鯉登音之進の場合
04
さてどうしたものかと私は考えていた。
今日は鯉登さんの勤める会社への訪問日。そして偶然鯉登さんに出会ったあの日から数えて二週間が経ち、それ以来の久しぶりに彼に会える日でもあった。
(……久しぶり、というほどでもないか)
普段だってそれくらいの頻度でしか顔を合わせていないし、と、脳内で自分の思考に突っ込みながらにわかに重く感じる足を動かした。
私の歩みを鈍くするのはひとえに彼に借りがあると感じているからで、どうにかそれを返せないものかと考えているからに他ならず、その手段が思いつかないからこそこの会合が憂鬱なもので……
(……こうなったらもう、同じようにご飯に誘うしかない。幸い給料が入ったばかりだし……!)
鯉登さんを連れて行っても問題がなさそうなくらいにはしっかりした、しかし私でも金銭的になんとかなりそうなお店を探し、招待するしかない。
そう決意した私は、仕事の話が全て終わった後すぐにその旨を彼に伝えてみることにした。
「…………別にお前に出させるつもりはない、が、申し訳ないと思うならまた付き合え」
返ってきたのはそんな返事。静かに、いつもよりずっと落ち着いた様子の彼に、私は思わず面食らった。もっとこう……いつも通り不遜な態度で「まぁ仕方ないな! 行ってやってもいい」とか言ってくれるんじゃないかと思っていたので。
「付き合えと言われましても……それってまた、鯉登さんの行きたいお店ですよね?」
「ああ、問題あるか?」
「……いや、流石に鯉登さんが選ぶクラスのお店をぽんぽん奢ってもらうわけにはいかないですよ、庶民クラスで申し訳ないですけどもう少しカジュアルなお店で私が」
「私が出すと言っている」
「いやだから出してもらうわけにいきませんって、大体なんでちょっと頑ななんですか」
「……私が行きたい店がある、だから私が払う、おかしいことはないだろう」
「じゃあその店はお一人で行けばいいじゃないですか」
「前にも言った、一人では味気ないと」
「わ、私じゃなくてもいいじゃないですか……」
「…………嫌なのか、私の話を聞くのは嫌いじゃないと言っていたのに」
「………………んん……!」
――そうこうして、私は結局また彼の指定するレストランで高級料理に舌鼓を打つことになってしまった。
「なんだ、お前またその服を着てきたのか」
以前鯉登さんに買ってもらった服を着て待ち合わせに向かうと、出合頭早々にそんなことを言われた。
「……ええ、まぁ、他に何を着ていいかもわからなかったので」
わからなかったというよりは持っていないというほうが正しいが。
そのまま服の話をしながら中へ、席について料理が運ばれて来るまでも「わからないとはなんだ」「難しく考える必要もないだろう」「私は気にしない」などなどその話は続き、私がその度笑って誤魔化すたびに彼は拗ねたように口をへの字に曲げていった。
そんな鯉登さんから目をそらしながら私は目の前のお肉にナイフを入れる。今日も今日とて高級店の空気に圧倒されてはいるものの、事前に心の準備ができていた分いくらかは料理の味も理解できた。うーん、おいしい。
……ところでこのお店、この前のところよりさらに上等じゃないか? 気のせいか? きのせいだといいです。
「こだわりがないのならまた前の店で店員に任せてしまえばいい……あぁ、だがどうせならあまり派手じゃないものを選べ、その方が似合う」
頬を緩めながらさらりとそんな事を言う彼に、私は半ば呆れのようなものを感じながら「そんなほいほい買えるような値段のお店じゃないでしょう」と笑う。実際、帰ってからお返しの参考にしようとブランド名でお値段などを調べた私は二、三回失神しかけた。
「そうか? ……だが、もう何着かは持っておくべきではないか、突然必要になっても困るだろう」
「ああ……この前鯉登さんに誘われた時みたいに?」
「む」
「ふふ、すいません、ちょっと言ってみたかっただけです、何もかもお世話になっておいて言う事じゃないですね」
彼の表情がコロコロ変わるのが面白くてそんな軽口を言ってみた。案の定少し眉根を寄せる様子が可愛らしく、私は思わず笑ってしまう。それが面白くはなかったのか、まだ少し拗ねたような顔をしたままではあるものの、「また私が見繕ってやってもいい」なんて事を言い出した。
「いやいや、流石にそれは……理由がないです」
「気にするな、私がそうしたいだけだ」
「はぁ……変わってますね、鯉登さん。たかだか仕事で付き合いがあるだけの相手にそこまでしますか、普通」
「……――」
ぽろり、と本音が口に出た。言うつもりもなかったのだが、ずっとそんなことばかり考えていたものだから、つい。それに対して彼がなにも返さないものだから、今の言い方は不味かったかもしれないと私は恐る恐る彼の顔色を伺った。
「…………好きでもないやつにここまでするわけないだろう、私を何だと思っている」
え? ……と、聞き返すような驚いたような声が私の口から小さく漏れる。それに対してもやはり何も言わず、永遠にも思えるほどの沈黙が二人の間に流れた。
彼はただ黙って手にしたグラスを飲み干して、赤らんだ頬のまま私の目を真っ直ぐに見つめている。
「………………嫌なら、そうと言え」
不機嫌にも思えるしかめっ面で、彼はそう付け足した。
「いえ……あの………………少し、考えさせてください……」
気まずさに目を逸らしたのは私の方で。
――結局、今日も味なんてわからなくなってしまった。