高杉くんに改めてごあいさつ
高杉さんは、私のお隣さん。
基本的に防音が充実していて回覧板もないこのマンションではお隣さんとはあまり関わりが無いのだけど、時々すれ違うと挨拶をしてくれる、とてもいい人だ。
落ち着いた雰囲気のあるすらっとした一言で言うとイケメンで、男の人といえばごつい人しか居ない部署に所属する私には彼の姿は本当に眩しすぎる。
普段は挨拶のついでに世間話をちょっぴり交わす程度だけれども、半年ぐらい前引っ越してきた時ののし紙の文字がとても美しい筆運びの達筆だったのを覚えている。
……高杉さんって、あんなザ・男子高校生みたいな子と知り合いだったんだな。かなり親しいみたいだったし。
やはりイケメンともなると人脈は違うのか。
そうこうしながら準備をするうちに、いつもの家を出る時間がやってきた。私は電気を切り、戸締りをしっかりすると玄関へ向かい、鏡で1度自分の姿をチェック。
「いってきます」
それからそう呟いて、私は扉を開けた。頬に感じた、朝の空気がひどく冷たくて気持ちが自然に切り替わる
「……あ、おはようございます」
「……おはようございます」
はずだった。
先ほど考えていた、高杉さんが眼の前にいたので、思わず私は声をかけていた。彼も少し驚いたように目を開いてみせると、すぐにいつもの笑みを顔に浮かべる。
私は、彼の格好をみたあと、声をそれきり出せずにいた。
口をしばらくぱくぱくとさせていると、彼は怪訝な視線をこちらへ向けた。
だって、だって。今日の高杉さん、私服じゃなくて、学生服を着ている。
「……どうしたんですか、急に固まって」
「コスプレですか? 珍しいですね」
低音で尋ねられると、私は思ったことをそのまま深く考えもせずに口にしてしまっていた。
後悔先に立たず。まずった、そう思うことができたのは、顰めた眉毛の下の緑がかった黒目が、私を訝しげに捉えたあとだった。
居心地の悪い沈黙が私達を包む。
視線を泳がせる私をじっと見つめる高杉さん。軽いパニックに陥った私は、彼の着ている学ランに、きらりと光る校章を見つけた。
それは、あまりにも見慣れていた、私もどこかの引き出しの奥深くに眠っているもので。
「あっ、高杉さんも銀魂高校が母校なんですね!
実は私もなんですよー、はは、変な校長先生いらっしゃいましたよね!」
不自然にならないように努め、言葉を繋いだはずなのに、彼の表情は変わらぬまま。
とうとう参ってしまった私を見かねて、高杉さんはゆっくりと口を開いた。
「……俺ァ、まだ高校生ですが」
愕然、私は一気に目を見開く。
理解が追い付かない。あれ、あれ。
ひどく大人っぽくて、礼儀正しいいい人で、こんなにも大人の色気を醸し出しているような彼が、まだ高校生?
今まで私服姿しか見たことがなかったから勘違いしてたのかな。あれ? なんで? いつも学校行ってないの? 不登校なの?
でも、なんだか高杉くんと現役高校生という単語がいまいち結びつかずにいると、私は曖昧に笑って見せた。
「……本当の、本当に?」
「……3年生になります」
「……ごめんなさい、老けてるとか、そういうのじゃなくて、なんだか、大人っぽいから」
そう言うと、少し驚いた顔をしてから、少し頬を緩ませる。
あれ、もしかして嬉しそう? お隣さんとは名ばかりの彼と、少し距離が縮まった気がして私も胸が暖かくなった。
これから、敬語外してもいいかな?
