土方 歳三


 素敵な人になりたいと思う。
 あなたに似合う人に、なりたいと思う。

「——……どうかしたかな」
「いいえ、なんでもありませんよ」

 客が一人、店から出た。その時に入った風が彼の髪を揺らすのが、銀の絹糸を揺らすようだとなんとなく考える。それに見惚れていたなんてことは一仕立て屋でしかない私には口にできず、いつものように預かった古い着物と注文されるひとつ、ふたつの事柄について話を聞いていた。

「わかりました、それではそのように……ああ、今お召しになっているものも繕いましょうか」
「いや、これは大丈夫だ、問題ない」
「問題……ないようには見えませんが」

 袖のところがほつれている、いや、破れている上に、落ちなかったらしい汚れ・・の跡が残っていた。それは今預かった服などと同じ有様だ。きっと、そのままではあまり良くもないだろう。

「そちらも一緒に繕いますよ、ええ、料金などはいただきませんから」
「……そこまで言うのであれば頼むことにしよう、それに、代金も払わせてもらう」

 そう言って外套を脱ぎ、ふ、と微笑んだ顔にどきりとした。あぁ、年甲斐もなく……と自身の骨張った手を見下ろしながらも、いやいや、彼だって私よりもうんと年上だ。だったら、ねぇ? 少しくらい懐かしい春の気配に酔ってしまっても仕方がないじゃないかと自分で自分に言い聞かせた。

「そんな、そんな……もともと、繕いも、お手入れも、お店で出しているものじゃありませんから、私がそうしたくてそうさせていただいているだけで」
「そうだったな……いや、助かっている、うちはむさ苦しい男どもばかりで日々の洗濯はまだしも裁縫などはどうにもならん」
「うふふ、あらあら……奥様などは、いらっしゃらないのかしら」
「生憎だがな」
「そうでしたか」

 こんなことを聞いてしまって申し訳ない、とは思う。しかしその返事に少し鼓動が高まった自分に、気がつかないフリもできなかった。

「意外です、旦那様はそのう……とても、素敵でいらっしゃいますから」
「ふ……そう言われるのはいくつになっても嬉しいものだ」

 あぁ、素敵な人。微笑むその顔も、その歳に見合わぬ凛々しい佇まい、低く人を惹きつけるその声も、何もかもが私の心を捉えて離さない。あなたの隣を歩けるのは、一体どんな女性なのかしら? どんな人になれば、そこに立つことを許されるのかしら?

 そんな夢想を胸に抱きながら、私は「それでは、また数時間後にでも取りに来てくださいね」と告げこの幸福な時間を終わらせようと口を開く。しかし、先に声を上げたのは彼の方だった。

「……そちらは、どうなのかな、お嬢さん」
「! まぁ……」

 私、お嬢さんなんて歳じゃないわ。熱い顔を彼から逸らすように俯いて、小さく小さくそう呟いた。それも聞き逃さなかった彼は、喉の奥で笑いながら「私からすればまだまだ可愛らしいお嬢さんだ」と肩を震わせているようだった。

「わたしは、そのう……おりません、結婚している殿方は……」
「恋人は?」
「い、いいえ……」

 彼に惚れ込んでいる女の顔をしている私に、彼が何を思ったのかはわからない。わからないけれど、何故か少し楽しげに……少なくとも不快には思っていないような様子で、私に「顔を上げて欲しい」と告げた。私はおずおずと目線だけを彼の顔に向け、丸めた背中をほんのりと伸ばしてみる。

「ではお嬢さん、次の機会には、私と食事でもどうだろうか」
「……! そ、それは……」
「嫌だろうか」
「そんな! そんな……」

 火が出そうなほど熱くなる頬を隠すように、私は片手で自分の口元を覆う。そんな私の態度を許可と取ったのだろうか、彼はにっこり微笑んで、「ではまた、夕刻に取りに来る」と言って踵を返した。残された私はもう、その彼の顔が瞼の裏から離れなくって、ずっとずっと上の空のまま彼の持ち込んだ衣服の修繕などを行っていた。

 結局お渡しする時だってまともに彼の顔を見れなくて、覚えているのは彼が「次に来られるのはしばらくした後かもしれない」なんて真剣な顔をしていたことくらい。その表情や立ち振る舞いが、昼間とは違うことなんて全然気が付けなくて——

 ——それから、ずうっと、私は彼がまたほつれた衣服を持って来てくれる日を、ここで待っている。