名前だけで人を判断するのは良くない(後編)

◼︎


「…ここで…良いんですか?」
『旦那は黒髪七三らしい。会ったら一発で分かるって』
「黒髪七三って、ここに何人いると思ってんですか…」

イヤホン越しに聞こえた銀さんの声に呆れた声が出てきた。
チラリと吹き抜けの二階のフロアの方見上げると、新八君と銀さん。銀さんは目が合うと人差し指を立てて口元に近づけた。静かに座ってろ、ってか。


―――――


パン屋のバイトが終わってから銀さんがスクーターでお迎えに来てくれ、着いた先がお妙ちゃんの家。
あれよこれよとなっている間に上品な着物を着付けてくれて(何やらキャバクラからパクってきたらしい)、さらに髪もコテで綺麗にストレートに整えてくれた。
それから旦那さんが設営したというクラブに無事入店。タバコのにおいやアルコール、香水の匂いが入り混じっていて、せっかくお妙ちゃんが貸してくれた着物に匂いが付きそうだ。

「(密着したツーショットが取れたら終わりだもんね。終わったら着物をクリーニングに出してお返ししよう)」
「――こんばんは。一人?」
「!」
『!…そいつだ!』

バーテンダーが常勤しているカウンターテーブルで烏龍茶を一人で飲んでいると、視界の右側ににゅっと手が伸びてカウンターテーブルに手をついてきた。
左側から声が聞こえてびっくりして振り向けば、そこには黒髪七三。いや、七三というか、六四?40代くらいだろうか思ったよりも若い雰囲気に少しだけ驚いた。

彼に囲まれてる、と気が付いた時にはイヤホンから銀さんの「でかした」という声が聞こえた。シャッターチャンスだろ。早く撮ってくれ。

「見ない顔だね。今日は誰かと」
「え、えぇ。ちょっと今トイレに行ってるみたい」
「ほう。よろしければお名前窺っても?」
「…そういう時は自分から名乗ったら?」

神楽ちゃんに初めて会って名前を聞いた時のことを思い出した。うーん、これ今後も使えそう。

「ふふ、僕は楊枝、楊枝茂枝雄さ」
「…ポチ美よ」
『ポチ美って…ぶふっ。アドリブにしちゃひでェよそれは…それはダメだって…ぶふっ』
『銀さん早く撮ってくださいよ!!』

イヤホン越しの銀さんのツボに入った笑い声と新八君の声。
何笑ってんのよ!!!思わず二階を睨んだ。銀さんが震えてシャッターが押せずにもたついているらしい。……あの野郎終わったら絶対シバく。

「なんだかそっけないね。僕の事、見てくれないかな」
「!」

顎を掴まれて強制的に楊枝さんと目を合わせることになった。思わずぞっとして手を払いのけると、烏龍茶を飲み干した。やってられないわ。撮れなくて文句言われたってもう知るか。

「良かったら、この店のVIPルームへ案内しよう」
「いえ、もう連れが来るので結構です」

店出たらその連れをフルボッコにしてやろうと、椅子から立ち上がった。

「え」
「おっと、危ない」

くらりと視界が揺れてバランスを崩した。

そこを楊枝さんが私を抱きかかえることで、倒れることは回避された。
「ありがとう、でももう大丈夫」と言いたいのだが、声が出ない。イヤホンで銀さんか新八君が何か言っている声が聞こえるのだか、それすらも聞き取れない。

「…少し、休憩でもしようかね」
「…っ」

楊枝さんが耳元でそう言うと、私を横抱きにして歩き始めた。本能的にやばい、と察しながらも私は目の前が真っ暗になった。


―――――


「――ッ!」

目を覚ますとそこは柔らかいベッドの上に寝かされていた。着物を見るところ、何もされていない、たぶん。
両手をつなぐ錠がジャラリ、と音を立てた。

「目が覚めたかい?」
「何、をしたの…!」

楊枝さんの声がする方を見ると、唖然とした。

部屋の中は萌えキャラのポスターやフィギュアまみれなのだ。
美少女戦士ブレザームーンと書かれたポスターには、黒髪ストレートロングヘアの女の子がブレザーを着て決めポーズをとっている。
その部屋をうっとり鑑賞するように楊枝さんはソファーに座ってワイングラスを揺らしていた。彼はワイングラスを置くと私のいるベッドに乗りあがってきた。

