塀を飛び越えるとルフィが待っていた。伝言はどうした。
「あ、やっと来た! なあアメリア、コビーどこかわかるか?」
と思ったら、コビーの居場所がわからなかったらしい。それはそうか。
「コビー君ならあの女の子の家に向かったみたいですよ。そう話してるのが聞こえたので」
「んん、どっちだ?」
「こっちです」
コビーと少女の匂いを辿って歩き出せば、ルフィが後ろから走ってついて来た。そして隣に並ぶと、にかっと笑顔を浮かべた。それは何故か光を放っているように見える。端的に言って眩しい。
「アメリア、耳いいんだな!」
「え?」
「おれはコビー達が何か話してるの全然聞こえなかった。すげェな」
「……まあ私、耳と鼻が犬並みですから」
「ヘェ〜」
割と重大な秘密を打ち明けたつもりだったが、ルフィは聞くだけ聞くと興味を失った。この野郎、自分から話を振っておいてそれか…。どうしてくれようかと思ったが、何をどうやってもどうにもならない気がしたので私は諦めた。どうせ暫くすればお別れなのだ。私には関係がない。
「それで、どうするんですか?」
「何が」
「ゾロさんですよ。なかなかいい人じゃないですか」
「うん、いい奴だな」
「…仲間にしますか?」
そう問うと、「うーん」と唸って腕を組んだ。何か、悩んでいるらしい。
「1ヶ月だろ? バカ息子の約束の期間って」
「? そうですが」
「海賊にはならねェって言ってたし…、1ヶ月ちゃんと生き残れたら、あいつはまた賞金稼ぎに戻るんだ」
「……ルフィ君、それは」
「あいつ、いい奴だから、仲間にしてェんだけどなァ」
本当に残念そうにそう言われてしまったものだから、私は二の句が継げなかった。1ヶ月の約束が破られるという可能性は、欠片も考慮していないらしい。1ヶ月なんて普通に考えて本気なわけがないのに。
何だか胸が苦しい気がした。どうしてこう、純粋に人の言葉を信じられるのだろう、ルフィは。普通は生きていく中で、誰かに騙されて、それで痛い目を見て、次は騙されないようにと学習するものではないのか。周りがよほどのいい人ばかりだったのか、それとも。
(学習する必要がなかったか…)
どんな時も人を信じられる強さが、ルフィにはある。だからこそ、ここまで人を疑わずに生きられるのだろう。
そんな生き方、私は地獄の底に置いて来たというのに。
その眩しさに羨望に苛まれて、私は拳を握りしめた。気が付けば足が止まっていて、後ろをついて来ていたルフィが不思議そうに私の顔を覗き込んでくる。
「どうした?」
「……少し、考え事を」
「ふーん」
またそうやって、本当に興味のなさそうな声で言った。「男が細かいことを気にするな」とはよく言うが、彼は少々気にしなさ過ぎる。やはり"彼"の血筋かと、大雑把な馴染みの海兵の笑い声が脳裏に響いた。
しかし彼が何を信じようと、私がやることは既に決まっている。先ほどから探していた店がちょうど視界に入って、私はルフィを振り返った。
「ルフィ君ちょっとすいません。買い物して来ていいですか? すぐ戻りますから」
「何買うんだ? 肉か?」
「さっき昼食摂ったばっかでしょうが。私は食いしん坊か。…違いますよ。ちょっと、このあと使うものです」
「んんー?」
店先に並ぶそれの1つを手に取った私を見て、ルフィは不満そうな顔をした。
「こっちの方がカッコいいぞ!」
彼は別の品を手に取った。確かに格好いい。格好いいけど、私の好みじゃない。
「私は赤より青がいいんです! 放っておいてください」
「何だと! 赤の方が絶対いい!!」
「いやだから…」
「どっちもダサいよ」
私達は同時に振り向いた。そこには1人の少女がいた。美しい金髪が緩やかなウェーブを描き、胸元まで流れている。お人形のような美少女だ。
「どっちもダサいよ」
美少女はもう一度そう言った。
真顔だった。
結局美少女に選んでもらって、私達は店を後にした。重たい沈黙が落ちる。私の頭の中には先程の美少女の言葉がリフレインしていた。ダサい……ダサいか……そっか…………。
「…で、それ何に使うんだ?」
「直ぐわかりますよ」
既に立ち直ったらしいルフィを適当にあしらいつつ、コビーの匂いを辿って町を進む。すると、角を曲がったところでようやくコビー達の姿が見えた。玄関の階段に腰掛け項垂れる少女を、コビーが慰めているようだ。
「お、いた。コビー!」
「…あっ、ルフィさん! アメリアさん!」
ルフィの声に顔を上げたコビーはあからさまにホッとしていた。少女を元気付けようとしてあれこれ頑張ったが、どれも不発に終わったのだろう。
「あ、お前! 伝言があるんだよ、ゾロから」
「え? 私に…?」
ゾロからの伝言と聞いて、少女は顔を上げた。余程ゾロを慕っているらしい。少女は黙ってルフィの言葉の続きを待った。
