新たなる波乱
「まさか堤先生の父親と生徒の祖父が同級生とはね」
いつもの放課後タイム。夏油は細長く息を吐きながらぽりぽりと眉間を親指で掻いた。やれやれ、と言いたくなった時の彼のクセだ。それからもう片手は手元にある資料をぺらりと捲る。
「どーよ、傑」
「悟に連絡もらった後に念のため補助監督にも調べてもらったらビンゴだったよ」
紙パック製のいちごみるくを片手にVサインを繰り出す呑気そうな五条の様子に夏油はふと短く笑みのを含む息を吐くと、少し離れたところで文庫本を読み耽る名前を見た。
「それで、苗字さんは…?」
「昨日から本の虫。小野泰斗の本読んだ後に急に本屋付き合わされて、堤センセーの父親の堤光呉の作品何本か買って絶賛大読み耽りターイム」
五条が手でT字、時間を意味するタイムを作った。その様子を見て二人の違和感、違和感というより心理的な距離が近くなったようなそんな空気を感じ取った夏油が「ふうん」と短く声を漏らす。
「悟。…小野泰斗と堤光吾の関係を見つけたのって…。彼女に見せただろう?個人情報」
「「うっ」」
夏油の鋭い指摘は案外読書中の名前の耳にも届いたらしく、二人揃って気まずそうな声を上げた。
「ご、ごめんなさい夏油君…。私が無理言ったんです」
名前の素直な謝罪にほだされた夏油は片眉を持ち上げながら薄く笑み、「…まぁ、新しいことがわかったから目を瞑るよ。お陰で補助監督から面白い話も聞けたしね」と手元にあった資料を指で軽く叩いた。「面白い話、ですか?」名前が本を閉じて夏油の方へ体を向ける。
「どうやら作家の堤光呉は小野泰斗の作品を盗作した疑惑があるって噂だ」
「…は?」
「え?」
「その噂の出どころは分からないし、本当かどうかも怪しいところだけど…。それで堤先生は学生時代いじめに遭ってたようだ。この学園でね」
「いじめ…」
「学生時代の黒歴史を産んだ学園を恨んで呪ったって感じかね」
「そうかもね。小野泰斗の孫である小野海斗は堤先生からしたら格好の的だったんだろう」
「孫の代まで恨むとはよく言ったもんだなー」
「言い得て妙だね」
夏油はノートを取り出し、一番後ろのページを開くとペンを走らせながら「――ひとまず状況を整理しようか」と名前を書き出した。「堤光吾と堤光ニは親子…。それから小野泰斗と小野海斗は祖父と孫の関係ね」夏油傑は四人の名前を出す。それから堤光ニの名前の近くをペン先で叩く。
「呪いの発端は堤光ニで間違いなさそうだ。例の特急呪物を所持していたっていう話も聞いているし、苗字さんへの呪いをかけたも恐らくこの人だろう」
無意識に自分の喉を摩る名前を横目で見た五条は再び親友へ視線を移し、「なんのために?」と机に頬杖をつく。
「そこはまだ分からない。マーキングの可能性もなくはないね」
「マーキング、ですか?」
「次に行方不明にさせる標的だったりして」
「!」
「ビビらせるな悟」
「ヘイヘイ」
固まる名前に「でもまぁその線は薄いと思うよ」と夏油のフォローの言葉に、名前は目を丸くした。
「どうしてそう言い切れるんですか?」
「本当にそれが次の標的の証だとしたら、今頃喉の呪印がウチの調査で浮き彫りになってたはずだからね」
「な、なるほど…」
「その呪印がなんの効果をもたらすのかは今のところ分かんないけど、校内にアイツの気配は感じない。遠隔呪術って相当な技術が必要だから今のところは気にする必要ねぇと思うよ」
「…そ、そうですか」
五条と夏油の二人が同意見ならそうなんだろうな。名前は呪印がある喉元を摩りながらほんの少しだけ小さく安堵の息を吐いた。だからといって完全に気を緩めるわけにもいかないが。
――それにしても、堤先生は自分をいじめた学園への嫌がらせで生徒を行方不明に…?そもそもいじめの原因となった堤光吾の盗作疑惑…?夢で見た小野さんと堤さんのあの不穏そうな空気…なんだか気になる。
「もうこんな時間だね。苗字さん送るよ」
ノートと資料をまとめ始めた夏油を見て、名前はふと自分の鞄の中に入れっぱなしであった小野泰斗の本の存在に気づいた。昨日読了しており、今日返却してしまおうと思っていたのだ。
