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「——ごっほ!っ、げほ!」

 驚きの余りに餃子があらぬところに入り込んだせいで激しくむせる。ラー油をたっぷり絡めたせいで余計にしんどい。振り返れば真後ろには五条さんの姿で、幸い包帯ではなくてサングラス姿だ。包帯巻きモードで知り合いと思われたらそれはつらい。

「や、久しぶり、名前」
「ご、ご無沙汰しております」
「僕の連絡フルシカトとは大したもんだね」
「…す、すみません。食事中だったもので」
「そうだね。ゲッとか言ってた気がしたけど、それは聞かなかったことにしておくよ」
「…」

 いつから店内にいたんだ。…思えば確かに数分前に店内がザワついたような気もしなくないから、来たとしたらそのときか。いやはやぬかった。こんな古びた中華料理屋何て来ないと思ってたから完全に油断してた。
 人の餃子をつまみ食いしながら私の隣の席に腰掛ける五条さんに、つい店内を見渡して婚約者の姿を探すと「どこ見てんのさ」と私の顔を鷲掴みして自分の方に強制的に向けさせた。

「いひゃい!でふ!」
「お前さ」

 少し真面目なトーンの口調に体が強張る。何か言われる。あれだけ聞いていた五条さんの嫌いな上層部と関わったこと、怒られたりするのだろうか。
 どぎまぎと次の言葉が放たれるのを待っていると、顔を掴まれた手が放される。

「…最近、頑張ってるんだね」
「…はい?」
「返済随分ハイペースだからさ」

 返済。遅ればせながらようやくそこで会話の内容が借金に向けられていることに気づいた。

「あぁ…いつまでも私がへっぽこ呪術師と思ったら大間違いですよ」
「今でもそう思ってるけど」

 あぁそうだ、これが五条悟という人間でした。なんだか急に構えていた自分が馬鹿らしくなってきて餃子をひとつ箸で掴んだ。

 が、私はまだ五条悟という人を舐め切っていたようだ。箸を持つ手首を握られ、その痛みで持っていた餃子ごとテーブルに落ちた。

「それで、何して稼いでるの?」

 和やかな空気が一変、怒っている、のが、分かる。掴まれた手の甲がズキンズキンと自分の脈と一緒に疼きだす。

「…や、やだな、呪術師とバイトですよ。五条さんも知ってるじゃないですか」
「質問の仕方が悪かったかな。…誰から呪術師の仕事をもらってる?」
「誰…って」
「言うなら今のうちだよ」
「なんでそんなこと五条さんに、っ」
「おじさん、おあいそ」

 私の手を掴んだまま席を立った五条さんは「悪いね残しちゃって」とひとあたりの良さそうな笑顔を浮かべながら諭吉を一人テーブルに置いて歩きだした。
 連れ出されると察した私は慌ててもう片方の手で荷物を引っ掴んで五条さんの後を追いかけた。


「――ご、五条さん、痛いんで…!離して、ください…!」

 強制的に連れ出されるようにして中華料理屋を出ては早歩きで進む五条さんの背中を小走りでついていく。手首は相変わらず強く握られたままでいて、いくら患部を呪力でカバーしているとはいえめちゃくちゃ痛い。握り折られそう。

「んぶっ!?」

 不意に立ち止まられて五条さんの巨体にぶつかったところでようやく足が止まった。こちらを振り返り見た五条さんはサングラスを外しながら青い双眼で私のことを見下ろす。それを直視するのがなんだか居た堪れなくなってつい視線を逸らしてしまった。

 正直五条さんの目は苦手だ。六眼なんて言われているせいか分からないけれど、じっと真っ直ぐにこちらを捉えるあの目は、なんだか自分の心の中まで見透かしてしまいそうで、綺麗を通り越して怖いとさえ少し思う。

「なんで硝子の所に行かないの」
「そ、れは…家入さん最近お忙しそうだったんで…」
「そうやって言っておいて、硝子や僕に知られたくない何かがあるんじゃないの?」
「……」
「今言いなよ、返答次第じゃタダじゃおかないけど」
「なんで、そんなこと、」

 …なんだろう、妙に調子が狂う。なんでこの人はこんなにピリピリしているのだろうか。どうして私の胸はこんなにもざわざわするのだろうか。
 よく考えたら別に私が五条さんが嫌いな上層部と関わっていたって関係ないはず。所詮私と五条さんは借金の貸出人と借用人の関係で…、ただそれだけなのにどうしてここまで干渉されなければならないのだろうか?こっちはあなたの婚約者に睨まれているっていうのに、この人と来たら人の気も知らないで…。考えれば考えるほど募る不満が口から出てくるのにそう時間はかからなかった。


