三節「権謀術数このように」



 山小屋にを訪ねてきたその男は酷い有様だった。
 全身の打撲はもちろんのこと、特にひどいのは顔の傷である。何を思えば、何のためであるならここまで周到に痛めつけることができるのだろうと私には不思議でならなかった。
 それでもその男は足のふらつく男に肩を貸し、自身はしっかりとした足取りでここまでたどり着いたらしい。目に見える怪我だけならもっと軽傷であるはずの都丹さんのほうがよっぽどぐったりとした様子で床へへとなだれ込んでいた。

「まずは手当てが必要だな……ゆき」
「はい」

 満身創痍の男、有古力松から数枚の刺青人皮を受け取った土方さんが私に声をかける。そうなるだろう、と予想していた私は準備していた応急処置の道具を手に有古という男の傍へと膝をついた。

「! お前は……よく、あん摩に着いてきていた、」
「はい、お父さん≠ェよくお世話になりまして」
「おい、その呼び方もうやめろ」

 偵察時の設定を持ち出して笑えば隣で聞いていたらしい都丹さんから苦言が漏れる。この扱いは私としても不服ではあったが、自分よりも嫌がっている人間を見ると少しばかりは面白くも感じるものだなと私は少しだけ気分を良くした。

「都丹さんは怪我はないですか?」
「あぁ、疲れただけだ……眠れば治る」
「わかりました。じゃあ、ええと……有古、さん? 傷を見せてください」

 よろよろと寝床へ歩いていく「元」お父さんの背中を見送って、私は改めて傷だらけの男へと向き直る。よく見てもやはり重症としか思えない怪我の多さに、私は思わずため息を吐く。

「……すごく痛そうです、大丈夫ですか?」
「あ、ああ」
「この、大きい傷跡、きっと治ったばっかりだったんですよね? かわいそう……」

 年相応の女の子のように、血や争いを嫌煙する無垢な少女のように眉尻を下げる私を、彼は怪訝そうな瞳でじっと見つめていた。それはそうだろう、私が彼と同じ立場だったとしても同じような反応をする。「土方歳三にここまで付いて来ている時点でこの女も同じ穴の狢なのだろう」と判断する。

「ゆき、と呼ばれていたな」
「はい」
「……聞いても構わないか」

 ふと、彼が痛むであろう口を開く。何をです? と聞き返せば言い淀むように息を呑み、周囲を警戒するように小さく声を落とした。

「その……なぜ、土方歳三についてきているのか」

 やはり金塊か? という問いかけについつい不貞腐れそうになる自分を押し込めて、私は至極冷静な風に「違いますよ」と答える。

「要らないですよ、お金なんて」
「なら何故こんなに危険なことに」
「それは、だって――私、土方さんが好きだから」
「は…………」

 淀みなく言い切った私に彼は困惑の表情を見せる。そうして私の言葉の意味を咀嚼したのかしばし沈黙した後に、少し慌てたように視線を彷徨わせた。

「そ、それは――………………いや、そう、か…………」

 納得とは違うが理解はしたのだろう、何故か彼を好きだと宣言した私よりも顔を赤くして、ううん、と何かを考え黙り込んでしまった。多分、嘘の吐けない人なんだろうと、思う。
 ならば。

「じゃあ私も聞いていいですか?」

 話題が変わったことに安心? したのか、彼は俯いていた顔を上げ「ああ」と頷いた。私は先ほどから変わらぬ笑顔を貼り付けたまま、彼にこう尋ねる。

「有古さんは、本当に、土方さんについてくる人ですか?」
「!!」

 じわりと彼の額に滲んだ汗がそれを否定する。ああ、やっぱりなぁ、とは思いつつもそれには気がつかないふりをして、「まぁ、そうだからこんなボロボロになってまで刺青人皮を持ってきてくれたんですもんね」と私は続けた。

「そう、だな……」

 受け答えもそぞろな様子からも彼がスパイに向いていないのは明らかだった。私ですらそう感じるのだから恐らく向こうも捨て駒くらいにしか思ってはいないのだろう。
 不憫だ。……素直にそう思った。
 


「――そうか、やはりな」

 白い息を吐きながら私は全てを土方さんに告げた。小屋から少し離れた林の中、有古さんと深く眠る都丹さんを置いて私たちは内緒話のために集まっている。全てわかっていたかのような彼の物言いに、私は私のはじめての|謀《たばか》りは無駄ではなかったかと少しだけ胃の辺りがソワソワするような気分だった。

「お前は人を良く見ている」
「! へへ、お役に立てました?」
「ああ」

 肯定の言葉に安堵した私は詰まっていた息をホッと吐き出し、上がりそうになった口角をぎゅっと引き結び笑みを隠した。こんなことで浮かれているわけにはいかないと思い必死に堪える私の頭を、彼の大きな手が優しく撫でる。

「よくやったな」
「へ、えへへ……」

 そうなればもう耐えられるわけもなく、私はされるがたまにだらしのない顔を彼に見せてしまった。もういいかどう思われたって……と開き直った私は思いのままに夏太郎の方を振り向き「羨ましかろう」という思いをいっぱいに込めて胸を張る。

「……いや、そんな顔されてもな。そんなんで喜ぶほどガキじゃねぇよ」
「なんで! 夏太郎だって土方さんに認められたいってこの前……」
「あー! あー! やめろ本人の前でそういう話……! っていうかいい加減俺だけ呼び捨てなのもやめろよ!」
「だって夏太郎は私より後に土方さんのどこにきたもん、私の方が偉いですもん」
「が、ガキ……!」

 ふふん、と満足感を前面に出して言い返せば、それを見た永倉さんが呆れたように息を吐き土方さんは愉快そうに笑った。そうして夏太郎にむけて「なんだ、夏太郎も撫でて欲しかったか」と戯れに問いかけては「違いますって!」と夏太郎に返されたりなどしている。

「ふ、それは残念だな」
「ざ、残念って……土方さん、なんか楽しそうっすね」
「そうか?」

 本当に楽しげに微笑む彼の顔を見て私も胸が温かくなり――
 ――同時に、あの不憫な男をこのように冷酷な作戦に使う・・ことができる彼の強かさを、少しだけ、遠いもののように感じていた。