023

 ルフィの足や腕に噛み付く犬、反撃するルフィ。「コンニャロォ!!」と叫びながら犬と戦う姿は、海賊団の船長の威厳とは程遠い。
 ルフィの傍らに転がっているゾロは、最早それにツッコむ気力もなさそうだった。
 正直犬と本気で喧嘩するような人と関わり合いにはなりたくなかったが、残念ながらもう既に知り合いである。渋々、私は物陰から歩み出た。

「…ルフィ君何やってるんですか」
「あ! 聞けよアメリア! この犬がよ、全然動かねェから死んでんのかと思って目ェ突っついたら、いきなり噛みついてきたんだ!!」
「ルフィ君が悪い」

 喧嘩の理由もアホらしかった。犬相手とは言え、どう頑張っても鍛えようのない急所突くとは鬼の所業である。ゾロとナミが呆れきった表情をしているのが目に入らないのか、目に入っていて気にしていないのか。どっちだ。

「アホなことしてないで、ルフィ君、ゾロさんを中に運んでください。治療しますから…」
「この家の中か?」
「はい。…まあ家と言うより店っぽいですけど」
「あ、本当だ、看板があるわね。ペットフード屋さんか…。じゃあ、この犬は番犬なのかしら?」
「そうかも知れませんね。……ごめんね、商品盗ったりはしないから、中に入ってもいいかな」
「ワン!」

 ペットフード屋の真っ白な番犬に了承を得てから、ゾロを店内へ運び込む。店の奥の部屋にソファがあったので、ひとまずそこに寝かせる。

「ゾロさん、今から傷口の止血と縫合しますけど、麻酔切らしてるのでちょっと…そこそこ……かなり? 痛いですよ」
「構わねェ。さっさとやれ」

 痛みなんぞに負けるか、と鋭い目が言っている。まあ、9日間飲まず食わずで死ななかった男だ。この程度で弱音など吐くまい。未だ鮮血を零す傷口を圧迫し、縫合用の針と糸を取り出す。
 幾つか体に残る傷跡は、いつ頃ついたものだろうか。ゾロの過去を詳しく聞いたことはないけれど、多分昔から刀を振るい続けていたのだと思う。硬くなった手のひらは、彼の長年の努力を物語っていた。


 ***


 ゾロの治療を終えて店の外へ出ると、ルフィとナミと犬以外に、町長さんがいた。ルフィを捜しに町外れまで行ったときに出会った人だ。砲撃の音を聞きつけ町に向かおうとした私を、引き止めようとしていた内の1人でもある。

「町長さん? どうして此処に…」
「おお、さっきの! 無事じゃったか!」

 町長さんは私の顔を見て相好を崩した。結構心配されていたらようだ。申し訳ない。
 しかし彼は何故こんな所に居るのだろうか。犬の前にペットフードの盛り付けられた皿が置いてあるから、この犬に餌をやりに来たのかも知れない。

「むむっ! おい娘、よく見れば怪我をしておるではないか!」
「ああこの血はゾロさん…旅仲間を治療した時に付着したもので、私の血では…」
「アメリア! ゾロ治ったか!?」
「傷を縫い合わせただけで治ったわけではないですよルフィ君。人間はそんなに早く傷は治りませんからね?」
「じゃあいつバギーぶっ飛ばしに行くんだ?」
「あー…取り敢えずゾロさんの治療は終わったし今からでも…ああでもそれだと後から確実に文句言われる…?」

 ゾロの事だ、油断していたところを不意打ちで刺されたなんてプライドが許さないだろう。私達だけで"道化"を倒しに行ったりしたら、名誉挽回の機会を奪われたことを怒りそうだ。
 …ゾロが目覚めてから行くか。治療はしたのだから、その後ゾロがどうしようと私の責任ではない…と思う。思いたい。

「ま、待て待て!! バギーをぶっ飛ばすじゃと!? 危険過ぎる!!」
「そうよ! いくら強いって言ったって…相手は斬っても斬れない化け物なのよ!?」

 私達の会話を聞いていたナミと町長さんは大いに反対した。2人ともルフィの能力の事を知らないから仕方がない。もしルフィの実力を見ていなかったら、私とて反対しただろう。
 しかし、実は私は、この対決カードに大変興味があるのだ。打撃の効かないゴム人間と、斬撃の効かないバラバラ人間。勝つのはルフィだとは思うけれども、能力者同士の戦いを見るのは今回が初めてなのだ。今後のことを考えれば、見学しておいて損はない。

「まあまあ。大丈夫ですよ。幸いにもあの男がバラバラに出来るのは自分だけのようですし、刃物が武器の私とゾロさんは"道化"以外を相手取って、唯一格闘特化のルフィ君が"道化"と戦う予定ですから」
「道化って誰だ」
「あの赤っ鼻ですよ」
「ああ、バギーか」
「…何であんたらそんなに余裕なわけ…?」

 口元を引きつらせたナミが、今後の算段を立てる私に胡乱な瞳を向けた。そんなに見つめないで欲しい。照れちゃう。

 因みにナミと町長さんは置いて行くつもりだ。ナミは見ての通りか弱い乙女だし、町長さんは年が年だ。海賊同士の諍いに巻き込むわけにはいかない。
 幸いまだ猶予はある。ゾロが目覚めるか、若しくは向こうがやって来るまでは、休息時間としておこう。敵が近付いて来たなら、私が2人を避難させればいいだけだ。

 さてそうなると暇だ。町長さんと世間話でもしようかと呑気に考えていたとき、ふと食事を終えた犬が満足げに口の周りを舌で舐めているのが見えた。
 そういえば、この犬は何でこんなところに居るのだろうか。幾ら番犬とはいえ、現在町は海賊に占拠されているのだ。飼い主と一緒に避難していてもおかしくないのに、何故この犬はこんな所に残されているのだろうか。

「あの、町長さん?」
「ん?」
「この犬…」
「シュシュじゃ」
「シュシュはどうしてこんな所で店番を? 飼い主と一緒に避難させるべきでは?」

 私の言葉に、町長さんは微笑んだ。

「シュシュの飼い主はもうおらんよ。奴はこの店の店主で、わしの親友でもあったんじゃがな。三か月前に、病院へ行ったっきり…」

 最後まで言われずともわかる。その人は、シュシュを置いて逝ってしまったのだ。
 ナミは町長さんの言葉に目を見開き、シュシュを見た。死んだ飼い主、置いて行かれた犬。健気な犬は今も尚、店主不在のこの店を守るため、此処で番をしているのだ。

「じゃ、じゃあもしかして、それからずっと、おじいさんの帰りを待ってるの…?」
「みんなそう言うがね…。わしは違うと思う」
「…どういうことです?」
「シュシュは賢い犬だから、主人が死んだ事くらいとうに知っておるだろう。だがきっと、この店はシュシュにとって宝なんじゃ」

 宝、と。ルフィ君が繰り返すように呟いた。何かしら思うところがあるのだろう、被っていた麦わら帽子を外すと、それをじっと見下ろした。

「大好きだった主人の形見だから、それを守り続けとるのだとわしは思う」

 主人のため、か。

 私はどうだろうか。今、何のために生きているのだろうか。確固たる目的もないまま、感情だけで人生を歩んでいやしないか。進むべき道を、見誤ってはいないのか。
 幼い頃は怒りだけで生きていた。今ではそれも微かに揺らいでいる。何も守れなかった弱い私は、強くなった今でもまだ、守りたいものなど見つけていないのだ。
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