何かの縁故に



――最近すごく眠たい。なんだこれ、眠すぎる。
 昼ご飯はいらないから寝たい。いやでもやっぱりお腹減ってるから食べたい。
 名前は昼休みに中庭のベンチに腰をかけながら持参のおにぎりを頬張り、眠気と空腹と格闘していた。酷い眠気に思考がチグハグになっており、その双眼は半分以上瞼が降りていて今にも閉じてしまいそうなほどだ。時々咀嚼する顎の動きが止まる。

「こんにちは苗字さん」

 女子特有の生理前の現象だろうか。いや、違うな。生理はもう過ぎてる。じゃあなんでこんなに眠いんだろうか。昨日は早く寝たはずなのに。
 自身の眠気の原因を追求する名前に一人の生徒が話しかける。が、眠気と考え事に没頭している名前は気づかない。

「苗字…さん?」
「……へ!?」

 無心でおにぎりを貪る彼女の視界に「や」と短い挨拶と一緒に片手をあげて割り込んできた夏油。そこで名前はようやく自分よりもうんと背丈の高い存在に気づいた。
 声をかけても気づかれぬなら、と視界に入り込んだ夏油の手段は非常に有効だったらしい。ぱちりと一度大きく瞬きした名前は夏油の顔を見て数秒固まると状況を理解したのか「ん゛んっ」と濁った唸り声を上げて咀嚼途中の米を丸飲みするようにして無理矢理飲み込んだ。

「…こ、こんにちは…!」
「一人かい?私も一緒にいいかな」
「えっ」

 人当たりの良さそうな笑みを浮かべながら夏油が隣に座る。沈んだベンチの感覚を尻で感じ取りながら、名前は一体自分に何が起こっているのか、今の今まで接点がなかったはずの彼に対して何かやらかしたのかと、非常に短い時間で必死に記憶を遡り漁った。
 該当ヒット、今のところ無し。

「夏油傑、よろしくね」
「え、あ、はい!存じ上げております…!」
「ふふっ、存じ上げてる……ふふふっ」

 同い年のクラスメイトにも関わらず随分と他人行儀な言い振りに夏油は静かに肩を震わせ、「はー面白かった」と満足気にそう息を吐き出すと持っていたコーヒーを一口飲み、同様に手にあったパンを開封した。
 夏油君はパン派だったのか、名前が意外そうにして夏油の手元と見ていると「さっきお昼食べたんだけどね。物足りなくて」と照れ臭そうにして笑った。

「苗字さんって務台君の隣だよね?」

 務台、とは名前の隣の席の男子生徒である。
 廊下側一番後ろに座る名前、その隣にその務台という生徒、さらにその隣には夏油と五条と席が続いていた。
 まさか自分のことを認知されていただなんてと驚きつつ、「あ、そうです…!」と名前が頷くと夏油が安堵する。

「良かった。最初反応が無かったから…。間違えてたらどうしようかと思ったよ」
「すみません…ちょっとぼーっとしてて…。苗字で合ってます…」
「同級生なんだから敬語はいらないのに」
「あ……そ、そうだよね…。なんかつい…」
「まぁまだ他人みたいなものか、私たちは。じゃあ今から友達だ」
「……ともだち」
「嫌だったかい?」
「いえ…そんな…!」

 小さく笑みを浮かべたの後にパンを頬張る夏油を見て名前もおにぎりを頬張る。食べ始めれば当然止まる会話。名前は夏油がここへ来た理由を気にしつつも何か会話しなければと、謎の内なるプレッシャーと戦う。
 意を決して「あの、」と言いかけた自分の声は思ったよりも低く聞こえて、一瞬頭を捻った。そしてその理由はすぐにわかった。
 夏油の顔もこちらに向けられていて、二人は全く一緒のタイミングで声を発したからだ。一瞬涼し気な目を見開いた夏油は面白おかしそうに眉を八の字にさせながら笑う。綺麗に笑う夏油に名前は美少年だな一瞬見惚れつつ、「……あ、すいません、先にどうぞ」と話題の主導権を彼に渡した。

「いや、大したことないんだけどさ、良い天気だなって思ってね」
「あ、そうで…そうだね」
「突然来てびっくりしたよね。天気が良かったからさ、なんとなく外で食べたいなって思って。中庭に来てみたら、同じクラスの君を見かけたんだ。せっかくだし話がしたいなって」

 名前はなるほどと思いつつ、同時に白髪の男子生徒のことが脳裏を過り、「…五条君はいないの?」と尋ねると「悟の方が良かったかい?妬けるな」なんて悪戯っぽい返事。「そんなことは!」と慌てて弁明すると夏油はまた笑った。
――夏油君、五条君のこと下の名前で呼ぶんだ…。仲良いな。あとよく笑うんだなぁ。
 最初は少し怖い印象のあった転校生が思いのほか話しやすく、名前は自分の肩の力を少しずつ抜いていく。

