027

 ところで1つ、放って行くわけにはいかないものがある。

「……シュシュ」

 おずおずと、声を掛ける。傷だらけの白い犬が、砕け散ったペットフード店を見つめていた。
 彼は微動だにせず、吠えもしなかった。ルフィではないが、その身に纏うオーラが見えなければ、嘆き悲しむあまり息を止めたのかと思ってしまいそうな程だ。
 悲しいのは当然だ。町長さんもシュシュも、この場所を愛している。平和を奪われて、好き勝手に壊されて、平気でいられるものか。

 これは、私が後手に回ったせいだ。
 ゾロが起きてからとか、"道化"が動いたらとか、ごちゃごちゃ言っていないでとっととケリを着ければ良かった。例えゾロに文句を言われようが、この町で彼らと別れれば、もう私には関係ないのだから。
 ゾロの意思を尊重していたと言えば聞こえはいいが、単に他人任せにしていただけではないのか。それで余計に被害を増やしていては、元も子もないだろう。

 そこまで考えてから、私はシュシュの隣にしゃがみ込んだ。
 反省も後悔も、後で死ぬほどやればいい。出来なかった事やれなかった事を引きずっていては、今すべき事が見えなくなる。

 傷には触れないようにしながら、その背を撫でた。その体は、不健康に痩せ細っている。海賊に占拠された後も店番を続けていたというし、店の中の物を食べていた形跡もないから、町長さんが海賊の目を掻い潜って定期的に餌をやりに来る以外では、何も口にしていないのだろう。
 何度か撫でさする内に、シュシュはすっと顔をこちらに向けた。悲しむと同時に、何処か心配そうな目が何かを訴えかけている。

 嗚呼、シュシュはわかっているのだ。町長さんが、何処へ何をしに行ったのか、それがどれだけ危険な事かも。
 なんて賢く心優しい犬なのだろう。たった今宝物を奪われたばかりだというのに、こうして誰かの心配が出来るなんて。

「……ルフィ君、町長さんは……」
「──大丈夫! おれはあのおっさん好きだ! 絶対死なせない!!」

 私の問い掛けに、ルフィは白い歯を見せながら答えた。ぐるぐると腕を回して肩をならし、それを見たゾロが腹の傷の具合を確かめるようにややゆっくりと立ち上がる。

 ただの一般人や犬が、"道化"に立ち向かったところで勝てる見込みなどありはしない。しかし、先に町長さんも言ったとおり、無謀だとわかっていても、大切な物が理不尽に奪われるのを指を咥えて見ている事など出来ないのだ。
 それがわかっていたから止めなかった。そしてわかっているからこそ、助けに行く。

「一度なくした物は戻らない、けど。形がなくなっても、思いを繋ぐことは出来る」

 シュシュの頭を撫でながら、語り掛ける。細かい意味など理解出来なくていい。ただ、私の心が届けばいい。

「ここで終わりじゃない。ここからだ」

 じいっと私の目を見ていたシュシュは、徐に瓦礫の塊と化した店に歩み寄ると、その隙間に頭を突っ込んで、何かを引っ張り出した。ペットフード、それも一番目立つ場所に置かれていた、恐らく店の人気商品。
 それを咥えて、シュシュはてくてくと歩き出した。町長さんが走って行ったのとは反対方向、避難所のある方向へ。
 途中。くるりとシュシュは振り返り、ワン! と吠えて見せた。ありがとう、任せた、頑張れ。何だかそう言っているように聞こえる。

「うん、任された」
「おう!! お前も頑張れよ!!」

 ルフィと並んで手を振ると、答えるように何度か吠え、踵を返して駆け出した。その背を見送ってから、私達は"道化"のアジトの方向へ足を向ける。

「そんじゃ、急ぐか!!」
「だな」
「ちょっと待ちなさいよ、あんたも行くの? お腹のキズは…」
「治った」
「そんなすぐに治るかっ!!」

 ルフィを追い掛けるように走り出そうとしたゾロの首根っこを、ナミが掴んで引き止めた。何せ腹をナイフが貫通したのだ。普通なら立っているだけで辛いだろうに、走るなんて、それも戦いに行くなんて正気の沙汰ではない。あまり人間業とも言えない。
 しかしゾロは面倒そうにナミを見ると、溜息を吐いた。

「ハラの傷より、やられっぱなしで傷ついたおれの名の方が重傷なんだよ」

 そしてさっさと走り出してしまった馬鹿の背中を、ナミは困惑ここに極まれりといった様子で見つめていた。

「……あっきれた…。ねえ、あんた、あのバカ止めなくていいの?」
「男のプライドの問題に、女が口挟むもんじゃないってゼフさんが言ってたので」
「誰よ」

 男ってのは馬鹿な生き物なんだと、酒瓶片手に笑った知人の顔を思い浮かべながら、彼らの後を追うように走り出せば、ナミもついて来る。そのスピードに合わせて走る速さを調節し、とにかくアジトまで一直線に……一直線に?

「ちょっと、ルフィ君逆!! アジトがあるの左ですから!!」
「おお、そうか!」
「…ん? 何でお前らおれの前にいるんだ」
「それはこっちのセリフよ!! 私達より先に走り出したあんたが、何で私達の後ろから来るのよ!!! 手品か!!!」

 直後、ルフィの方向感覚のなさと、ゾロのもはや奇跡のような方向音痴とが発覚し、結局私が3人を先導して走る羽目になった。

 なんていうか、どうしようもなく緊張感に欠けていた。
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