しらじらしいフィクション

 本船到着前の偵察を買って出たおれがこの夏島に着いた時刻はまだ太陽が真上にある頃だった。
まァ、ナワバリの島の偵察なんてのは名ばかりで実際のところ島民達に囲まれてそいつらの話を聞いてやるのが専らの仕事みたいなもんだ。

 この島にも数年ぶりに船を寄せるわけであり、興奮する島民達を宥めて変わったことはなかったかと状況を把握、島内を見回って相違ないかを確認してから船に戻る。ナワバリの島ではその一連が大体の流れなのだが、今回は少しだけ違った。
この島の気候上、予想はしていたがそれよりも数刻早くやってきた雨雲に「まいったねい」と言わざるを得なかったのである。

 スコールとはどこか違う、長引きそうな雨だった。それもバケツをひっくり返したような大雨だ。モビー・ディック号はまだ半日以上はかかるくらいの距離がある。帰れないことはないだろうがこの雨の中を飛ぶのは非常に億劫だ。雨宿りがてら一本連絡を入れ、こちらの状況と今日は帰れないかもしれない旨を伝えて向かった先で、ナマエと遭遇することとなる。

 表情がコロコロ変わる変な女だった。
最初ロビーですれ違った時こそ考え事をしていたのかおれのことなど気付きもせずに過ぎ去ろうとした癖に、おれの顔を認識した瞬間に見開かれた女の目の奥には畏怖の念が滲んでいた。
言い返す言葉尻が弱々しく窄んでいくその表情に良い気はしない。だがこの女からすれば、手配書により散々晒されたこの顔は恐怖の対象でしかないのだろう。仕方のねェことだ。そういうのには慣れている。
 …とは言えど。こうも人に怯えていたくせに、いざとなったら噛みついてくる小型犬のような度胸はどこから来るのだろうか。
言った分だけこちらの言葉から状況を瞬時に理解して言い返してくる辺り頭も回るらしい。
そうかと思えば自分の器量の良さを理解していないのか、こんな見ず知らずの男と一夜を共にすることにも抵抗がない。それどころか酒を勧めてくるなんざどうかしている。そう思うのに肝心のそいつ本人を見ているとどうにもこちらが気にしているのがバカらしく思えてきてしまい、ついにはそいつの空気にまんまと取り込まれてしまったのだった。
 この島に寄る時には必ず一人で行くくらいには気に入っている店にも連れてきてしまったくらいだ。店主が驚くのも無理はない。


「マルコさんが人を…しかも女性と連れ立って来るなんて。珍しいこともあるものですねェ」

「うるせェよい」


 そんな小声のやり取りはこの女には聞こえていなかったようで少し安心した。
それからまた暫く飲んで、こいつの話を聞いて。そうしている内に段々と呂律が回らなくなってきたこいつが最後に呟いた自身の名。
どこか特別なもののように聞こえて、おれは無意識に口に出していたようだった。
そうは言えどももう会うこともないだろう。こいつもこの島は次の島に行く為の通り道だと言っていた。
雨も上がったことだ。こいつを部屋まで送り届けておれは自分の船へ帰るつもりでいたのだ。

 なのに、どうしてこうなった。
カーテンを閉め忘れた窓から注ぐ月明かりが、ゆっくりとベッドへ下ろした女の頬を青白く照らしていた。
「ん、」と艶かしく身じろぎをしたかと思えば、何を夢見ているのだか一筋の涙が溢れたそれを、おれは放っておくことが出来なかった。


「どうしたよい」


 散々起きないようにと用心して運んできたくせに話しかけたら元も子もない。
目尻を優しく拭ってやれば、薄らと開いた双眼に張った涙の膜が扇情的で心臓に悪い。
はくはくと薄い唇が動くからそこに耳を寄せれば聞き取れた「いかないで」の一言。そうしてついにほろほろと溢れた涙の粒に、おれは今日一番の長い溜め息をついて静かに彼女が横たわる寝具に乗り上げる。
溢れる涙を掬うように親指で拭い、さらりと手触りの良い髪を耳に掛けてやりながら心の中で「だから危機感を持てと言ったんだ」と彼女を責める。


「抱きてェ…」


 わかっているのかいないのか、焦点のあまり定まっていない双眼を見つめて囁けばゆっくりと首が縦に振られる。
こんなにあっさりと身体を許すナマエに苛立ちと期待が立ち込める。誤魔化すように唇を塞いでしまえばくぐもったその声すら耳にねっとりとまとわりついておれの心臓を早めていくのだ。

 柔らかい肌の感触、雄を誘う甘い声、艶かしいその瞳。他の女からは感じたことのない蠱惑的なそれがジリジリとおれの理性を焼き切っていく。
 こんなもの、どう抗えというのだろうか。

  • ←
  • BACK
  • →
I don't know