月島部長の場合



05


 ――すきです、つきしまさん。
 頭の中で、何度も彼女の言葉を繰り返す。その言葉がどんな意味で使われたのか、それが真にわからないほど俺も鈍感な男ではない。
 重い足で彼女のアパートの階段を下りながら――居酒屋での鯉登さんの言葉を思い出していた。

「気づいちょっじゃろ、あんおなご、わいに気がある」
「……なんのことですか」

 彼女がトイレに籠り始めた直後だった。彼がそんなことを言い始めたのは。

「月島は自分んこっになっと途端に鈍くなりもす」

 そんなことはない――はずだ。俺は俺のことをよく知っている。……と、言葉にはできず、俺は酒を呷り続けた。
 彼女にとって、俺はそんな感情を抱くような相手ではないことも、俺はよく知っている。

「それ、冗談でもあいつに言わないでくださいよ」

 む、と拗ねたように唇を尖らせて、彼が「冗談じゃなか!」と怒り出した。俺は、勢いよくテーブルに叩きつけたグラスからビールがこぼれるのを眺めながら、もったいないな、なんてことを考える。

「……あるわけないじゃないですか、そんなこと……」

 俺はなにかをごまかす様に手にしたグラスを傾けた。傾けてから、それがいつの間にか空になっていることに気が付きバツの悪さに席を立つ。「様子を見てくる」というもっともらしい理由を付けて。

「断っならまだしも、気づかん振りされっとが一番残酷じゃ……」

 ……俺の背中に、そんな彼の独り言のような声が突き刺さっていた。

「――残酷、か」

 思いのほか冷たくなっていた風を頬に受けながら、俺は長く息を吐く。

(なら、どうするべきだというんだ)

 泣きそうな声で「すきです」と繰り返した彼女の顔が、脳裏に深く焼き付いていた。

(その気もないのに、応えろと? ……それとも、あの人がいうように、きっぱりと断るべきだったと?)

 後者が正しいのだろう、と理解はしていた。心のどこかで、そうすべきだろう、とも感じていた。
 しかし俺は、そうできなかった。

(……なぜ?)

 ――その理由が、今の俺にはわからなかった。



 そんな週末を終えて、月曜日。

「おはようございます、部長」
「……おはよう」

 思いのほか、いつも通りの声色で彼女が俺に声をかける。
 何でもない風を装っているのなら大したものだ、と。
 本当に勘違いだったと気づいたのか、と。
 二つの気持ちを抱きながら、俺は深いため息を吐いた。

(……良かった)

 正直、ホッとした。
 やはりあれは気の迷いだったのだ。そして、彼女もそれをわかってくれたのだと、俺は安堵する。

(あとはもう、いつも通りに――)

 いつも通り、に?

(――戻るのか、俺もあいつも)

 俺はそれを望んでいたし、そうなるようにあの時彼女の部屋を去ったはずなのに。

 今更になって――なぜか少し、俺の心には暗い影が落ちるようだった。