「っ…!」
「怖がらなくても良いんだよ。これから愉しい事をするんだ。大人しくしていれば、痛い思いもしなくて済む」
「…っ、なにコレ…!」
「こんなに泣いてしまって…。ちょっと薬を入れすぎてしまったかな?」

楊枝さんが私の前髪を横に流して、私の顔をのぞき込むようにしてこちらを見つめた。
私と言えば何故だか涙が止まらなくてただただ混乱ばかり。

「さ、もうすぐカメラマンも来ることだし、お着替えをしよう」
「い、いや…っ!!」
「抵抗すると、痛い思いさせなきゃいけないことになる」
「……ッ…!」

着物の脱がせにかかってくる楊枝さんに抵抗をすれば頬を思い切り打たれた。頭がぐわんぐわんとして、一瞬視界が鈍る。
あ、こりゃ結構な力で打たれたかもしれない。

「もうダメだ」と諦めかけたその時、部屋にノック音が聞こえ、楊枝さんは私から離れて壁の死角へ消えた。
剥き出しになった肩が冷えたからか、はたまた恐怖心からか、何から来ているのかもわからない震えに思わず自分の体を抱きしめる。

「どーもー。毎度ご贔屓にしていただいてありがとうございますー」
「おや?なんだかいつもとテンションが違うね…。何か良い事でも?」
「何ってそりゃ楊枝さん。いつもお宅の撮影楽しませてもらってますんでぇ」
「そうかね。今日も可愛い子を見つけたよ。今から着替えさせるからちょっと待っててくれるかね」
「ほう。ちょいと一目拝ませてもらっても?」
「あぁ、あっちにいるよ」

死角から再び現れた楊枝さんと、やってきたのはもう一人別のマント姿の男。ニット帽にサングラスをかけていて、手にはカメラを持っている。
何故だか分からないけれど、サングラスの向こうの目がギラついた気がした。

「適当に寛いでいてくれ。すぐに支度を終え…ぐがァ!!?」
「オイオイオイオイ、ナニしようとしてたわけェ?こんな良い歳こいたオッサンがよー」

ニット帽を被った人が、来ていたマントを脱ぎ捨てて楊枝さんに向かって何かを振りかざした。その勢いでニット帽とサングラスが吹っ飛んで、私はようやく我に返った。


「ぎ、銀さん!」


張り詰めた緊張が少しだけ解けた気がした。銀さんは一発で伸びた楊枝さんを部屋の隅に蹴飛ばすと、私のいるベッドに向かって足を進めてきた。

「…わりィな。無事か?」
「……ッ!」

手を伸ばしてきた銀さんが一瞬、業兄さんに見えて反射的に自分を庇うようにして身を構えた。
先ほどとは違う、奥底から込み上げてくる恐怖心に涙が零れた。

「…名前、俺ァ銀さんだ」
「…ぎん、さ‥ん…」

優しい手つきで手を取られて顔を上げると、そこには悲しそうにこちらを見つめる銀さん。兄さんの姿はどこにもない。

「ぎんさん…」
「おう。悪かったな怖ェ思いさせちまって」
「ぎんさんンっ…」

銀さんは私の着物をそっと整えて、ぐしゃぐしゃになった髪も手直ししてくれた。甘いいつもの匂いに私は安堵してまた涙を零しながら俯いた。
一人で肩を震わせていると手が伸びてきて、その手に引っ張られて私は前に倒れ込んだ。

その先には銀さんの胸があって、彼のあったかい腕は私の背中に回っていた。


私はそのぬくもりに縋る様にして情けなく泣いた。


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