都丹 庵士


「ただいま戻りましたー……って、あれ、都丹さん一人、ですか?」
「あぁ、お疲れさん」

 ふぅ、と息を吐き、持っていた荷物を下ろす。誰も居ないのかと勘違いするほどの静寂の中、居間を覗けば彼が一人そこで寛いでいた。

「それ、運ぶの手伝うかい」
「え? ああ、いえ、大丈夫ですよ、大した重さじゃありませんから」
「その割には疲れてるみたいだが」

 めざとい……いや、耳ざとい人だ。私が小さくついたため息からそれを感じ取るなんて。
 私は「そうですね」と笑ってから、「でも本当に大丈夫です」と言って買ってきた食材を再び持ち上げた。

「重かったというより、今日は思っていたよりも少し暖かくて……それで疲れちゃっただけですから」
「そうかい……まぁ、手がいらねぇってんならいいんだが」

 そう言って湯呑みを傾ける都丹さん。ぐ、と傾けた角度を見るに、たぶん、今ので全て飲み干したところなのだろう。

「よければついでにお茶のおかわり入れましょうか?」
「いや、それは……」
「ついでですから、遠慮はなさらず」
「うーん、なら頼む、悪いな帰ってきたばかりなのによ」
「ふふ、気にしないでください、好きでしていることですから」

 また、そうかい、と呟いて彼は少し微笑んだ。

「……ええ、好きでしていることですから」

 私もまた微笑み返して、炊事場へと早足で向かう。食材を全て所定の場所に置いてから、私は彼の好きな茶葉を用意した。

「お茶請けも何か出しますか?」
「いや、いい……あー、あんたが食いてぇもんがあるならそれを出してくれ」
「いいんですか? ふふ、はぁい」

 戸棚から白大福を二つ取り出して小さなお皿に盛り付ける。私はそれらと急須を手に、彼の元へと戻った。

「湯呑み、お借りしますね」
「おう」

 彼の分と、私の分と。二人分のお茶を注いでから彼の湯呑みを彼自身へと手渡した。彼が驚かないようにと「熱いですから気をつけてくださいね」という一言を忘れずに彼の右手にそれを握らせる。

「ん……ありがとよ」
「はい」

 カタン、と皿を置いた音を聞いて、彼はそっと手を伸ばす。耳のいい彼のことだ、きっとそれだけで私が置いた茶菓子の位置がわかるのだろう。

 ……そうなのだろう、だろうけども——

「……庵士さん・・・・

 そう言って、伸ばされた彼の手を取った。突然触れたことよりも名前を呼ばれたことの方に驚いた様子で、彼の手が震える。それさえも愛おしく思いながら私は大福の乗った皿の下まで彼の手をゆっくり誘導した。

「こっちですよ?」

 そうして彼に皿の端を握らせた後、その指をなぞるようにそっと撫でる。彼は感謝もそこそこに、眉を顰め困ったような表情をした。

「んなことしなくてもわかるって、いつも言ってんだろうがよ」
「ふふ、私もいつも言ってるじゃ無いですか、好きでしてるんですって」

 呆れたようなため息さえ愛おしくて、私は空いていた手も伸ばし、両手で彼の手を包み込んだ。

「好きで、ってのは……」
「庵士さんが好きで、ってことですよ」
「…………目の見えねぇ爺からかって楽しいかい、あんたは」

 もう一度、深いため息が一つ。彼の言葉は私としては心外の一言に尽きるものだったので、私も同じようにため息を一つ。

「嘘でも冗談でも、無いんですよ?」
「そうかい、飽きねぇなあんたも」
「ふふふ」

 このやりとりもいつものことだと言わんばかりに、彼は私の言葉を適当にあしらった。私もそれが当然であるみたいに彼の手から自分の手を離して、大福を頬張る彼の横顔を見つめる。

「美味しいですか?」
「ん、うめぇよ」
「それは良かったです。……あのですね、実は私の地元には美味しい羊羹があって、小豆じゃなくて金時豆を使った羊羹なんですよ」
「へぇ」
「それが本当に美味しくて……いつか都丹さんにも食べてほしいなって」
「そうかい」

 私の言葉なんて意にも介さず気の無い返事ばかりを繰り返す彼。

「……海の近くなんですよ。静かで、とてもいいところなんです」
「ああ」

 いつもより少しだけ本気で、だけどそれがバレないように息を整えて、私は話しを続けた。

「だから……、だから、都丹さん、きっと、気に入ってくれると思うんです。……だから……」
「——そういうのもありかもしれねぇな」
「……!」

 私の言葉を遮って、彼がそんなことを言い出した。それを聞いた私が息を呑むのが聞こえたのだろう、彼は少し早口で「言っとくがあんたと一緒にってことじゃねぇぞ」なんてことを付け足した。

「何もかも終わったら、そこに住むのもありかもしれねぇってだけの話だ、あくまで一人でな」
「なんだ……意地悪ですね、もう。気を持たせるような言い方するなんて」
「そんなつもりはなかったんだが」

 そうは言いながらも、彼はなんだかご機嫌な様子で続ける。

「まぁ、そうだな、あんたが近くに住むってだけなら、俺には止める権利もねぇんだがな」
「! そ、それは……!」

 動揺で思わず腰が浮き、弾みで座卓が揺れて音を鳴らす。彼はそれを聞いてついに堪えきれなくなった様に、くく、と笑ってから、

「それまでに、あんたが心変わりしてなきゃな」

 と付け足した。

「……しませんよ、都丹さんってば、やっぱり意地悪だ」
「は、そうかい……何にしてもまずは、死なねぇことが第一だな、お互い」
「そう、ですね、金塊を見つけるまで、何があるかわかりませんから」

 物騒な話をしているはずなのに何故か可笑しくなってきて、私は小さく笑をこぼす。彼もそれに釣られるように笑ってから、残りの大福を全て口に放り入れた。

「……死んじゃダメですよ、都丹さん」
「あんたもな」
「ふふ、はい」

 そんな口約束を繰り返しながら、今日も陽は落ちていく。ここ最近は昼の時間も少しずつ長くなってきたものだ、なんて、そんなことを考えた。

 ——あぁ、春が、近づいている……。