最強の目論見
「まず、今放課後ね。十七時半過ぎ」
「……何となく…そんな気はしてました」
二人に引き留められた後は「とりあえず座ろうか」と夏油の提案によって、三人は椅子を寄せて話をすることになった。まるで逃がさないと言わんばかりに二人は図書室の出口側に座っており、その向かいでは名前が縮こまるようにして着座している。
仮眠を取るときはほぼ真上にあったというのに、今室内に差し込む太陽は随分と傾き始めていて、夏油が時間を知らせてくれた時にはただただ納得した。かなり爆睡をしていたらしい。
「君のことは先生に体調が悪くて休んでるって伝えてあるから大丈夫だよ」
「え…、ありがとうございます…」
午後の授業をサボってしまったことで成績に影響が出たらどうしようと憂える名前の心情を汲み取ったのか、夏油の思わぬフォローに名前はぱっと顔を上げると「あららまた敬語になっちゃった」と彼は苦笑いをした。どうやらフォローしたことに関して特に鼻にかける様子はなさそうだった。
「さて、どうしたものか」
「まどろっこしいのやめようぜ傑」
半ば投げやりのようにそう言う五条に「まさか言うのか?」と夏油は少し焦りを含んだ声を発する。じっくり五条の様子をうかがう夏油に、どうでもよさそうな態度の五条。そんな対照的な表情を浮かべる二人を交互に目線だけを送る名前に「苗字っつったよな?」と五条が丸いサングラスのレンズを向けた。
「お前ちょっと協力しろよ」
「…はい?」
突然の話に困惑していると五条の隣で「悟、いくらなんでも性急すぎるだろ」と夏油がため息をつく。
「お前呪いって信じる?」
「呪い、ですか?」
「そ」
突拍子もないセリフに名前はパチリと瞬きを一つ。それから少し間をあけてから先ほど二人が本棚の奥で呪いについてあれこれ話をしていたことを思い出した。
「日本で変死、怪死、行方不明者は年間で平均一万人を超えているんだけど、」と夏油がまるで演説をするかのように口を開く。行方不明者、のセリフに名前の脳裏では一瞬、小野のことが過る。
「その殆どが人間から流れ出た負の感情による被害なんだ」
「…負の感情、ですか」
「そう、私たちはそれを呪いと呼んでいる」
「俺らはその呪いを祓う呪術師やってるってわけ」
「私たちがこの学園に来たのはこの学園長の依頼なんだ。この学園で年に何人か人が消えているよね?それが呪いによるものだと疑っているんだ」
「―!」
いやまさか、そんな小説のような話が現実にあるのか。名前は二人の説明を瞬きをせずに耳を傾け、それから彼らの表情を伺い見たがとても嘘をついているようではなく、そんな嘘を言ったとこで彼らにはメリットなどないだいろうと考えた。
でも万が一、万が一にもし自分を揶揄っているのであれば、と小さく疑念を抱き始めたところで「んでここに来てもう三日!」突然声を張り上げ、天井を仰ぎ見るように椅子の背もたれにのけぞる五条に名前は小さく肩を震わせた。
「三日もいんのにちっとも呪いの気配が掴めねぇの!いや、気配はあんだけど」
「うるさいよ悟、みっともないから喚かないの。…それでなんだけど、その呪いを祓う為に君に協力を頼みたい。学校の内情に詳しい人が居てくれるととても助かる」
「協力って言っても…」
金も地位も人脈もない名前は自分が何ができることなど。自分よりももっと他に適任者が居るのではないかと口を開きかけた時、五条が深々とため息をついた。
「――金、いくらあればいいワケ?」
「え?」
「アンタ、この学園に来たからには最終的には金目当てなんだろ?」
「悟…!」
そう告げられるなり、名前の頭の中で昔の記憶が過ぎる。
