過去の話は所詮過去なのだから仕方がない

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私が生まれた苗字家はそんなに格式高い家でも無いけれど、その土地では程々に有名な武家だった。
私には学問も剣術も長けた文武両道な兄がいて、私はその兄に憧れて物心がつく頃には来る日も来る日も刀を振るっていた。

『兄さん!』
『名前か?またちょいと離れただけで別嬪になりやがって!』
『いたたっ!お帰りなさい!』
『さて!兄妹が揃ったことだし、一緒に撮るわよ!』
『か、母さん…!流石に写真ってちょっと恥ずかしいんだけど…』
『良いじゃない兄さん!父さん撮って!』
『ちょ、父さん入れてくれないの!?』
『あははは!!』


私の記憶の中には二つの兄さんの顔がある。一つはいつも笑みを絶やさない優しくて強い自慢の兄さん。
私が18になる頃には兄さんはもう戦争へ何度か行っていて。半年に一度帰ってきてくれていた。

『兄さんお帰りなさ…!』
『…が、……が足りねェ…』
『に、兄さん…?』


あれは私がもうすぐ20になろうとした頃のこと。
最後に戦場へ向かう兄さんの背を見たのは2年くらい前になろうともしていて、攘夷戦争が終結し、兄さんは帰ってきた。

返ってきた兄さんはすっかり人が変わってしまったようだった。過酷な戦場が兄さんの人格を変えててしまったのか。兄さんは前に比べて気性が荒くなったように感じた。

『ちょっと神経質になっているだけだよ』
『そうだよ。少しだけそっとしておこう』


そう言って父と母はにっこり笑ってくれた。だが、その笑顔も最後のものとなってしまった。

『ーーーーッ!』
『ーーーー!!!』
『……う…?』


その日は満月の綺麗な夜でやけに騒がしい夜だった。寝床が何処からか響く足音や物音でビリビリと揺れていて、私は目が覚めた。
敵襲かと思った私は寝床にある刀を手に取り、物音の出所に向かった。

『やめろ業…!!』
『血が…血が足りねェ…!!!』
『と、…う、さん……?』
『名前!逃げろ!逃げるんだ!』


月明かりに照らされた縁側には倒れた母と白い寝間着を真っ赤に染め上げた父の姿。
働かない頭と裏腹に目は少しでも情報を得ようとして辺りを見渡すべく、無意識に視線が動いていた。傷口を抑えて蹲る父さんのその傍らには、狼のような不気味な仮面を身に着けた日本刀を持つ何者かの姿。
身体の表は返り血を浴びていて、血濡れた仮面から覗く目が此方を見た途端に笑ったような気がして背筋がぞくりと凍った。

『もうやめてくれ業!!!』

業…?じゃぁ、あれは兄さんなの?どういうこと?何をしているの?

父さんは必死に私に何かを伝えているが、何も聞こえない。兄さんは私から目を逸らすと持っていた得物を父さんに向かって振り下ろした。
血飛沫を浴びてニタリと笑う兄さんの表情に、私は無意識に刀身を抜いた。ガラン、と鞘が地面に落ちて、兄さんは此方を向いた。

いや、在れは兄さんではないと頭の片隅でそんなことを思っていた。

『…お前の血は嘸かし綺麗なことだろうなぁ…名前!!』
『…ッ!!』


そこからは夢中過ぎてなにも覚えていなかった。あの兄さんと死ぬ気で真剣を交えながら、昔2人で修行をした山の中を逃げ回った。

『あ゛ぁぁああッ!!!』
『呆気ねェな…』


肩を貫かれて私は盛大にすっ転んだ。痛みと恐怖に蝕まれた身体に鞭を打って立ちあがる。素足のまま山へ逃げてきて、身体もあちこち斬られていて、もう何処が痛いのか分からない。

『兄さん…』
『怖いだろう?一瞬でヤってやっから。だからさっさとくたばれェエエ!!』
『ーーー』


昔兄さんがこう教えてくれたことがある。『感情のままに振るう刀ほど容易いものはない』と。

涙で揺れる視界を拭って振り払い、大振りになった兄さんの懐を目掛けて私は駆け出した。


―――――


「はっ!!!」

頭上のアラームがけたたましく鳴って、金縛りが解けたかのように跳ね起きた。

なんだ…夢だったんだ…。もー寝汗が酷くて最悪。
暴れ狂う心臓を押さえつけて丸まって、呼吸を整えた。

「あー、嫌な夢見た…」

床に足を降ろすと小さい卓袱台に当たって、写真立てが音を立てて倒れた。それを手に取れば、いつか撮った私と兄さんの写真。この写真を見るとあの悪夢がやっぱりまだ信じられなくて。
謂わば精神安定剤に近い其れを私は静かに卓袱台の上に置いた。

その傍に立て掛けてある刀袋がカタリと少しだけ動いたような気がした。


―――――


「いるか、ヅラァ」
「ヅラじゃない。桂だ」

北斗心軒に行ってみりゃカウンター席に見慣れた長髪を見つけた。そいつの席から一つ空席を挟んだところに腰を下ろす。

「オイ、酒くれ」
「ウチ居酒屋じゃないから」
「それでは蕎麦を」


間が空いて、俺とヅラは顔をボコボコに腫らしてヤツの不味いラーメンを啜った。

「珍しいな貴様がこんなところに」
「何がこんなところだって?」

ヅラの台詞に反応した幾松を宥めて俺はまたラーメンを啜る。余計なこと言うなヅラ。めんどくせェ。

「あー、まぁ、なんつーか?偶には旧友とラーメンも悪かねーな?なんて?」
「フッ…。聞きたい事が有れば聞けばよかろう。回りくどいな貴様は」

別に回りくどくねーだろーが。爪楊枝を取り出し、歯の隙間に入ったネギを取りながら前々から気にかかっていた名前を口にした。

「…アイツ覚えてっか?」
「アイツとな?」
「業だよ。苗字業」

お互いにやや沈黙が走った。まぁ、あの姿を忘れるわけがねェだろう。
いつも不気味な獣みてェな仮面を身に着けていて、笑い声を挙げながら敵に斬りかかるその姿はどのヤツらの記憶にも残ってるハズだ。

「…久しく聞く名だな」
「…偶然同じ苗かと思ってたんだがなぁ」
「名前殿のことか?」
「おー…。オメーは知ってたのか?」
「ゆくゆくは同志として迎え入れるつもりでいたからな」
「はっ、アイツが攘夷志士になるタマかよ」

パン屋とキャバ嬢だぜ?ただのフリーターだぞ?
ていうか攘夷志士やら攘夷戦争っつー単語だけで吐き気がするような表情をするアイツが攘夷志士になれると思わず、鼻で笑っちまった。

「何れにしてもその名は忘れはせん。終戦後、あの戦時中の血飛沫を浴びたことが忘れられずに両親を躊躇いもなく斬り捨てたらしいな」

勿論その話は当時の俺の耳にも届いていた。満月に反応する人狼だったんじゃねェのかってくだらねェ噂まで流れていた。

「…やんなっちまうなァ…ホント。世話になったっちゃなったが、途中で人が変わったみてェに先陣突っ切ってよォ…」
「あぁ…」
「あれが兄貴たァ、どんな気持ちなんだろうな…」
「さぁな…」


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