「悟なら西園寺達と食堂に行ってるよ」
「そうなんですか」

 西園寺達、とはA組の中でお調子者が集まった男子グループだ。五条のことはまだなんとなくでしか把握していないが、ノリの良さそうな彼と西園寺は気が合いそうだと名前は一人胸中で納得しながら小ぶりの水筒を手に取りお茶を口に含んだ。

「苗字さんって特待生なんだってね?クラスの子に聞いたよ」

 途端にピクリと体が僅かに強ばり、全身の毛穴がキュッと引き締まる感覚。そして身構える。名前の防衛本能が働いた瞬間だった。
 特待生というキーワードは名前が入学してから幾度と言われてきたセリフであり、その後に続くセリフが大体ロクなものでなかったからだ。
 ある者は「A組だからって調子乗るなよ」またある者は「同じフィールドに立ててると思うなよ」と。過去の経験上名前が夏油のそのセリフに対して警戒心を高めるのは仕方のないことだった。

「すごいね!ここの特待入試は難問って聞いているよ。今度ぜひ勉強を教えてくれるかな」

 何を言われるかと腹を括っていた名前は、夏油の思わぬセリフに目を丸くした。
 それから彼の人間性を一瞬でも疑ってしまったことを恥じらう。申し訳ないと思いつつも、少し狼狽えるようにして「た、……大したことない、よ…」とどうにか言葉を述べた。

「覚えて書き写すだけだし…」
「?……普通に勉強ってそういうものだよね…?」
「あ、うん、そうだね…!」

 首を傾げる夏油の姿に余計なことを言ってしまったと慌てた名前が手を横に振りながら「困りごとがあれば…」と語尾を濁すようにして続ける。

「――おや」
「え?」
「名前さん、肩にゴミが付いてるよ」
「え、どこ?こっち?」
「取ってあげる」

 ゆっくりとこちらへと伸ばされた夏油の大きな手に視線が向かう。
 途端に寒気。それから乾いた後が響く。

「――!?」

 気づけば名前は夏油の手をはたき落としていたのだった。

「…う、…ぁ…」

 名前の掌に夏油の手を叩いた衝撃が波紋のように広がる。直後に二人の間に気まずい空気が流れた。
 もっとも、気まずいと思っているのは名前だけで、夏油はただ普通に驚いて目を丸くしているだけだったのだが。

「ご、ごめんなさい…!その、びっくりしちゃって…!!」

 青褪める名前に「あぁ、こちらこそ急にすまない、女性に気軽に触れるものじゃなかったね」夏油は何事もなかったかのように薄く笑みを浮かべながら手を引く。

「ごめんなさい、すみません…!いたかった
「いや、そんなに謝らなくていいよ」
「……っ、その、ちょっと気分が悪くなってきて…保健室行ってくる…ね!」
「私も行こうかい?」
「だ、大丈夫!じゃあ、また…!」
「うん、気をつけてね」

 名前は手早く荷物をまとめると、逃げるようにしてその場を立ち去った。そんな彼女の背中を夏油は微塵も動かずに見届け、名前の姿が随分小さくなると脱力するように背中を丸めながらため息をついた。

「傑ヘタクソ」
「悟ウルサイ」

 近場の木陰から現れたのは五条だった。
 夏油の座るベンチを跨ぎ、先ほど名前が座っていた場所に腰をかけ、足を組みながらほくそ笑む。クラスメイトと食堂へ、と言う話は真っ赤な嘘で、彼は終始木陰から二人のやりとりを眺めていたのだった。

「厳つい見た目で急に触られたらビビんだろ。内臓取られるって思われるぞ」
「高専の制服じゃないんだ、そんなことないだろ」
「お前祓う時の顔が怖いんだよ」
「……またそうやって適当言って…」

 夏油は名前の肩に張り付く呪いを祓おうとしたのだった。まさか呪いより人間に叩かれることになろうとは。夏油は手に持ったままのパンに齧りつき、そのまま咀嚼した後に考える。
 少し間が空いてから隣の五条を見上げ、「…私そんなに悪役みたいな顔してたかい?」先程のセリフが思いの外心に刺さったのか、本人にそう尋ねれば吹き出すように笑われたので笑う親友の足を蹴ってやった。もっとも五条には無限という、近づけば近づくほど遅くなり、やがて触れられなくなるという術式があるために当たらない。

「ちなみにどう思う?悟見てたよね」
「あぁ。……ひょっとしたら呪いじゃないのかもな」
「呪いじゃない?アレがか?」
「守り神とかそんな感じの類な気がする。なんかモロ呪力の塊!って感じしないんよね」
「へぇ……じゃあ祓ったら罰当たりだったってこと?」

 すっかり遠くなった彼女の背中を見やると、背中にべっとりと呪霊らしきものを乗せた名前はどこか危なし気にふらふらと校舎へと向かっていた。

「……眠気以外の害は無いっちゃ無さそうだけど…、眠たすぎて事故りそうだね」
「ま、次は俺が祓ってやんよ」

 「親友の尻拭い」とニヤつきながらそういう五条に少し腹を立てた夏油が五条の足を踏んだ。相変わらず踏めなかったが。