「『うまかった、ごちそうさまでした』ってよ」
「……えっ? でも、おにぎりは……」
「うん、あいつそれ食ったんだ」
「ほんと!?」
「ああ! 1つ残らずバリバリ食ってたよ」
あの泥だらけのおにぎりを、それでも食べてくれたのかと少女は驚愕し、立ち上がった。目を瞬かせた後、笑みを浮かべる。涙は止まったらしい。
そんな少女を見て、コビーは戸惑いを表情に浮かべた。聞いていたゾロの人物像にあまりにそぐわない行動に、困惑しているようだ。
「あの人…本当に噂通りの悪人何でしょうか…」
「違うよ!」
コビーがつい呟いた言葉を、少女が即座に否定する。
「だって、あのお兄ちゃんは何も悪い事してないもの。町のみんなは恐がってたけど」
そこまで言うと、少女は再び玄関に腰掛けた。そして周囲をキョロキョロと見渡し人気のないのを確認すると、身を屈めて声を潜める。
「捕まったのだって、私を助けるためにモーガン大佐の息子が飼ってた狼を斬っちゃったからなの! それまでは、狼が野放しで町を歩き回って、みんなすごく困ってて…!!」
「じゃあ、ゾロが捕まった理由ってのは、あいつの飼い狼を斬ったってだけの事なのか」
「うん」
「ペットを殺されて怒るのはわかりますけど、そのペットが人を襲ってるようじゃあ文句言えませんよね…管理責任問題でしょう。その場合あちら側が罪に問われるべきでは」
「そうよね!」
少女は両の拳をぐっと握り締め、憤って見せた。
「悪いのはモーガン親子よ!! 少しでも逆らえばすぐ死刑で、みんなびくびくしてるの」
少女の話を聞き、コビーは表情を曇らせた。清く正しい海兵になりたがっている彼にとって、海兵の汚職は許し難く、悲しいことだろう。
しかし海軍は巨大組織。上層部とて世界各国の全ての支部に目を配れるわけではない。地方支部の統制はそこの支部長に任せるしかなく、その本人の性根が腐っていたなら、それは最早どうしようもない。誰かが気付いて正さなくてはならず、しかしそれなりの実力も伴う海兵の階級持ちに逆らう勇気ある人間は多くはないため、こういった事例は解決されにくく、下手をすれば何十年も放置されることすらある。
一番真っ当な解決策は、先にコビーにも述べた、モーガン大佐の不正行為の証拠を集めて海軍本部に通報することだ。しかしこれには1つ問題がある。──どう考えても間に合わないのだ。これでは解決する前にゾロが死ぬ。
やはり、やるしかない。覚悟を決め、ルフィ達に向けて別れの言葉を切り出そうとしたその時。突如町の音がピタリと止んだ。同時に先程も聞いたような特徴的な笑い声が近付いてくる。
「ひえっひえっひえっひぇ!! 頭が高ェつってんだろ、親父に言うぞ!!!」
見れば、大通りの両脇で人々が揃って三つ指をつく格好で跪き、その真ん中をバカ息子がお供を連れて悠々と歩いて来ていた。あの男は天竜人か何かか。
「ロロノア・ゾロみてェに磔になりてェか!? "3日後"にはゾロの奴を公開処刑にする!! みせしめだ、楽しみに待ってろ!!」
「……3日後…?」
バカ息子の発言を、ルフィは不審気に繰り返した。そしてその真意を確かめるべく、バカ息子に向けて口を開く。
「1ヶ月の約束はどうしたんだ!!」
「何ィ? 誰だ貴様、どこで聞いた。頭が高ェな。……そんな約束ギャグに決まってんだろっ!! それを本気にする奴もまた魔獣的にバカだけどな!!」
そう言って吹き出したバカ息子に、隣の少年の何かがブツリと切れる音がした──気がする。
次の瞬間には、バカ息子の方へ素早く踏み込んだルフィが胸倉を掴んで、その顔面を思い切り殴りつけていた。
町中から悲鳴が上がり、私はそれに紛れてこっそり口笛を吹いた。お供の海兵が目を見開き固まる。呆気に取られていたコビーだったが、直ぐに我に返りその腕を掴んで後ろへ引き戻した。それを見た海兵達がバカ息子を助け起こし、容態の確認を行っている。
「ルフィさんっ!! やめてください、落ち着いて!!」
「…こいつクズだ」
「海軍を敵に回す気ですか!!!」
コビーは必死に止めているが、ルフィの耳に彼の説得の言葉が届いているのかは甚だ疑問である。多分、聞こえていないだろう。バカ息子を睨み据え、未だ拳を握ったままの彼の怒りは、元凶を一発殴った程度では治まらなさそうだ。
「決めたぞコビー!!」
「え?」
「おれはゾロを仲間に引き込む!!」
幸いにも、ルフィのそのセリフは人々のどよめきに掻き消されて周囲には届かなかった。もし聞かれていたなら、更なる混乱は免れなかっただろう。
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