菊田 杢太郎


 手渡された紙の束。と、共に告げられた「いつも通りよろしく」という言葉。すでに何度目かのそのやりとりに、私はただ素直に「わかりました」と告げてそれを受け取った。

「相変わらずたくさんですねぇ、お手紙」
「ははっ、まぁな……中身は見ないでくれよ? 恥ずかしいから」
「うふふ、見ませんよ」

 ああ、良かった。なんて言いながら彼は口の端を片方だけ持ち上げて笑う。それがあまりにも様になっているもので、私の心臓もどきりと跳ねた。いけないいけない、雑用これも女中の私のお仕事のひとつなのだから、こんな浮ついた気持ちでいたってしようがないじゃないか。

「いつもありがとうな、と……あー、ろくなもんねぇな……」

 頬が赤くなっているやもしれない、と心配する私の目の前で、彼は何やら机の上を探り始めた。ふと、小さな包みを指先で見つけ、おっ、と嬉しそうな声をあげて私へと向き直る。

「ほら、これも貰っといてくれよ、大したものじゃないんだが」

 手渡されたのは飴の包み。私は、これを探すために唇を尖らせ難しい顔をしていた彼の様子を思い返し、吹き出しそうになるのを堪えながらそれを受け取った。
 だってちょっと、可愛らしいじゃないか。

「飴、ですか、うふふ、子供扱いされています?」
「まさか! ……あんたみたいな別嬪さん、子供だと思いたくても思えないよ」
「まぁ……」

 お世辞が上手ですね。そんな声は小さくか細くなってしまった。思わず、恥ずかしさで。
 そんな私の心情を知ってから知らずか、彼は口の端を持ち上げたまま「嘘じゃないさ」と言葉を続ける。

「もう……そんな風だから、こんなにお手紙出すことになるんじゃないですか」

 彼は意外そうな声で応える。

「ん、うん? それはどういう……」
「えっ? だって……これ、女性へのお手紙じゃないんですか?」
「えっ……い、いやいやいや、違うって! そんなわけないだろ」

 宛先の全て違うお手紙、その中に、何度か同じ宛先があったのをよく覚えていた。……詮索するつもりもなかったが、きっとそれが本命というやつで、他はきっとそうでない女性への恋文か何かなのかと……私はてっきり、そう思い込んでいたのだ。

「俺のことなんだと思ってる? 女中さん」
「いやぁ……だってほら、菊田さん、女性に困らなさそうというか、良い人の一人や二人、いらっしゃるんだろうなと思っておりまして」

 何度か「中身は見ないでね」と言われていたのも、そういうことかと。

「違うよ……あ〜、そうか、俺、君にそう思われてたってこと? 何人もの女に手を出してるような」

 そういうつもりじゃないですけど。
 声に出さずとも顔には出ていたのだろう。彼は軽くため息を一つ、そうしてやっぱり微笑みながら、気まずい私の顔を覗き込むみたいにして言った。

「けどまぁ、じゃあ、君の目にはそれくらい魅力的に映ってるってことだよな」

 それは良かった、なんて言うのは、ほら、だって、世の中の女性がみんな勘違いしちゃう仕草じゃあないですか。
 今の私みたいに。

「あまり揶揄わないでくださいね、私、あまりそういうのは、慣れていないんですから」
「ふぅん、そうなんだ、良いこと聞いたな」

 何が良いのか。

「……ところで、君にはいないの」
「? いないの、というのは」
「そういう、手紙をやるような、良い人=v
「い」

 音を立てて手紙の束が落ちる、いや、落とす。その後ですぐに正気に返った私は、少し驚いたような顔をする彼から目を逸らしながらそれらを拾い集めるために腰をかがめた。

「す、すいません、少し、驚いて……」
「いや、いいよ、大丈夫」

 はい、といくつかを手渡され、しかし目は見れず、小さな声でお礼だけを口にした。
 顔が、熱い。

「それで、どうなの?」
「どう、とは」
「いるのか、いないのか」
「………………い、いません」

 蚊の鳴くような声だと自分でも思う。ああ、こんな茹でた蛸より真っ赤な顔で、一体何を隠せるというのか。期待も恋心も隠せないまま、私は彼の問いに素直に答えた。

「じゃあ俺がなっちまおうかな、君の良い人≠ノ」

 ——それは、
 息を呑む。息が止まる。顔を上げたその先では、ふざけた様子もなくただ真剣な、優しい目で私を見つめる彼がいた。

「傷もだいぶ良くなった、恐らくもうすぐ俺たちもここを離れるよ」

 大きな手のひらが彼自身の左胸を撫でた。そこにあった大きな裂傷は、彼の言うとおりもうすでに痕を残すのみとなっていた。その日が、彼がここを立つ日が近いというのは、私も薄々感じてはいたのだ。
 それが——寂しい、とも。

「だからしばらくしたら、ここに宛てて手紙を出す。君宛に、正真正銘の恋文をさ……受け取ってくれる?」

 それなのに、そんなことを言われてしまっては。
 …………私は首を縦に振るしかない。

「——良かった」

 じゃあ待っててくれよ、きっと書くから、期待に応えられるようなやつを。
 そう彼が告げた翌日に、二人の兵隊さんが彼を迎えに来た。それから、色々なことがあって、彼らの上官を名乗る方も現れて、それから、それから——
 
 ——それから、未だ、私の元にその恋文は届いてはいない。