07


 一瞬鼓膜が破れたんじゃないかと錯覚しかけた私たちのところにズケズケと全身真っ黒の包帯男が近づいてくる。なんでこの人がこんなところに。思考が明後日の方向へと飛んでいた私の肩に手が載ったかと思えばたちまちとてつもない握力で肩を掴まれて血の気が引いた。

「い゛…!?」
「は、だ、誰だよお前…?」

 疑問ばかり飛び交う私たちを前にして、包帯男こと五条さんは白い歯を剥き出してニヒルに笑った。

「悪いねぇ!コイツ頭弱いモンで空気読めないところあってね、どうやら君の話理解できてないみたいよ!てなわけで空気が読めないどうしようもないコレ、僕が回収しておくよ」
「イダダダダ」

 状況がてんで読めないまま五条さんに引きずられる様にして歩く。飲んでいた席を通り過ぎた時、一瞬家入さんがこちらへと手をひらひらさせる様子が見えた気がしたのだがもう本当に何が何だかさっぱりだ。

「な、なんでこんなところにいるんですか五条さん…!」
「さっきまで都内で仕事だったんだけどさ、伊地知のヤツ今日休みでね。名前に現場まで迎え来させようと思って電話したら硝子が出るじゃん?」
「あっ…!私のスマホ!」

 いつの間にか五条さんの手にはスマホが握られていて、それを回収しようとしたらサッと奪い取られてしまった。まぁこんなことは日常茶飯事であるから、諦めの早い私は五条さんの気が済むまで待つことにする。お酒も飲んでるし下手に労力を使いたくない。

「硝子が『もしもし名前デース』って超棒読みで出るからさぁー、僕もーびっくりしちゃったよ」
「だからってなんでここに…」
「借金建て替え人が働いてるっつーのに、お前は本当いいご身分なもんだねぇ」

 舌打ちができるもの今鳴らしたい。

 ラーメン食べた時はすぐ返さんでも、って言っておきながら合コンに行ったら自分が働いてるのに良いご身分って。こうなってしまった以上五条さんはもう気が済むまで好き勝手言わせとくのが一番なのだが、いかんせん今は状況が悪い。
 ぐらりと頭が揺れてフラつくと、五条さんがこちらを振り返り見た。

「何?」
「……歩くのが早くて酔いが…少々」

 脚の長さの違いをナメないでくれるかなぁ?五条さんが足早になると私は小走りになるのだ。飲酒後の小走りとなれば当然酒の巡りは一気に加速するわけで、頭がぐわんぐわんしてきてたまらない。

「……はぁ」
「う、わっ!?えっ、な、何!?」

 面倒くさそうに溜息を吐かれ、流石にそろそろおいて帰られるかなと思いきやがばりと抱きつかれて驚き惑う。そしてそのまま持ち上げられて、両足が宙から浮いてしまった。足が地面から離れたその怖さに目の前にいた五条さんの服にしがみつくと、一気に高くなる視界に胃の辺りがヒヤリとした。

「うわわわわあばばばっ」
「うるさいなー、これで文句ない?」
「はっ!?高っ!?怖っ!?」
「腕で貧相なケツ支えてるから落ちないよ」
「一言余計!!」

 恥ずかしいからやめてくれだのなんだの言ったものの全て無意味で、たまにすれ違う人にヒソヒソと話題の標的にされてもう半泣きだ。
 どんな公開処刑?本当に私が何したっていうの…。半泣きながらにとりあえずいつもはなかなか見れない五条さんの毛根を確認しとおいた。わ、やっぱ地毛なんだ、根本から真っ白だ。妙な感動を覚える私に下から「なんでまた合コンなんて行ったのさ」五条さんの声。ほんの少しだけ臍を曲げたような色が入っている気がする。

「え…?家入さんに誘われて…?」
「お持ち帰りされそーになってるしさぁ、バカだよねお前」
「え?何をですか?」
「はーっ!?鈍感キャラ?めんどー!」
「ちょ、道端で叫ばないでくださいよ」

 やばい、こちらこそ面倒くさい。五条さんが機嫌を損ねてる理由がわからないくてかなり困る。逃げ出したくても逃げ出せないし、これマジ詰みだ。
 ただ揺れは思ったよりも心地よい方に傾いていて、気持ち悪くならないか心配だったからそこは助かった。私の尻に悪魔の手が伸びていることを知らずにうつらうつらし始めていたら、ぎゅむ、と尻を摘む痛みにびくりと肩を強ばらせた。

「いった!?お、お尻つねった…!?五条さん今つねりました!?うわ信じられない!」
「何寝ようとしてんだよ。そっちの方が信じられないよ。あと、もう着いたよ」
「え?どこに…わぎゃっ!?」

