天眼の持ち主
今まで見てきたどの青よりも美しいと名前は思った。いや、青や水色だなんて、そんな一言ではとても済ませられないとさらに続けてそう思う。
「初めて見るっけお前」
息を飲むような美しい碧眼に見下ろされた名前はその綺麗な目から逸らせないまま必死に頷く。微妙に空く間に、何か言わねばと先に口を動かした。「サ、…ングラスの隙間から、それとなく見、てたのですが…」ぎごちないセリフをどうにか紡ぐ。
「コンプレックスかと思って目のことは触れないほうがいいのかと…」
「…まっさか。モテすぎないように対策してるだけよ」
「はぁ…なるほど」
「…なーにがなるほどだ、真面目か!」
「いったっ!?な、なんなんですか!自分から言っといて!」
名前にデコピンを食らわせた五条はパソコンから離れるとローテーブルの傍に腰を下ろし、クリームソーダを手に取りながら「…六眼」と一言呟いた。
何やら説明をしてくれそうな雰囲気に名前は椅子から降りて五条と同じように床に座っては正座して聞く姿勢を取り、人形のように整った五条の顔を見た。ううん、やはり美しいと一人内心唸る。
「りくがん…?ですか?」
「そ。うちの家に伝わる特殊な目なんだよ。呪力がめっちゃ細かく見れる」
「へぇ…」
「ただ見えすぎてちょっと疲れることがあんの。だからいつもサングラスかけてる。そんだけ」
「…転校してきたときに先生が言ってた、日光に弱いっていうのは?」
「嘘に決まってんだろ」
「…そうですか」
「俺の話はとにかく、お前呪力見れるようになったし、明日から学校行かせっからしっかり見とけよな、自分の学園がいかに呪われてるか」
「…うっ、そんなに、ですか。……でも大変ですね、そんなよく見える目が術式だなんて…」
「お前馬鹿?目はただの目。術式は別」
たっぷり間を空けてから「……ややこしすぎません?」名前は少し臍を曲げたような声色でそう呟くと、五条は持っていたサングラスをプラプラと名前の前に振り、「俺の術式は無限」ひょいと得意げにそれを軽く宙に投げた。
「…何でもできるってことですか?」
「そっちじゃねぇ。…ま、見とけって」
名前は自分の目を疑うような光景を目撃することとなる。
ゆっくり投げてはやがて重量に従って落下してきたサングラスは五条の差し出した掌の上で止まる。厳密に言えば五条の掌に触れる直前に止まった。
つまり、サングラスは宙に浮いているのだ。
「えっ、なに、なんですか?これ…」
「無下限呪術。収束する無限級数みたいなもんで俺に近づくものはどんどん遅くなって、結局俺に辿り着かないの」
驚いたように見張った名前の双眼が五条の掌とサングラスを交互に見る。左、右、上、下と一通りじっくりと見てもヒモなどついておらず、サングラスは間違いなく宙で静止している。
こんなのプロのマジシャンが見たらひっくり返ってしまうのでは。名前は感動した表情でサングラスを眺めた。
「す、すごい!すごいですね!魔法みたいです!」
「…魔法ってお前な…」
あまりにも純粋に、それから楽しそうに「すごい」と連呼する名前を見ているうちに、次第に照れ臭くなった五条は頭を雑に掻くと、宙ぶらりんのサングラスを手に取り名前から顔を背けるようにして手早くサングラスをかけた。
――クソ、なんで俺が照れてんだよ。
五条は普段なら目を背けられる側だった。自他ともに認めるこの顔とこの目の圧に耐えられず照れたり目を逸らしたり困ったりする人を多く見てきた。
それだというのにこんなヤツ如きに。五条は胸中に謎の悔しさが広がり、内心舌打ちする。
「……だからあの時のお前のビンタは当たってないんだよね」
「は」
「謝り損だったってこと」
主導権なんて最初から無かったのにも関わらず、自分のペースを掻き乱されたことに少し腹を立てた五条は年甲斐もなく名前に向かって舌を出した。「…し、信じられない…!」名前が目の端をひくりと釣り上げる様子を見てほくそ笑む。
