六節「春愁を待ち侘びて」
「――思っていたよりも、見どころのあるやつだったか」
心なしか楽しげに、彼が言う。私は止めていた呼吸を再開させ上下する肩を誤魔化すように「ありがとうございます」と震える声を絞り出した。
「……でも、結局、土方さんに助けられました」
「だが私が手を出さなければお前がやっていた、そうだろう」
「…………そのつもりではいました、けど……」
それでも、私はこの手を汚しはしなかった。
後ろめたく思う私の気持ちを察してか、彼は切長の目を細め優しい手つきで私の頭を撫でる。驚くと同時に、それをなんだか嬉しく思い、私の口の端はついつい綻んだ。……足元では、名前も知らない男が血溜まりの中で動かなくなっているというのに。
「死ぬ気でも殺す気でもなければ、あの状態で身体ごとぶつかろうとは考えない。……気概のある娘だ、お前の父親によく似ている」
「……! お、お父さん、に?」
知らずのうち高くなる声に気づき、私の頬はカッと熱を持つ。そんな私の様子がおかしかったのか彼も口角を上げた。
(笑った……)
微笑む彼を見るのは初めてではない。それでも、この時になってようやく私はこの人のこの表情が好きなんだと思い知る。
――この顔が、好きなんだと思い知る。
「さて……そろそろ行くぞ」
「あ……っ、あの、土方さん……っ、私……!」
踵を返した彼の名を呼んだ。今しかない、そう思った私は振り向かないその背をまっすぐに見据え、肺いっぱいに息を吸い込んだ。
「私、絶対帰りません――貴方のそばに居させてください!」
彼が、振り返る。
「それは、お前の父の代わりに、か?」
「いいえ!」
本当はそれもあるけれど、と思いながらも私は頭を横に振った。汗ばむ拳を握りしめ、私はもう一度口を開く。
「私が、あなたの……土方さんの、側にいたいと思ったんです 役に立ちたいと、思ってるんです」
「…………そうか」
それだけ言って、彼はまた背を向けてしまった。伝わったのか、伝わらなかったのか。そわそわとした気持ちで「あの」「えっと」と先ほどと打って変わった小さな声で繰り返す私に、彼は顔だけをこちらに向けて微笑む。
「早く着いて来い、ゆき――私のそばに、居たいのだろう?」
「は――な、なまえ……」
市村、ではお前の父と同じになってしまうからな。と言って、彼はまた笑う。私は上擦る声で「はい!」と大きく返事を返し、跳ねるような足取りで彼の元へ走り寄った――。
「――と、言うわけで! 私は土方さんのお側にいることを許してもらっているわけです!」
「へぇー、あ、キラウシ、酒おかわり」
「自分で注げジジィ」
へべれけ状態の門倉さんを前に、私はえっへんと胸を張る。すでに彼の相槌が雑になってきていたことには気づいていたが、私は関係ないとばかりに話を続けた。
「それでですね、その後……」
「えぇ、まだ続くのぉ?」
「当たり前じゃないですか、門倉さんから訊いてきたんですから、ちゃんと最後まで聞いてください!」
少し身をひいた門倉さんの肩を掴み、酔いを覚ましてやろうと前後に揺らす。「やめてくれ」と困ったように眉を八の字にする彼の肩を掴んだまま、私はまた話の続きを語り始めた。
「――それで? あの嬢ちゃん随分とあんたに入れ上げてるみたいだが、どうにかしてやるつもりがあるのかい、ジイさん」
やいのやいのと騒がしい彼女を遠目に眺めている私に、牛山は問いかけた。
揶揄う様子でもない声色に、どう答えてやろうかと考えて……いいや、やめておこう、と私は笑みをこぼした。
「さてな」
曖昧にそんな言葉だけを返して窓の外を眺める。つい先日まで毎日のように白く澄み渡っていた空が、近頃は青空をよく見せるようになってきていた。
「……雪解けか」
春は近い。近いうちに訪れるであろうその日にはもう残雪がないであろうことを、少しだけ――ほんの少しだけ、名残惜しく思う気持ちだけがそこにあった。