脳みそに鮮やかなジェラートを
「アホぬかせ」
これは前世での友人との会話である。
この時のわたしには10年近く付き合った彼氏がいたのだが。数年前からのセックスレス、数ヶ月前からのモラハラに悩み、最終的に若い女と浮気されるという、所謂Wサレ女Wというやつだった。
だが、されるがままのわたしではない。正直途中からうんざりしていたわたしは何の未練も躊躇もなく、クソ男との関係をズパッと解消したのである。こちとら暇じゃないんでね。
そこからは自由の身。同棲していた間は色々我慢に我慢を重ねて封印していた二次元オタ活生活に舞い戻り、惜しげもなく睡眠時間の返上と納税を繰り広げたのは言うまでもない。
心配して尋ねて来た友人が「大丈夫そうだとは思っていたけどここまでとは…」と呆れていたくらいだ。いやいや、あなたも二次元オタやないかいと手の甲でその肩を叩いたのは許して欲しい。
しかしそんな楽しいオタ活ライフも長くは続かなかった。
仕事からの帰宅途中、信号無視の車に突っ込まれてわたしは呆気なく死んだ。痛みも感じなかったからたぶん即死だったのだと思う。あー良かった。
そしてそれをいきなり思い出した今世のわたし。只今絶賛古典の授業中である。うとうと船を漕ぎ始め、かくん、と首が折れたその一瞬。ぶわっと押し寄せて来た大量の前世の記憶。
「っ…つぁー…」
誰にも気付かれない程度の呻き声で済んだわたしを誰かどうか賞賛して欲しい。
ただ考えることがたくさんありすぎて「先生、頭痛が酷いので保健室に行ってきてもいいですか」なんて本当の話を交えながらよたよたと教室を逃げたことは見逃して。
養護教諭の先生に理由を話してベッドに寝転がる。布団を被って長い溜め息をついて、カッと目を見開いた。
先生ってなんじゃ。わたしゃ学生か…って高校2年生でした〜うわはっず!制服!!はっず!!!
三十路を跨いでいた前世のわたしが顔を出す。しかもこれ…というか今世のわたしの記憶がこの学校のことを稲荷崎高校とか言ってるんだけどマ??え?死に際まで最推しだったあの漫画の??あの中の兵庫県の??え??アー…ソウデスカ。ソウデシタ。
しかも先程出て来た教室はフロアの一番端…1組ではなかったか。そう、それ即ち2年1組…え?スナリンと同じクラス?死んじゃう。
そうこうしてなかなか回復しないわたし。その日は心配した担任と養護教諭の先生から早退を促されて帰宅した。家に帰っても同じようにベッドに倒れて情報を整理。夜通し復習をして翌日以降は今まで通りの学校生活を送っていた。
「そういえばもう大丈夫なの?偏頭痛だったんだっけ?」
「ンー…よくわかんないけどあの時は頭かち割れるかと思った。でももう平気。心配かけてごめんね」
こんな会話をしているのは今世のわたしとその友人。それが見てビックリ。前世のわたしの友人と瓜二つなのである。この子もどこかでおっ死んで同じ世界線に転生したのかと思って遠回しに探ってみたがそうではなかった。だってかつて二次元オタだった彼女は今やドルオタに成り果てていたのだ。三度の飯より二次元が好きだった彼女が。
そこで確信したのは、彼女は見た目と中身が完全一致の別人…たぶんわたしにとっての転生特典なのではないかと。それでも彼女の隣が居心地が良いのは間違いないのでつべこべ言わずにその存在に甘んじることにした。というか記憶が戻る前から仲良しだったわけだしね。
しかしもう一つの転生特典W前世の記憶Wはなかなかに厄介だった。至る所で稲荷崎男子バレー部を見かけてハワワ!となる気持ちをひたすらにポーカーフェイスに押し込める気が抜けない日々もそうだけど。
「ねぇナマエ、またそれだけ?」
友人が眉間に皺を寄せてわたしの手元を見つめる。
現在はお昼休みで各々楽しげに昼食を摂っている時間だ。だというのに何故目の前の彼女はこんなにも訝しげなのかと言うと…理由はその視線の先、わたしの手に持たれたヨーグルトとそばに置かれたアイスコーヒーにある。
前世の記憶が戻った時、私生活の全てが前世のわたしによって上書き保存された。
勿論、学生らしく振る舞う為の行動は自分の意思で何とかなる。けれどその他、取り分け食生活はどうにもならなかった。
あれだけ引き摺っていないと豪語していた癖に、元彼と縁を切る少し前からわたしは段々と食事が摂れなくなっていた。お腹が空かない、食欲がない、何を食べても美味しくない、味がしない。だから最低限動けるだけのカロリーがあれば問題なかった。それが今のわたしにも影響している。体に良くないと思ってても受け付けないのだ。