いや、それだと年下だからって態度を変えすぎではないか? やっぱりこのままにするべきか。でも高校生に敬語を使うOLって、なんだか傍から見たら滑稽ではないのか。
悩みに悩み、葛藤の渦にのまれていると、エレベーターの方から騒がしい声がする。
そして、奥から現われたのは、いつか私を間違えて訪ねてきた長髪の子と、この間すれ違ったその子と一緒にいた二人だった。
「……銀時が来ても高杉が来ないのはおかしいだろう、事件の予感がする」
「しねーよ、つーか俺ァそんな時間にルーズじゃねぇから、割と律儀だからね銀時くん」
「……アッハッハ、あー、あそこでおねーさんとだべっちゅうのは高杉くんじゃあありませんか!!」
「……また年上かよ」
ちょっと! お願いだから近所迷惑考えて! それとなんだかとても恐れ多いような誤解をされているような気がする。お願いだから頭冷やしてください。
彼らが高杉さんの隣に並ぶと、私の方をまじまじとみてくる。私は少しだけ口角を上げてその3人から目をそらした。
そんな私の心境を知ってか知らずか、高杉さん私と彼らの前に出て、言葉を繋いだ。
「俺の隣人だ、てめーらが思ってるような女とは違ェよ」
ほっとして、胸をなでおろした気持ちでいると、まずインターホン越しだけど一応面識のある、あの子が口を開いた。
あれ、嫌な予感しかしないんですが。
「愛人だと!? 人妻を愛人にとるとは、高杉貴様、恥を知れ!」
「アッハッハ! おねーさん高杉の愛人さんで、人妻なんやきー」
「ちげーって、人妻じゃねーだろ、ほら色気がない」
…………なに、この子たち。白髪の最後の子にいたっては、失礼すぎやしないだろうか。
確かに色気のない体してるけどさ! 胸なんて無かったんだよ。ほんとに。
軽く放心していると、高杉さんが冷静にするどく訂正する。
その横顔がなんだか、いつもとは違って、年相応というか、なんていうか。
さっきはすんなり受け入れられなかった、男子高校生という単語が、すうと胸の中に入ってきた。
「……高杉さんって、高校生なんだね。その三人と一緒にいると、そう見える」
そうつぶやくと、何故か、高杉さん以外の三人がお腹を抱えて笑い出した。
特に“銀時”くんと、もじゃもじゃ頭の二人組の笑い声はとてつもなく大きい。私は高杉さんに助けを求めようとそちらへ視線を傾けたけれど、すぐに元に戻す。
高杉さんは、すごい顔で私を睨んでいた。
なんで、なんで!? さっきまでは、あんなにいい表情してたじゃない、私何もしてないけど!?
高杉さんは私に背を向けて歩き出した。他の三人もひぃひぃいいながら彼の後に続く。
置いてけぼりを食らう私。
そして、高杉さんはくるりと1度振り返ると、私に言い放った。
「……俺ァ、小さくねェよ」
そういった途端、またもじゃもじゃ二人組が笑い崩れた。
高杉それ言っちゃう!? それ言っちゃうんだ高杉くん!
そう言った、彼らの身長は彼よりもだいたい5センチ以上違う事がわかった。
……終わった。やってしまった。だから大人に見えるって言ったとき嬉しそうな顔をしていたのね。
しばらく考えてみたけれど、ちらりと見えた時計に、今の時間を思い出して歩き出した。
結局定時よりも遥かに遅い時間に帰ってきた私は、彼を訪ねることはできなかった。
しかし、次の朝、私が扉を開くとそこに高杉さんが立っていて。
ちょうどインターホンを押すところだったらしく、その手にはどうやら間違えて彼の家のポストに入れられていたらしい郵便物があった。
「……昨日は、ごめんなさい」
「別に気にしちゃいねェよ」
くっくっ、と喉の奥の方で笑う高杉さんだけど、もう昨日のあの時から敬語を使ってはくれなくなっていた。少し泣きたい。
けれど、これは好都合だと考え直して、私は彼に敬語を使うことをやめた。
果たして、これは距離が縮まったと言えるのか。
そう考えてしまう私がいたけれど、すぐにその浮かんできた考えを払い除けた。
実際、この後から彼と話す機会は格段に増えたので、そういうことなのだろう。
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