同僚・有古の場合
04
目が覚めたら知らない天井だった――なんて、よくあるフィクションの常套句。まさか、まさか本当に、そんな状況に遭遇するとは。
それが、目が覚めた瞬間私が考えたことだった。
「……っ!?」
勢いよく飛び上がり、私は周囲を確認する。生活感のあるワンルーム……どうやら、ホテルなどではないらしい、と、一旦安堵。
では、誰かが私を家に連れて帰ってきてくれたのか? と考える。しかしあの飲み会のメンバーには私以外の女性は一人、しかも彼女の家は私の家よりずっと遠くだ。そこまで連れて帰ってきたとは思えない。
――なら、他の、近場に住んでいる誰か……?
バッ、と布団を捲り自分の衣服を確認した。どうやら脱がされているのはジャケットだけのようで、シャツもパンツも着衣しているままのようだ。強いて言うなら、首元のボタンとベルトが外れているくらい。
恐らくそれも介抱のためなのだろう、いや、そうでなくては困る。と冷や汗が首筋を伝うのを感じていると、水の音と共に「起きたのか」という低い声が聞こえる。はっと息を呑み顔を上げれば、そこにはコップを両手に持った有古くんが私を見下ろしていた。
「こ、ここは」
「俺の家だ」
「有古くんの!? え、あ、わた、私」
「……安心しろ、何もしてない」
「そ、そ、そ、そっか」
差し出された水を受け取り、お礼を伝えてから口をつける。冷たいものが喉を通り抜ける感覚に、少しずつ私の思考ははっきりとしていった。
……しかし、昨夜の記憶だけは戻らない。なんだか、酔い潰れて倒れたような気がするが、まさか、そんなわけはないはずなんだが。
「お前が潰れて倒れたから、一番家が近い俺が預かった」
そんなわけがありましたなんてこった。
「そ、れは……すいません……ご迷惑を……おかけしました……」
じ、と私を見る彼の視線が私を責める。呆れと怒りと、後多分、心配と。そんな目で見られると申し訳なさばかりが募って、私は再度「ごめんなさい」を繰り返した。
「で……でも有古くんでよかった! 他の人だったら変なことされちゃうかもだもんね〜!」
有古くんは安心だもんね! と、わざと大きな声で笑ってみせる。話を変えたいというか、誤魔化したいというか……多分、彼はそんな風に考えてるのも気づいてまたやれやれと肩をすくめてくれるんじゃないかと期待して。
それで、もう一度謝って、今度お詫びにお昼ご飯でも奢って、今回のことはそれで終わり。それでも終わりにできないなら、お昼だけじゃなくて夜ご飯も奢っちゃおうかな! ……と、もう本当能天気に、私はそんなことを考えていたのだけど――私の希望に反して、彼は黙りこくったままだった。
「……有古くん?」
彼は寝台に腰掛けて、私に背を向けたまま何も言わない。私は彼の表情が見えないのがちょっと不安で、覗き込むみたいに身体を傾けた。それでもやっぱり、彼の顔は見えない。
もしかして、私が思うより、怒ってるのだろうか。その可能性はなくはない。醜態を晒したのは事実だし、本格的に呆れられちゃったのかも。
心音が速まるのを悟られないようにもう一度彼の名前を呼べば、ようやく彼が私のことを振り返った。
「……何もしていないのは本当だ、だが——俺も、男だ」
――そう言ってこっちをみる瞳の熱にドキリとする。初めて見る顔だった、知らない顔をした有古くんがそこにはいた。
その言葉の真意を図りかねて戸惑っていると「変なことを言ったな、悪い」と、彼がまた私から視線を逸らしてしまう。その背に手を伸ばしかけて――その手を下ろした。いや、だって、仮に今彼の服の端でも引いてみせたところで、なんて言っていいか全然わかんない。
「必要ならシャワーも貸す」
「あ……いや、大丈夫……帰ってからはいる、かな」
「そうか」
こんな状況で無防備な姿を晒す気にもなれず、私はそう言って身支度を整え彼の部屋を出た。彼と別れる前にもう一度「迷惑かけてごめんね、ありがとう」と告げてアパートの階段を降りる。
結局、彼の玄関の扉が閉まるまで、私と彼の目が合うことはなかった。