「……だから」
――お前は俺に振り回されてりゃ良いんだよ。
不意に芽生えた悪戯心に五条は名前に向かってニヒルに笑った。
「こういうこともできちゃうってわけ」
「えっ!?」
五条は手早く近くにあった名前の手を引くと、前のめりに倒れてきた名前の首裏に手を回して己の顔にグッと近づけた。
ぶつかると名前は硬く目を瞑ったが、衝撃は一向に来ない。不思議に思って目を開くと、
「なんちゃってキス」
目の前には五条の整った顔。
二人の顔が、唇が触れる直前で止まっていたのだ。首後ろに宛がわれた手はしっかりと五条の方へ力が込められているのに、唇は全く触れる気配がない。大きく目を見開かせて固まる名前に五条は喉を鳴らすようにして笑った。
「もちろん俺が無限解いたら出来ちゃうけどね。……どうする?しちゃう?キス」
「し、しま、せん!」
「…冗談だっつーの。何マジ照れしてるのお前」
パッと彼女の首を離してやると首まで赤くした名前は慌ただしく五条から距離を取り、警戒心丸出しな野生の猫の如く五条を睨んだ。
「し、心臓に悪い…!もう最悪…!」
「よかったな、心臓強くなるぞ」
自分の頬を叩いて平常心を取り返そうとする名前を五条はひとしきり笑ったあとに「で」とクリームソーダに刺さったストローを咥えながら「なんかわかったわけ?」と何でもないように尋ねる。
すっかり自分のペースを乱された名前はしばし五条を睨み続けた後に思い出したかのように手を叩いた。
「…あっ、そうだ!堤先生のお父さんも小説家みたいなんですよ」
「……も?」
五条の指摘に「あっ」と小さく声を漏らした名前は「行方不明者の一人の小野海斗って生徒が、お父さんもお爺さんも小説家なんです」と説明を付け足す。
「ふーん。…小説家ねぇ。ライバル同士だったりして。知らねぇけど」
「ライバル…」
ぽそりと呟いた名前は最近見た夢の記憶を引っ張り出す。
――最初の夢で見た堤と小野という男子学生。
――大衆文学の新人賞を高校生で獲った小野。
思考を巡らしながら宙を眺める名前の目に、ふと五条の制服に視線が止まった。ブレザーの左胸には学園を象徴するCのイニシャル。大文字のアルファベットを華やかにあしらったエンブレムを見た瞬間ハッとして顔を上げた。
「ごっ…ごごごご五条君…!」
「あ?」
「私、あの、最近変な夢…いや、変って言うほど変じゃないんですけど、やたら記憶に残る夢を見てまして…!」
こんなこと言ってもまともに取り合ってくれないかもしれないけど、と続けながら必死な名前のセリフに五条は「夢…」とぽそり呟きながら一瞬ベッドの上で寝こけている獏を見る。
それから「で?」と続きを催促された名前は顔を綻ばせ、真剣な表情に切り替えて話を続けた。
「偶然かどうかわからないんですけど、夢の中で男子学生が二人出てきたんです!一人は小野、一人は堤っていう名前なんです」
「…マジか…」
「夢の中では気づかなかったですけど、確か二人とも五条君と同じ制服を着てました!それから…夢の中で誰かが長宝院学園って言ってて…!」
「…おい、それ借りるぞ」
五条はすぐに立ち上がり、パソコンに近づくと小野泰斗と堤光吾の出身校をそれぞれ検索。それから入学年を叩き出す。「ビンゴだな」五条は満足げにキーボードから手を放した。
「…うそ…二人とも長宝院学園卒業…文芸部所属…!同学年だ…!」
「ははっ、やるじゃんお前!」
「うわっ!?」
テンションに任されて伸ばされた五条の長い腕が、やや雑な動作で隣の名前を掻き抱くよう、肩を組むように引き寄せた。
急に縮んだ距離。その至近距離で年相応らしくニカリと笑う五条に名前は一瞬だけドキリと心臓が強張らせながらも必死に「ヤ、ヤリマシタネ!」とぎごちなく応えたのであった。