えている。
しかしまあ、バカ息子のその発言は、町の人々に恐怖を与えるには十分だったようだ。誰もが皆、私達から距離をとって無関係を主張し始めた。
「お前は死刑だ」と捨て台詞を吐いて、バカ息子は基地へと帰って行った。その情けない後ろ姿を見届けたルフィは、「あんな奴これ以上殴る価値もない」と、私から麦わら帽子を受け取り元の通りに頭に被せた。
モーガン大佐とやらの報復を恐れてか、町の人々は逃げるように家の中に入って行く。そんな中、少女だけはキラキラした笑顔でルフィに駆け寄った。
「すごいのねお兄ちゃん、私胸がすっとしちゃった!」
「そうか? じゃあもっと殴っときゃよかったな!」
明らかにそんな場合ではないのに、朗らかに会話をするルフィと少女に、コビーは今にも意識を飛ばしそうだ。
そんな彼らを見て、慌ててこちらへ駆け寄ってきた女性が1人。少女と顔が似ているので、恐らくは母親だろう。母親は切羽詰まった顔で、少女の手を引いた。
「リカ!! こっちへ来なさい!! …あの人と口を聞いちゃだめ! 仲間だと思われたらリカも殺されちゃうのよ!!」
「だってママ、あの人はいい人よ! ゾロって人だって…!」
「バカな事言わないの!! まさか磔場へは行ってないでしょうね!?」
「う…うん、行ってないよ…!」
……いやあの、すみません、その子ガッツリ磔場に入ってたし、その現場をバカ息子に見られたし、何ならそれを手伝ったのは私です。流石に申し訳ない。
母親に促されるまま家の中に入って行った少女は、悲しそうな顔でチラリとこちらを振り向いた。その顔も、閉まるドアに隔てられ、直ぐに見えなくなってしまう。
あの少女のためにも、行動を急がなくては。そう考えたとき、ふと視線を感じて振り返った。リカと呼ばれた少女の家の斜向かいの建物の2階から、誰かがこちらを見下ろしている。
それはあの美少女だった。ルフィと私のセンスを「ダサい」の一言で切り捨てた、あの。一体何で見られているのか、不思議に思いながら見つめ返すと、少女は不敵な笑みを浮かべ、親指をぐっと立てた。「よくやった!」とその目が語っている。
私は親指を立て返した。私達の間に言葉はいらない──この瞬間、私達の心は確かに通じ合ったのだ。
「アメリアさん、何やってるんですか?」
「邪魔をしないでくださいコビー君…私はたった今、心の友を得たんです」
何を言ってるんだこの人と言わんばかりの訝しげな視線が私を貫いたが、痛くも痒くもない。ないったらない。
それよりも問題は、そんな私とコビーを放って基地の方へ歩き出したルフィの方だ。がしっと腕を掴むと、みょん、と伸びた。うわあゴムだ。どこまで伸びるのか試してみたい衝動に駆られたが、グッと堪える。
「ルフィ君、ストップ」
「なんだ?」
「どこ行く気ですか?」
「ゾロの所」
あっけらかんと言ってのけたルフィは、何故止められているのかわからないようで、不思議そうに彼の腕を掴んでいる私の手を見つめていた。しかし、振り払う気はないらしい。そして少なくとも、私の話を聞く気はありそうだ。私はそれだけ確認して手を離した。
「まず、これだけは言っておきます。よくやった。ルフィ君がやらなきゃ私が殴っていたところです」
「アメリアさん!?」
「それで…ゾロさんのところに行くって言いました?」
「ああ」
私の言葉に視界の端でコビーの目玉が飛び出たが、気にするようなことではない。ルフィもコビーの様子など気にも留めずに私を見つめたままだ。
「何のために?」
「仲間にする!」
私は慎重に言葉を重ねた。それに対する簡潔な回答は概ね予想通りだ。このままゾロが基地に捕らえられたままだと殺されてしまうのなら、ルフィが彼を諦める理由は最早存在しないのだから。
しかし、だ。
「彼は今、腐敗したとは言え海軍に罪人として捕らわれています。その彼を助けるとなれば、海軍を敵に回すことになるんですよ」
ルフィは私を見て、何を当たり前のことを、と言いたげな顔をした。どこか憤慨しているようでもある。
「いいよ別に! おれは海賊になるんだから」
「いずれは、ね。でもまだ船すらないこの状況で海軍が敵に回るのはまずいですよ。"海賊狩り"を助け出せても、2人しかいない海賊団なんてすぐ捕まります」
「3人だろ?」
「2人だって言ってんでしょうが。……今はまだ、名前を売るには早過ぎますよ。それでも助けに行きますか。あなたにとって"海賊狩り"は初対面のはずです。見捨てても何も問題はない」
今日出会ったばかりの人間。彼がこのまま死んだところで、ルフィに損失はない。見捨てたっていいのだ。相手は海軍大佐、誰もルフィを責めはしないだろう。いっそ見て見ぬ振りをして立ち去ってくれればいい、そうすれば私も諦めがつくのだから。そんな願いも込めて、半ば子供に言い聞かせるつもりで語り掛ける。
だが、ルフィは首を横に振った。
「このまま待ってたら、ゾロが殺されちまう」
「……ええ」
「だから助けるよ。海軍に狙われたって、全部倒せばいいんだろ!」
じっと、ルフィの真っ黒な目が私の体を貫いた。迷いも躊躇も存在しない。やると決めたからにはやる、意志の強さが伝わってくる。
ああ、それなら。いいだろう。乗ってやる。ついでに利用もさせてもらう。仲間になる気はないけれど、今このときだけならば、協力ぐらいはしてやれる。
「…OK、手伝います」
「アメリアさん…」
「ただし主に暴れるのはルフィ君でお願いしますよ。私は海軍と深く関わる気はないので」
確認すると、ルフィは頷いた。私もそれに頷き返して、ナップザックから、先程買ったもの──仮面を取り出した。美少女チョイスのよさげな仮面である。コビーはそれを見て目を瞬かせた。
「アメリアさん、それは…」
「お面ですよ。流石に海兵相手に顔がバレるのは避けたいので、ここに来る前に買っておきました」
「…え、じゃあ、初めから助けるつもりだったんですか!?」
目を丸くしたコビーは、私が仮面を装着するのを口を開けて見守っていた。
「…罪のない優しい人が、屑海兵の身勝手で殺されるのは、我慢ならないので」
私の答えに、ルフィが笑う。
その笑顔があんまりにも嬉しそうで、既に随分と絆されているらしい自分を知覚してしまって、私はこっそり溜め息を吐いた。
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