「――五条さんには関係ないじゃないですか…!」


 思っていたことが口に出やすい性格のせいか、随分感情的に言い放ってしまったとも思うけれど、頭に血が上っているこの状況じゃ自分をコントロールするのはなかなか難しかった。出た言葉は取り消せないとはよく言ったもので、五条さんの眉間にシワが刻まれる。分からない、どうして五条さんがそんな傷ついたような顔をするのかも私には分からない。

「…解ってんの?自分の立場」
「借金の貸出人と借用人だけの関係じゃないですか!」
「…チッ」

 なんの舌打ちですかそれは。こっちが舌打ちしたい気分ですけどと五条さんを睨んでいたら、掴まれたままの手を引かれ、痛みに少し顔を顰めた瞬間には眼前には五条さんの整った顔。
 は、何、なんでこんな五条さんが近づいてきて?たちまちパニックになるが、五条さんは近づいてくるのを止めない。

「悟さーん!こんなところにいた!」

 ビクリと体がはねる。その声に五条さんも固まって、私たちはなぜか顔が近い距離でぴたりと止まった。それからほどなくして誰かが駆け寄ってくる気配がして、ソレは五条さんの腕に絡みつく。私の周囲が自分の存在を強く主張するような香水の匂いに包まれた。

「…は?」
「探したんですよ、もー!」

 五条さんの腕に絡む婚約者さん、私の手を掴む五条さん。ものの数秒の間に謎の場面が完成してしまった。

「誰、あんた」
「誰ってひどーい!」
「――し、失礼します!!」

 端正な顔立ちの五条さんに綺麗な女性の組み合わせに、よくお似合いなはずなのになぜだか居ても立っても居られない激情に呑まれ、痛む腕を振り解いて走り逃げた。
 あぁもう無性にムカムカする。心臓?胃?腸?どこだか分からないけどムカムカして仕方がない。ぶわりと香るあの香水は食べたばかりの餃子と相性が悪くて吐き気がしそうだった。


――


 名前が走る逃げるようにして立ち去った方を見てから、それから自分の腕にしがみつく女を見下ろして「いつまでひっついてるつもり?」と腕を振り払う。
 
「きゃーひどい悟さーん」
「君、おじーちゃんちと仲良い人だよね。名前のない人間。…悪趣味な臭いまでつけて、なんのマネ?臭いんだけど」

 分かってんだよこっちは。あまり茶番を長引かせるな、僕は今ものすごく機嫌が悪い。殺気を込めて言い放てば女の貼り付けたような笑顔が失せ、それまで術式で変装していた姿を解いく。

「さて……?なんのことでしょう?」
「構築術師が欲しいのか、はてさて僕への嫌がらせか知らないけど、あれは僕のお気に入りなんだ」
「存じております」
「……あまり僕を怒らせない方が賢いと思うけど」
「ふふ、怖い怖い、ですね。何を勘違いされてるのか知りませんが、私たちはあくまでも彼女に高報酬の任務を提案しただけ。それを飲んだのは彼女なんです。ゆめゆめ、誤解のないよう…」

 不気味な笑みを浮かべた女は和装の裾を翻して闇夜に消えた。


――
 

 五条さんに啖呵切ってしまってから数日。正直頭を抱えている。申し訳ないことをしてしまったような気もするし、でも五条さんも悪いところあるじゃん、なんて自問自答を繰り返す日々だ。脳裏によぎったあの2人が揃っている場面が嫌に頭から離れなくて、気にするなと自分の頭を叩く。

「こんにちは苗字さん。……な、何か、ありました?」

 適当に高専を歩いていたら少し考え事するのに良さそうな岩陰を見つけ、そこで1人悶々としているとナナシさんがひょっこり顔を見せてくれた。

「はは…トラブルとはまでは行かないのですがね…。ナナシさんがこうしてきていただいたと言うことは、お仕事ですか?」
「はい!200万の案件の提案がございまして」

 ナナシさんがふわりと花のように笑う。200万、ということはだ。この任務さえこなせば借金はチャラ、五条さんとの関係も終わる、呪術師も辞めることができる、ということ。

「やります」

 思いの外長引く怪我も今回だけは家入さんに診てもらって早く治してもらおう。

[借金195万]−[報酬200万]=[残金+5万暫定]



五臓六腑
失笑。