一節「雛鳥は鳴く」
話は少し、遡る。
それは、網走監獄へ潜入するよりも前、まだ、杉元一向と出会うよりも前の話――
「私が代わりになります!」
「ダメだ」
一切の間を置かずの即答。私は唇を尖らせながら、なんでですか! と声を貼って抗議する。しかしそんな私には目もくれず彼は続けた。
「危険すぎる」
「危険なんて承知でついてきています!」
「だとしてもわざわざ自分から死にに行くのは愚か者のすることだ」
ぴしゃりと言い放つ彼の剣幕に押され、私は一瞬言葉に詰まる。その上言い返す余地もないところがまた、一層私の口を固くした。
「で、でもじゃあ……千代子さんの代わりなんて誰がするんですか」
それでも納得はいかずちらりと隣を伺えば、お腹の大きな女性が困惑した表情でこちらを見ていた。彼女の誘拐をでっち上げ女将に刺青人皮を差し出させようという作戦の中、今は、彼女の身代わりをどうするかという話し合いの最中である。
まぁ、話し合い、というか。私が一方的に蒸し返している、というか。
「永倉にやらせると言っているだろう」
「で、でも! 女の私の方がそれっぽくなるんじゃ」
「妊婦のふりをするために腹へものを詰める、体格は問題にならない。……そもそも、お前では背丈が足りん」
「うぐ」
正しい、彼の言うことは一から十まで全部正しい。今この場において私にできることなどなく、それがたまらなく口惜しいとはいえ、やはり最後は「わかりました」という他にはなく。
……別に、困らせたいわけでもないのだ、役に立ちたいというだけで、それだけで。
「そうだな……その代わりお前には番屋の見張りを頼みたい」
「番屋? でも、受け取ったらそのまま馬で逃げるって……」
「成功すればの話だ。……先の軍服の男が気になる、用心に越したことはない」
なるほど、とわかったようなフリをして意味ありげに頷く私を見下ろして、彼はすべてわかっているみたいに微笑んだ。
――結果として、彼の読みはずばり正しかったのだ。
「オヤジッ……もういい、もう十分だろッ!」
男の震える声が聞こえる。私は物陰で息をひそめながらその一部始終を聴いていた。
もし女将の持ち出した刺青人皮が偽物ならきっとここに取りに戻る事態が起きる、と彼は言った。その時、刺青人皮が次にどこに持ち出されるか、しっかり確認するのが私の役目だと。事実その通りに、番屋には火がかけられ彼女たちはそれを取りに戻ってきた。
そうして、なぜか、日泥の主人が女将さんを殴り殺したのだ。
(なん、なんで、どうして?)
二人の、いや三人の間に何があったのかなんてのは、ここに隠れていただけの私は知らない。とにかく、あの刺青だけは見失わないようにと目を凝らしたところで――銃声が、鳴り響いた。
(ひ……!)
