一瞬、時が止まった気がした。
「え……か!!! か!!! 海賊王っていうのはこの世の全てを手に入れた者の称号ですよ!!? つまり、富と名声と力の"ひとつなぎの大秘宝"…あの、「ワンピース」を目指すって事ですよ!!?」
コビー少年が驚きの声を上げる。私はじっとルフィ少年を見つめた。彼は私の視線に気が付いたのか、こちらをチラリと見た。真っ直ぐな目が私を射抜く。言葉は紡げなかった。
「死にますよ!? 世界中の海賊がその宝を狙ってるんです!!」
「おれも狙う」
ルフィは、それが当然のように言う。その声に一切の迷いはない。
「……ム…ムリです!! 絶対無理!!」
コビー少年はそんなルフィ少年の言葉を、首を振りながら否定した。
コビー少年は、恐らくルフィ少年よりも物の道理というものを理解している。海賊王になるというのがどれだけ難しいことなのか、知らずとも想像出来ている。
だから止めるのだろう。見ず知らずの、とは言え一度顔を突き合わせ会話をした相手だ。このまま黙って行かせれば、それは彼を見殺しにしたも同然。きっとコビー少年は、そんなことが出来るほど冷たい人間ではないのだろう。
「ムリムリムリ無理に決まってますよ!!」
コビー少年は、まだ否定の言葉を重ねていた。随分必死だな、と心の中で笑う。
「海賊王なんて、この大海賊時代の頂点に立つなんて、できるわけないですよ!! ムリムリっ!!」
随分……必死……というか、否定し過ぎではなかろうか。そろそろ止めようと腰を浮かせた瞬間、ルフィ少年がコビー少年の額を殴った。がつんと音がして、コビー少年が軽く吹き飛ぶ。いいパンチだ。
「痛いっ!!! ど…どうして殴るんですか!!」
「なんとなくだ!!」
「いやあ流石にあの勢いで自分の夢を否定されたら殴りたくもなる…。でも本当に殴るのは良く無いですよルフィ君。コビー君大丈夫ですか?」
「あ…はい。大丈夫です。殴られたのは別に…いいや…慣れてるから…。えへへへ…」
「悲しいなあ…」
額を擦るコビー少年の横顔には哀愁が漂っていた。思わず勇気づけるようにポンポンと肩を叩くと、「ありがとうございます」と言って彼は弱々しく微笑んだ。幸薄そう。
ルフィ少年は私達の様子は一切気にしていないようだった。一瞬だけ私に視線を向けたあと、くるりと背を向けて頭の上の帽子に手をかけた。
「おれは死んでもいいんだ!」
「え?」
ルフィ少年の言葉を、コビー少年が聞き返す。
私は何故だか、ぞくりと背筋が震えて固まった。ルフィ少年が帽子を取り、それを見つめる。何かを懐かしむような、思いの外優しい目が麦わら帽子を捉えていた。
「おれがなるって決めたんだから、その為に戦って死ぬんなら別にいい」
思わず、目を、見開いた。
何故か、ルフィが言葉を放った瞬間、ルフィの纏うオーラが、一際強く光り輝いた気がした。全身に鳥肌が立つ。恐怖でもない寒気でもない、言いようのない高揚感が何処からともなく湧き出して、私は言葉を失った。
それは一見無謀な発言だった。まだ成人も迎えていなさそうな少年が海賊王になるなんて、その為なら死んでもいいだなんて、向こう見ずな若者のセリフそのものだ。
けれど何故か、私にはそうだと言い切れなかった。この少年はただでは終わらないと、きっと世界をひっくり返す男になると、……これこそが私の待ち望んだ人間だと、予感めいた、思い、が──
「し…死んでもいい…!!?」
──コビー少年の声が聞こえて、私は我に返った。
コビー少年はルフィの言葉に慄いているようだった。ふるふると体を震わせ始め、ギュッと両手を強く握りしめたのが見えた。
「…ぼくにも………やれるでしょうか……!! し…死ぬ気なら…」
「ん? 何が?」
「ぼくでも…海軍に入れるでしょうか…!!!!」
コビー少年の言葉に、ルフィが「海軍?」と不思議そうに聞き返した。
「ルフィさんとは敵ですけど!! 海軍に入ってえらくなって、悪い奴を取りしまるのが、ぼくの夢なんです!!! 小さい頃からの!!!」
コビー少年は興奮しきって声高に叫んだ。その声を聞きつけたのか、遠くでコビー少年とルフィを探していた足音が、こちらに向かって近づいて来るのが聞こえる。
私はさり気なく足音とルフィたちとの間に移動し、腰のナイフに意識を向けた。
「やれるでしょうか!!?」
「そんなの知らねェよ!」
ルフィは、どこか面白そうにコビー少年を見ていた。コビー少年個人に対して無関心だったのが、恐らく少しずつ、変わり始めているのだろう。
足音はすぐそこだ。
「いえ!!! やりますよ!!! どうせこのまま雑用で一生を終えるくらいなら!! 海軍に入る為、命を懸けてここから逃げ出すんです!! そしてアルビダ様…アルビダだって捕まえてやるんです!!」
殺意と怒りがコビー少年に向けられたのを見て取って、私は彼の腕を引いた。途端に金棒が振り下ろされ、船が、コビー少年が2年かけて作った船が、粉々に砕ける。
「誰を捕まえるって!!? コビー!!!」
「うわあ!!! ……ぼくの船…!!」
