馬鹿が風邪ひかないのはそれに気付かないから

◼︎


「うーん、37度7分かぁ」

何度測り直しても変わらない体温計の数字に溜息が出た。最近寒くなってきたし、季節の変わり目の影響だろうか。
今日は日用品買い出しのために1日休みにしてたし、勿体ない気もするけどここはしっかりゆっくり寝て早めに直そう、なんて思った矢先のこと。

けたたましく鳴り響く携帯電話にうんざりしながら電話に出た。

「はい」
『あ、名前さん?急にごめんなさい。今日遅番でバイト出られる?お母さんが産気づいちゃって…心配だから一緒に居たいんだけど、今日バイトがあって困ってるの』

ディスプレイも見ずに出たことに気づいたが、その声はすまいるナンバー2の阿音ちゃんからだった。すまいるということは、夜からか…まぁ、1日寝てれば大丈夫かな。ていうか、お母さんが産気づくの?お母さん頑張るなぁなんてどうでも良いことに思考が一瞬持っていかれた。

「うん。わかった。遅番ね。りょーかい」
『ありがとう助かる!お母さん頑張らせるから!』
「あ、うん。頑張って」

電話を切ってもう一度ベッドに倒れこむ。お母さん…産気づいたのかぁ…。なんてぼんやりと考えながらもう一度目を閉ざした。


―――――


「あら?名前さん今日シフト入ってたかしら?」

夕方18時。すまいるのタイムカードを押していると、既に身支度を整えたお妙ちゃん。いつもニコニコしていて可愛いから、私も見習わなければ。特にここは女子らしい方が売れる場所なのだ。

「あ、阿音ちゃんの代わりなの。お母さんが産気づいたらしくって、ヒッヒッフーってしてくるみたい」
「あら、阿音ちゃんのお母さん頑張るのねぇ。ヒッヒッフーするのは阿音ちゃんなの?」
「私もヒッヒッフーして頑張らないとね!」
「それはなんか違うと思うんだけれど…」
「名前ちゃん!すぐ出れる?指名無しのお客さんについてもらえない!?」
「はーい」

くすくす笑うお妙ちゃんに癒されていると、店長が慌てて休憩室に飛び込んでくるので、私も身支度をしてフロアに出た。

「初めましてー、名前と言いますう」
「うひょー!またこりゃ可愛い子ちゃんが来たなぁ!」
「うふふー、お世辞ありがとうございます」
「ささ、もっとこっちにおいでぶふぉ!」
「やだー、ここお触り禁止ですよー」
「あらあらお茶目な子だねぇ君!気に入ったよー」

席にいたお客さんに腕を引かれて密着するような形で隣に座ってしまったが、条件反射で飛び出した右手のお陰で少しだけスペースが空いた。うーん、この対応はミスったらしい。気に入られてしまって、また密着してきた。まぁ、別に良いか、と思ってお客さんの好みのドリンク作りに入る。



「なぁ…隣のアレ…名前ちゃんか…?」
「なあに長谷川さん。私より名前さんの方が良くって?」
「い、いや…そういうワケじゃないんだけどさ、なんかテンション違くない?」
「何言ってるのマダオさん。ここは日常から隔離された場所なのよ。彼女は今は夜の顔なの。そんなこと言うのは野暮よ」
「え、そうなの」
「でも、なんだか言われてみたら今日なんだか様子がおかしいのよねぇ…。あのまま持ち帰りされなきゃ良いんだけれど…」
「え、この店テイクアウトあるの?」

隣の席にお妙ちゃんとマダオさん…あれ、なんて言ったっけ?本名忘れたけどマダオさんがいるのになんて気が付かず。
目の前のお客さんにお酒を飲むように勧められて二口ほど頂いたら、何故か思考回路が完全に混線し始めた。

「あららー!名前ちゃん?ちょっと飲んだだけで酔っ払っちゃったのー?」
「うう…っ」
「こりゃオジサンが送るしか「店長ォオオオ!指名して良いですかァアアアアア!あの子お願いしますぅうう!!」」

後ろから聞こえたマダオさんの声がやけに頭に響いて思わず頭を抱える。マダオさんが急に私の腕を引いて立ち上がらせるものだから、バランスを崩してマダオさんの胸に寄りかかる。

「ま、マダオさん…!」
「マダオじゃねーよ!!っていうか、大丈夫か名前ちゃん!なんか顔色優れないけどよ…」
「いや、ちょっと頭フラフラするくらいで…。お酒のせいですかね?」
「ちょっ、もしかして熱あるんじゃないの!?」
「まぁ…!名前さん顔熱いわ…!私店長に言ってきます」

お妙ちゃんのひんやりとした手がおでこに触れられて気持ちが良かった。熱下がったと思ったんだけどなあ。

「すみません、ほんと…」
「いや、良いんだって。ゆっくり休むんだよ」
「ありがとうございます…」

タクシーを手配してくれた店長、介護してくれたお妙ちゃん、お持ち帰りされそうになったところを助けてくれた長谷川さんに改めてお礼を言ってタクシーに乗り込んだ。
バイトが終わった緊張感が解けたからか、急に寒くなって更に重くなる体。
ぐったりとして後部座席に乗りこみ、一番近いコンビニまでお願いしたが、運転手さんからは適当な返事しか返ってこず、もうどうにでもなれと目を閉ざした。