こぼれそうになった悲鳴を必死にこらえ、息をひそめる。崩れ落ちる自身の父親を呆気にとられた様子で眺める男から思わず目をそらし、私は乱れる息を整える様に口元を両手で覆い隠した。
「――親殺しってのは……巣立ちのための通過儀礼だぜ」
思うよりも近くからそんな声が聞こえる。地の底から響くような、どこか怒りを感じるような声色だった。その声の主も刺青を狙っているのだろう、涙声の男と二、三言話したかと思えば、逃げていくその背中を追い打つことはしないようだった。
(さっきの、軍服の男、かもしれない)
そうであれば取り返すのは難しい。もしそうでなかったとしても先ほどの射撃の音からして相手は銃を持っている。……土方さんへこの顛末を伝えるために自身の身の安全を第一に考えるのなら、顔を確認するだけで留めるのが良いのだろう。
無意識に止めていた呼吸をわずかに再開させ、私はそろりと銃声がした方を覗き見る。そこには予想通り軍服の男が立っていて――
「……で? そこにいるのは誰だ」
「……っ!」
――その男と、目が合ってしまった。
逃げ出そうと腰を浮かせたところで足元に一発着弾する。慌てていた私は驚きも相まってそのまま後ろへとバランスを崩し、見事な尻餅をついてその男の前に姿を曝け出してしまった。
これではもう逃げられない。観念した私は、汗の滲む拳を握りながらじっとその男の黒い目を見上げた。
「お前、たしかジジイについて付いてたやつか? ――丁度良い、少し付き合えよ」
「な、なにを……きゃっ!」
腕を強く引かれ無理やりに番屋の中央へと引き摺り出される。こんな状況でなければ「乱暴だ!」と憤りもしたが、未だに残る硝煙の香りと彼の手にした銃が私から反抗する気持ちを失わせた。
ただ大人しく彼の一挙手一投足に注意を払っていると、外から二人分の足音が聴こえる。恐らく土方さんと永倉さんのものだろうそれを聞いた軍服の男は、「そらきたぞ」と嫌に不快な笑みを浮かべていた。
――「腕の立つ用心棒はいらねえかい」
あの後、番屋に来た二人に向かって、この軍人はそんな提案をした。私は多分、断られた時の脅しにでも使われる予定だったのだろう。
しかし想像に反して土方さんは「いいだろう」と首を縦に振った。それで交渉は成立、この男――尾形百之助は私達と行動を共にすることになる。
もちろん、私はちっとも面白くないのだけれど。
「あっ……おっ、尾形……さん」
「……あ?」
そんなある日の夜、夜風にあたろうと宿を出たところでこの男とバッタリ出会ってしまった。信用したわけではないということで別の部屋を取っていたのだが、まさかこんな偶然が起こるとは。
「なんだ、こんな時間に一人で夜遊びか」
嫌味な笑みを浮かべるその男には相変わらず嫌悪と恐怖しか感じない。私は「少し外の空気が吸いたかっただけです、すぐ戻ります」と早口で伝え、宣言通りすぐに部屋に帰ろうと踵を返す。
しかしその時、なんとなく、彼の言ったあの言葉の意味が知りたいと思ってしまった。
「あの、尾形……さんは、巣立ちの通過儀礼って言ってましたよね? 茨戸で」
「あ?」
まさか私が話を続けるとは思わなかったのだろう。打って変わって不機嫌そうな声で彼が眉間に皺を寄せる。
「……言ってましたよね?」
「……覚えてねぇよ」
銃を背負ったままの彼は苛立つ様子で髪を撫で付けた。まだ少し彼のことを怖いと思う気持ちはもちろんあるが、私の好奇心は恐怖に勝る。あの時気になっていたことを私は彼に問いただした。
「じゃあ――親殺しもできずにいたままじゃ、ずっと雛鳥のままなんでしょうか」
「は……」
質問の意図が分かりかねるとでも言うように間の抜けた声を上げ、彼の口が薄く開く。
「私……早く大人になりたいのに」
父も母ももういない。両親の死が成熟へのきっかけになるとするなら、私はもう大人でないといけないのだ。しかし現実はそうではなく、目の前の男をはじめとした多くの人間は私のことを「子供」だとして扱う。
……もし本当に、自分の手にかけることが必要だと言うのなら、すでに親のいない私は、代わりの誰かが必要なのだろうか。
例えば、そう例えば、親代わりのように目をかけてくれる誰か、とか。
「知るかよ、お前みたいなガキのことなんか」
「むぅ……」
彼はそう言って不快感を隠すこともないまま夜の町へと姿を消した。思っていたような答えは得られぬまま。
(私が大人になるためにそれが必要だというのなら)
ちらつくのはあの人の背中、だって現に今私に目をかけて助けてくれているのは、彼に他ならないのだ。
(でもそんなのは、嫌だな)
彼を失いたくはない。そもそもが、彼に認められるような大人になりたいのだから、それでは本末転倒だ。
それでも、雛のままではいられない。
(だって、親子のように、では嫌だから)
……そばに居られれば良いと思っていたはずなのに、どうしてこんなにも彼との差を煩わしく思ってしまうのか――
その理由は、今はまだ、わからないまま。