派手色に染まった髪に真っ赤なルージュを引いた唇が「その金で飯食ってきな。暫く帰ってこなくていいから」と玄関前に立つ幼き名前に向かって現金を投げつける実の母親の姿だ。
記憶の中でバタンと荒々しく閉ざされた玄関。同時に名前の中で何かがプツンと切れ、静かに立ち上がる。名前は目の前に座る五条に手のひらを振りかざしその頬に向かった振り下ろした直後、静かな図書室に乾いた音が響く。
「っ!?……は?」
「おおっ?」
五条の間抜けな声と夏油の驚きを含んだ声がそれぞれ。
――これだから金のある人間は嫌いなんだ。
名前は静かに歯軋りをし、それからこう切り出した。
「あなたたちのことは他言しません。できる限り二度と関わりません。協力者については他を当たってください。バイトがありますのでこれで失礼します」
随分と怒り折り混ざった声だった。にも関わらず名前はぺこりと律儀に一礼すると五条の横を抜けて図書室を出る。二人はそんな名前を引き止めることもなく、夏油に至っては終始彼女の背中を見送った。
荒々しく閉められた図書室の扉を見た後に夏油は隣で呆然としている五条を横目で見る。「…じゃあ私も失礼しようかな」と冗談半分で腰を浮かせば「失礼するな」即答で返ってきた親友のセリフに流石に思考までは飛んでなかったかと夏油は肩を竦めながら椅子に座り直した。
「…何アレ、なんなのアイツ」
「悟が怒らせた」
「それくらい分かるわ!意味わかんねぇ、普通殴るか!?この美顔!」
「えぇー…そっち?何、悟ひょっとしてビンタ、モロ食らった?」
「まさか。無限張ったよ」
五条はムスっと唇を突き出しながら印を組んだままの右手を持ち上げる。
己の持つ術式、無限を発動させるための掌印だった。これを結べば何人たりとも五条には触れることができない。名前はつまり無限を叩いたというわけになる。その証拠に五条の頬には紅葉など何一つ無い。
「アイツの情報、昨日の夜見たんだけどなぁ。一般家庭出身なんだろ?なんで儲け話なのに棒に振った?どう見ても棚ぼた案件だったろ」
「…そういうとこだよ悟」
「何が」
「…いや、なんでもない。それよりも困ったな、これは予想外だった」
「はぁ?振り出しに戻っただけだろ。早いとこA組の中から協力してくれそうなやつ探そうぜ」
「西園寺辺りいいんじゃね?」五条はお調子者のクラスメイトの名前を適当述べながら椅子から立ち上がり、足だけで椅子を元にあった場所に動かす。
「いや、私は彼女がいいと思う」
「あ!?」
親友の思いもよらぬセリフに五条は驚愕と当惑が入り交ざった声を発した。予想外のセリフを放つ親友は未だに椅子に座ったままで、何かを思案するかのように顎に手を当てて宙を見つめる。
「お前見てた?さっき二度と関わんないつってたけど」
「うん」
「金で釣っても釣れないけど」
「うん」
「……はぁ…お前の考えてることまっじわかんねぇ…」
お手上げと言わんばかりに両掌を空に向ける五条に「金で釣った魚はより大きいエサを求める」と夏油が一言。
「は?」
「金になびかない人間の方が信用できるって言ってるの。何せ金持ちの考えている人間は凡人には理解できないからね」
「より金になることを考えるから、私たちの話をどこにどう扱うか分からない」と続けて話すのを五条は否定もせず肯定もせずに聞きに徹する。
五条家という呪術界では有名な家系に生まれた五条は、過去に金欲しさに家を裏切った身内がいたことを知っているからだ。それほどまでに金が持つ力は恐ろしい。
「下手に協力を仰いで情報を洩らされて夜蛾先生に大目玉食うよりは彼女に協力してもらう方がよっぽどいい」
「…二度と口聞いてくれそうにない雰囲気あるけど」
そう言うからには何か考えがあるんだろうな。そう言いたげな五条のセリフに夏油は「私に考えがある」と得意げに片目を瞑った。