「あ、そうだ」
「?」
「上の階に本返してきます。これは図書室で借りてきたものなので」
「…あ、一個忘れてた。これ俺の仮説だけど」
二人の視線が集めた五条が紙パックを鳴らしながら顎で名前の手中にある本をさす。
「その本が噂の本だと思うよ」
「え」
「これが噂の呪われた本ってことか?」
「そ。お前、その本読んだとき何か違和感なかった?」
「…あ」
名前は本を手に取った瞬間のことを思い浮かべた。誰かに見られているような、そんな視線を一瞬感じたことを。
心当たりのありそうな様子の名前に五条は「決まりだな。じっちゃんの名にかけて学園の噂が一つ解けた」といちごミルクを飲み干し、夏油は「なるほど」と相槌をつ、
「それで、その噂は今苗字さんに取り憑いてる、と」
「そういうこと。呪われた本はお前が本を開いたことで、効果を無くしたってわけ」
三人の視線が呪われた本の噂であろう名前の肩で寝こける貘に向けられた。本人は噂なんぞなんてことないように相変わらず眠っている。
「…そうだったんだ。…行方不明になった小野君と初めて話をしたとき、この本の場所を尋ねられたんです…。小説家の生まれのあの人がなんで図書室の本なんか借りようとしたんだろうって思って」
「へぇ、それで見つけたんだ。苗字さん探偵になれるんじゃないかな」
「いやいや、記憶遡って動いただけなので…。全然推理には程遠い行動ですよ。それで、小野君がこの本を呪ったってことですか?」
「その小野ってやつが呪ったのか、それとも呪われてるのを知ってたのか。その辺りは全然分かんないけどね」
――確かに小野君がこの本を手に取ったことは事実だけど、彼が呪ったとは限らないのか。
また一つ謎が深まったな。名前は顎に手を当てて難しい顔をしていると、五条が椅子から腰を上げた。
「んで、その本はどこに返すの」
「あ、すぐ上なので一人で行ってきますよ」
「私の呪霊でもつけておこうか」
夏油が手をかざすと黒い影が溢れ出、そこから小さな犬とも猫とも言える小型動物のような呪霊が現れた。
呪いの空気のような呪力は見れるようになったが、こうした呪霊を初めて見た名前は「…おぉぉ」と感動と怯えが相まった声を上げる。その背中では貘が怒ったようにして鳴き声を上げた。
『きゅきゅー!!きゅきゅー!!』
「…なんかめちゃくちゃ怒ってね?」
「…呪霊を嫌うのか。やはり変わってるな」
試しに夏油が呪霊を仕舞い込むと、貘は落ち着いたように名前の背中に張り付いてはまた眠る。三人は顔を見合わせ、「それが憑いてるなら心配要らなさそうだね」と夏油が小さく頷く。
「じゃあ、すぐ戻ってきます」
そう二人に告げて小走りで一つ上の階にある第四図書室へ行き、例の本棚へ向かう。名前が抜き取った本の厚みの分できていた隙間に本をねじ込んだ。ようやく返却できた安堵感、それから小さな違和感を覚えながら本を元に戻し、背表紙をそっと撫でた。
肩の貘を見てみたが、離れていく気配がない。本を返却したらどこかへ行ってしまうのだろうかとも思ったが、その読みはハズレのようだった。
――五条君はこの本を呪われた本で、今はただの本化していると言った。けど、この本は読み始めから何か変だった。
その違和感の正体に掴めなかったが。名前は踵を返して第四図書室を後にすると、不意に前方から歩いてきた二人の女子生徒に気づき、すれ違うべく廊下の隅に寄る。
「――え、本当に行くの?」
「だって面白そうじゃん」
「午前三時四十四分、南館の二階にある鏡を見るとって噂」
通りすがりの女子生徒たちの会話を拾った名前がピクリと固まった。それから慌てて物陰に潜み、彼女たちの会話に耳を集中させる。
「明後日の三時半から一時間、学園の電力が一気に落ちて、いつもなら警備厳しくて入れないのに入れるようになるらしいわよ」
「ホントー?内緒で家抜け出してきちゃおうかしら」
「なんなら男子も呼びましょ!」
——うわぁ…大丈夫かなぁ。
名前は楽しそうに会話を弾ませる女子生徒の背中を見送りつつ、待たせている二人がいる図書室へと急いだ。