「ダイエットならもう十分細いんだから気にしなくていいよ!むしろナマエはもっと食べるべき」
「んーん。そうじゃないんだ。何かね、美味しくないの。全部」
へらり、と笑って見せるも友人は苦しそうに奥歯を噛んだ。ごめんね、そんな顔させちゃって。
「味がしないんだ。何を食べているのかもわからない。お腹空いたって感覚もなくて、何が食べたいのかもわからない。わたしもマズイなって思ってるんだけどねぇ」
「何やそれ。そらえらいこっちゃ。俺ならそんなん絶対耐えられへん」
急に割り込んできた第三者の声。それには聞き覚えがあった。いや、ありすぎた。
ギギギ、と油の切れたブリキみたいに首を90度回転させると長身の銀髪で顔が良すぎる男が口をへの字に歪めていた。
え、待って待って君…え?何で会話に入って来た??しかもいきなり。今まで話したことすらなかったじゃん?!同じクラスなのに関わりとか一切なかったじゃん?!なのに何で今になって。
「宮、くん…」
「ミョウジさん、最近昼メシの量おかしいな思っとったんよ。ちょい前までは普通に美味そうなオベント食べとったのに」
「は…え…」
お、推しに認知されとる…!!!いや同じクラスだし名前くらいは知ってるか…?いやでもあれよ。あの宮ンズの片割れよ?!興味ないものなんて絶対記憶力なんて使わないでしょ??は??好き…(トゥンク)なんて脳内で地団駄を踏んでいたらもう一つ影がやってきた。
「ねぇ。いきなり話しかけるから驚いて固まっちゃってんじゃん。大丈夫?」
「何や角名、先にギンの所行く言うてたやん」
「そう思ったけど治がいきなり女子に話しかけに行ったから面白そ…不思議に思って戻って来た」
「オイ今更言い換えてもモロバレやで。何や面白そうって。俺はツムみたいに人でなしやないねん。クラスメイトのこと気にして何が悪いんや」
ッア〜〜〜〜!!!ここが楽園ですか??
おおお推しのっ推しの唐突な供給は困るます…なんてどこぞのエスパー幼女が脳内を駆けていく。つまりわたしは今大混乱中なのである。向かいに座る友人ですらいきなりの宮治と角名倫太郎の乱入に驚きを隠せていない。そりゃそうじゃ。
結局わたし達が何も言わずとも彼らはやいのやいのと言い合って、最終的に「いきなり話しかけてしもて悪かったなぁ」なんて言って教室を出て行った。
宮治を追って行こうとした角名倫太郎が一歩踏み出そうとした足を戻してくるりとこちらを向き直り、「まぁ確かに。それはあんまり良くないよね」と言いながらミニチョコバーを二つ、わたしの机の上に置いて行った。お詫び、だと流れるように言われた気がするがあんまり記憶がない。ねぇ、わたし息ある…??
それからと言うもの、昼休みになるといつも通り友人が目の前の席に座り、左隣を宮治、その前の席に角名倫太郎という謎の布陣が完成することとなる。息も絶え絶えに「何で、」と隣の彼に聞いたら、彼はキョトンとした顔でさも当たり前のようにこう言ったのだ。
「みんなで食うメシは美味いってミョウジさんがわかればまたWメシ食いたいWって思うんやないかなって」
「ごめんね。治一度言い出したら聞かなくて」
「ハイ…イイエ!ダイジョブ…?です…!」
「え?どっち?」
どっかの最高打点327cm(高校時代)が通り過ぎていく。ってこの子もこの世界にいるのよね…宮城遠いな…ギリィ!!
なんて意識を飛ばしている場合ではない。今わたしは目の前のことで精一杯さんなのだ。あわあわしているわたしにいつの間にかこの状況に慣れた友人が「ま、良いんじゃない?」なんて言い出す。あの、あなたわたしの味方じゃなかったんですか??と言いたげに彼女を見つめていれば。
ふとその細い指先がわたしの真隣を指してこういうのだ。
「確かに宮くんの食べっぷり見てると美味しそうに見えてくるもんねぇ」
クスクス、と笑った友人に倣ってそちらを向けば、幸せそうに特大おにぎりを頬張る宮治がいて。
その純粋な「美味い!」って顔を見ていたら、前世も合わせるともうどれくらいかもわからないぶりにお腹が小さくクゥ、と鳴いた。
「お!」なんて嬉しそうな宮治。何で君がそんなに嬉しそうなの?なんて思いつつそのご尊顔を胸の中でそっと拝んだわたし。
「ミョウジさんがちゃんと食えるようになるの、楽しみに待っとるわ」
なんてわたしの精神をジリジリ追い込んでいく。それが前世で沼落ち願望していた二人ではなく、優しく目尻を下げる宮治という完全なる第三勢力だっただなんて誰が予想しただろうか。
前方からの角名くんと友人の生温かい視線を感じつつ変な音を立てる心臓の音にそっと蓋をしたくなった、とある昼下がりの話である。