 突然にずるりと腕から落とす様に落とされて不恰好なりに久方ぶりの地面と合流。
 嗚呼大地最高!と思いつつ立ち上がると、目の前にはコーヒー屋さん。あの全国各地にあるムンクの叫びみたいなマークがついたヤツだ。……はて。

「なぜここに…」
「気分悪くなったから糖分摂取」
「あの、私お財布持ってないのですが…!」

 そう、スマホは五条さんが持ってたけどそれ以外のものは全部あのお店に置いてきてしまっているのだ。家入さん回収してきてくれると助かるんだけど…!お礼に酒奢れって言われそうで心配だけれど。

「僕を誰だと思ってんの」

 お金がないと喚く私をゴミカスでも見るような表情(目元はわからないから口元だけでの判断)で見下ろした五条さんは尻ポケットから抜き身の黒いアレを取り出した。そういうカードって普通お財布に大事に入れておかない?

「小銭とか嵩張るの嫌でね」
「勝手に人の心の中読まないでください。…まぁ生きてる次元が違うということだけはよく分かりました」

 もう日は落ちて、とっぷりと暗闇が空を覆っている時間帯というのに包帯からサングラスへとシフトチェンジした五条さんは手慣れた様子でコーヒーショップのドアに手をかけた。私は五条さんに下ろされた場所から動かずに大きい背中を見送る。

「どしたの」
「私…その、こういうところ行ったことなくて…」
「…マジ?」
「ですね」
「ははっ、ウケるー」

 ……あ、なんだろう、ほんのちょっと五条さんの機嫌が直ったような。手招きされて五条さんに着いて行くと、上機嫌の証なのか珍しく口笛が聞こえた。

「じゃあ僕のおすすめカスタムでいいね?」
「……ゲロ甘にしない程度にお願いします」
「ハイハイ」
「すみませーん、えーっと、キャラメルマキアートに〜、」

 こういうお店の注文方法がわからないのだけど、すらすらとドリンクメニューやらトッピングを伝えて行く五条さんの横顔を見上げ、この人慣れてんなぁと少し感心。若いイケイケの店員さんの空気感に若干気圧されつつも、指定された場所で待つことになった。
 カウンターの向こうで手際良く飲み物を淹れていく店員さんの手捌きに見惚れていたら、少し後ろの高いところで五条さんが「ガン見」と鼻で笑うような声が聞こえた気がしたがこの際スルーだ。

「お待たせいたしました〜、キャラメルマキアートのお客様」
「名前のだよ」
「あっ、ハイ!」

 よくわからない呪文のような名前を読み上げた店員さんを呆然と眺めていたら五条さんに肘で小突かれて慌てて受け取った。透明のカップの中にはキャラメルブラウン色の液体、それからその上にはホイップクリームがたんまりと乗せられている。パフェのような風貌のそれをまじまじ眺めると、カウンターの向こうで店員さんがまた呪文のようなメニューが読み上げ、それに対して五条さんが他所行きの愛想良さそうな声色で返事をした。

「ん?」
「なんか書いてあった?たまに書いてくれるんだよこのお店の人」

 受け取ったカップに書かれた文字の存在に気づいてそれを眺めると、そこには『素敵な彼氏さんですね』とハートマーク付きのそれ。

「勘違いされちゃいましたね……スミマセン」

 そうか、男女の二人組となるとそういうふうに見られてしまうこともあるんだ。こんなのが彼女に思われていることが申し訳なくて、せっかく書いてもらった店員さんの文字を手で覆うようにしてカップを握った。

「なんで?別にいいけど」
「へ」

 ケロリとそう言いのける五条さんはさっさと席の方へ向かってしまった。その背中を見ながら「まぁ、確かに見知らぬ他人だし訂正したところで」と思い直す。
 窓際の席に2人で腰掛け、恐る恐るトップが真白いそれにストローを差して一口。 

「…わ、美味しい…!!なにこれ…!」

 なんてこった、世の中にはこんなデザートドリンクなるものが存在すると言うのか…!感動と衝撃に見舞われながら目の前の五条さんを見上げると、ミニテーブルに頬杖をつきながら薄ら笑みを浮かべている五条さんと目が合った。その余裕そうな表情を見た途端、自分がいかに田舎者の反応をしたのかに気づいてしまって、どうにか真顔を取り繕って再びストローを咥えた。

「良かったね」
「ありがとうございます五条さん」
「うんうん。じゃあそれ1杯10万円のツケね」
「…えっ?」

 涼しげな顔で山盛りのホイップクリームにスプーンを突き刺す五条さんを唖然として見たのであった。

[借金400万]+[コーヒー代10万]=[残金410万]



五臓六腑
失笑。