「しまったそっち狙いか…」
「このアタシから、逃げられると思ってんのかい!?」
巨大な金棒片手に、体の大きな女が言った。間違いなく、この人物がコビー少年が話していた"金棒のアルビダ"だろう。
「そいつらかいお前の雇った賞金稼ぎってのは…。ロロノア・ゾロじゃなさそうだねェ」
何がどうしてそうなったのか、不思議なことに私とルフィは賞金稼ぎだと勘違いされているようだ。金棒を肩に担いだその女は、大勢の仲間を引き連れ、私たちを見ている。
予想通り、大した相手ではなさそうだ。私はナイフを鞘から抜いた。
「最期にきいてやろうか…。この海で一番美しいものはなんだい…? コビー!!」
「え……えへへ、そ…それは勿論…」
コビー少年は、大量の冷や汗をかきつつ震えながら、恐らくは"金棒"の望む答えを口にしようとした。
たがしかし、やはりというか、それを遮ったのはルフィだ。彼は不思議そうな目でコビー少年と"金棒"を交互に見た後、"金棒"を指差した。
「誰だ、このイカついおばさん」
その発言に、その場にいた全員がぎょっと目を見開く。私も内心大いに焦った。なんてことを言うんだ、この少年は。すぐにその言葉を訂正させるべく、私はその頭を遠慮なくはたいた。
「ルフィ君見ず知らずの女性に対してなんてことを…!」
「そ、そうですよルフィさん! この方は…」
「例え事実でも言っていい事と悪い事があるでしょう!! もっとオブラートに包みなさい!! 失礼ですよ!!」
「いやあなたもだいぶ失礼なんですけど!!?」
ルフィは私の言葉に首を傾げた。
「オブラートってなんだ?」
「デンプンを糊化して急速乾燥させたもの。それで包めと言うのは、ようするに直接的な表現は避けて、遠回しに言えってことですよ。例えば「イカついおばさん」じゃなくて「大変逞しい体のお姉様」とか」
「なるほど。じゃあ、誰だこの「大変たくましい体のオネエサマ」」
「よし」
「よくないですよ!!」
コビー少年が大声で叫んだ。涙目でルフィの肩を掴み、その体をガクガク揺さぶっている。…少し遊びすぎたか。
「2人とも!! 訂正して下さい!! この方はこの海で一番…」
だがしかし、私たちの発言を訂正しようとしたはずの言葉は、途中で途切れた。瞳が迷うように揺れている。
「一番…」
何となく、だが。コビー少年の頭に浮かんでいる言葉が、わかる気がする。麦わら帽子を見下ろしていた少年の横顔が過ぎり、私は心の中でひっそりと笑った。
「一番いかつい、クソばばあですっ!!!」
シン…と辺りが静まり返った。怒りが頂点に達したであろう"金棒"が、無言でコビーに歩み寄る。怒りの咆哮が上がると同時に、コビーは両手で頭を抱え悲鳴を上げた。因みにルフィは爆笑している。そんな場合ではない。
「よく言った、さがってなコビー!!」
ルフィはコビーの肩を掴み、その体を後方へ押しながら自分は前へ進み出た。
「ル…ルフィさん!!」
「ルフィ君!?」
止めなければ、と私も前に出ようとしたが、ルフィに目で制される。何故かその視線に逆らえず、私はピタリと足を止めた。
「誰だろうと同じ事さ!! 3人共…生かしちゃおかないよ!!!」
金棒が振り下ろされ、ルフィの脳天を強打する。私は息を呑んだ、が。ルフィが倒れる様子は、ない。
「効かないねえっ! ゴムだから」
ゴム、だから。
にいっとルフィが笑った。思い出したのは、大渦の上で出会ったとき奇妙な伸び方をした腕、強めに叩いても通らないダメージ。
「そうか、悪魔の実…」
今まで目にした幾つかの違和感の正体もは、これだったのだ。これで漸く納得がいった。
悪魔の実とは、この世界に点在する、正体不明の不可思議な果実。食べれば特殊な異能を使えるようになり、売れば1億はくだらない。
悪魔の実の能力者を見たのはこれが初めてなのだろう、コビーや"金棒"、その仲間は、目の前の光景が信じられないとばかりに愕然としている。それは仕方のない反応とは言え、今この場においては命取りだった。
「ゴムゴムの、銃(ピストル)…!」
ぐんっと腕が後方へ伸びる。普通の人間ではありえない伸び方をしたその腕は、その反動で鋭く前へ飛び出した。その拳は正確に"金棒"の頬を捉え、殴り飛ばす。
吹っ飛んだ"金棒"は、その一撃で意識を失ったのか、仰向けに倒れたままピクリとも動かない。
"金棒"の背後にいた海賊たちは、自分たちの船長がやられたという事実に驚愕し、固まっていた。ルフィに向けて、化け物を見る目をしている。ルフィがそんな海賊たちに向かって一歩踏み出すと、海賊たちはその倍ほど後ずさった。
「コビーに一隻船をやれ! こいつは海軍に入るんだ!!」
「は…はい」
海賊たちは逆らうことも出来ず素直に頷く。それを見てルフィは満足そうに笑った。
「ルフィさん…」
コビーの目からポロリと涙が溢れる。だがそれが悲しいが故のものではないことは、誰の目にも明らかだった。
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