―――――


「困りますよお客さん!!」
「あー大丈夫大丈夫。俺こいつの知り合いだから。っていうか、困っちゃうの俺の方だかんね」
「…?」

夕飯食ってるところにマダオから電話があった。どうやらあの暴力女がまたやらかしたらしい。
タクシーでこっちに送るからババアにでも引き渡してくれとのことだが、生憎ババアは昨日からたまとキャサリンを連れて出かけている。

人の話を聞かずに早々に電話を切りやがったマダオに次会ったらぜってーヤツの奢りで飲んでやると心に決め、店前で待ってみれば一台のタクシーが止まった。後部座席を開けて確認すれば、やっぱりコイツだ。

「おい、起きろ。大丈夫か」
「…綿飴が、喋ってるー…」
「あー大丈夫じゃねぇな。オヤジ、こいつ連れてくわ」

熱い頬を軽く叩いて起こすと熱に浮かされ潤んだ目が俺の顔を見上げた。クソ、俺じゃなかったら終わってたぞお前…。
体を動かすのも辛そうだったからコイツを抱き上げれば、着物を着ていてもその熱さが分かる。

コレ、相当やべーんじゃないの…?

「熱出して仕事行って客にお持ち帰りされそうになったらしいじゃねぇか。本物のバカかコノヤロー」
「熱…?」
「マダオから連絡あったンだよ。タクシーでそっち連れてくからよろしくってよ。病人相手に何がよろしくだっつーの」
「なんで綿飴が…」
「ねぇ銀さんの話聞いてんの?さっきから毛の話ばっかりしやがって」

綿飴しか言わねぇコイツを抱えて足で玄関の戸を開けると、神楽が心配そうに飛びついてきた。
いや…コイツ心配そうだが心なしかワクワクしてる。

「名前!大丈夫アルか!?」
「結構熱高そーだわ。て言うかお前なんでそんなに嬉しそうなの」
「だって熱アルよ!みんな優しくしてくれるきゃっほいなイベントネ!」
「この状態を見てなにがきゃっほいだバカヤロー。とりあえずお前接触禁止。ほら、寝床に帰った帰った」
「銀さん!解熱剤見つけました!」

玄関から居間に入れば、ぱっつぁんは俺の机の近くにある箪笥の中から解熱剤を見つけたらしい。

「おーナイスだぱっつぁん」
「あ、水用意しないと!」
「むー。銀ちゃんに移って私に移ったらヨロシ!!」
「お前ダウンしたって酢昆布食えばどーせ復活すんだろ。秒で復活すんだろ」

神楽を適当にあしらって自分の万年床に寝かす。

「、しょっと…」
「う、…」
「…熱高ェな…」

体温計は先日神楽が寝込んだときに口にぶち込んだら飴だと勘違いして盛大に噛まれぶっ壊された。クソ、新しいの買うかどうかなんて渋ってねェでさっさと買っとけばよかったわー。
汗ばんだ前髪を横に流し、晒された額に手を当てて体温を確認してみればかなり熱ィ。それから首元に触れ脈を確認するとかなり早ェ。39度あたりじゃねェか…?
手を引っ込めようとすると、コイツの弱々しい手が俺の手を掴んだ。

「に、…さ…」
「あん?」
「に、い、さん」
「…!」

夢見が悪いのか、目尻から涙を流すコイツに不謹慎にも一瞬、ほんの一瞬だけ見惚れちまったワケで。掴まれてない手で涙を拭い、熱い頬に手を添えた。
こうしてみると結構顔や手は小せーんだなんてぼんやり思ったが、我に返ってガキ共に見られる前に手を引っ込めた。
こんなことするヤツお前しかいねーぞほんと。なんつー女だ。

「早く復活しろコノヤロー。オメーみたいな女に涙なんて不釣り合いだっつーの」

なんてボヤけば、手を掴む力が少しだけ強くなった。


―――――


「新八ィ…」
「どうしたの神楽ちゃん」

僕は台所から水の入ったコップと薬を乗せたお盆を持って居間に入ると、神楽ちゃんが和室から少し離れた場所でじっと向こうにいる銀さんを見ていた。
僕も神楽ちゃんと同じようにして銀さんを見ると、少しだけびっくりした。

「あんな穏やかな銀ちゃん初めてみたアル」
「…そうだね、そっとしておこうか。神楽ちゃん、今晩うちに泊まる…?」
「仕方ないアル。この歌舞伎町の女王様が庶民の貧相な家に泊まってやるネ。泣いて喜べ愚民」
「泊まる側なのに偉い上から目線…!」

襖の近くにお盆を置いて、神楽ちゃんと一緒に万事屋を出ることにした。

名前さん、明日には元気になってくれるといいな。


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