同僚・有古の場合



02


 明けた月曜、私はすっかり治った頭痛に機嫌をよくしながら会社のドアを開いた。朝の挨拶を口にしながら少し離れたところにある自身のデスクの方へ向かうと、先に出社していたらしい有古くんが「おはよう」といつも通りの挨拶を返してくれた。

「おはよう、金曜は帰れた? ……って、有古くんに限っては大丈夫だったよねぇ」
「あんたよりはな」
「言うじゃん、でも一番ひどかったのはたぶん私じゃないよ?」

 一番初めに潰れて一番最後まで立ち直れなかった同期の名前を出せば、彼は「まだ、頭痛がひどいらしい」といって苦笑した。二日酔いならぬ三日……四日酔いとでもいうのだろうか、そんなに弱いなら飲みすぎには気を付けてほしいものだと毎回思う。

「自業自得とはいえ可哀そうだねぇ、私は酔っても次の日には回復できるし」
「そうなのか」
「そうだよ」

 飲んだ直後の様子ばかりを知っている彼には意外だったのか、少し驚いたような顔をされる。そりゃあ、飲みたて直後はテンションも無駄に上がっているし、ザ・酔っ払いという様相はしているけれど、さすがに何日も引きずるようなポカはしない。……はず。たぶん。今のところそんな記憶はない。

「よ、おはようイポプテ〜」
「……ん、ああ、おはよう」

 先週末の飲み会に参加していた男の一人がそう彼に声をかけた。いぽぷて……? とその単語を繰り返す私に、彼は「俺の名前だ」と言って少しだけ眉間に皺を寄せた。

「名前……? 力松、じゃなくて?」
「それは和名だ」
「和名……」
「……言わなかったか? 俺はアイヌだから」

 ああ、そういえばそんな話を前に聞いたことがあったような気がする。私には難しい話は分からないが、なるほど、そちらの名前も別にあるらしい。それで、面白い話を聞いたとばかりに早速その名前で呼び始めたわけだ。
 別にそれ自体は「ふぅん」という感じで、特に何も思うところはなかったのだけど――それを言った彼の、考えこむような表情が気になった。
 言いたいことを飲み込む子供のように口をつぐみ、私と目は合わせることもなく彼の名を呼んだ奴が去っていったほうをじっと見ていた。……もうそこには誰もいないのに、何か言いたげに、じっと。

(いい名前だね)

 ――と、言ってしまうのは簡単だが、なんとなく、彼がそう言われたいわけではないような気がして私も押し黙る。嘘ではないけど、なんとなく気を使ったみたいになるのが嫌だったから。

「……別に、何がどうだろうと有古くんは有古くんなのにね」
「!」

 あの同期はいいやつだけどちょっと無神経なところがあるから、きっと、彼に色々聞いたのだろう。たぶん彼にとってはそれが面白くなくて……少なくとも、礼儀正しい彼が挨拶を言いよどむくらいには嫌で、だからきっとそんな顔をしているのだろう。そう考えるとなんだか私も不愉快で、なんだか彼を励ましたくなったのだ。
 ……今の私の返答で、励ませているかはわからないけれど。
 彼はまた驚いたみたいに目を丸くして、私を数秒間見下ろしていた。なに? と何でもない風に首をかしげると、彼は「いや」と言って破顔する。ぎゅっと寄せられていた眉根を離し、いつもの優しい笑顔で苦笑する彼に、私は少しだけ安堵した。

「さ、今日も頑張ろうね、有古くん!」
「ああ、そうだな」

 そう言って、私たちはそれぞれの席につきパソコンを立ち上げる。いつも通りに。
 ……いつも通りに。