はが立たない
◼︎
目を覚ますと目の前に真っ白い天井が見えた。あれ、次郎長と戦って…それで……
―――水たまりに映る赤い目をした自分の姿を思い出した。
「っ!」
咄嗟に身体を跳ね起こせば傷口がズキリと痛んだが、自前の治癒能力で随分とマシだった。丸薬があればな…、とも思ったけれど、吉原での戦いに比べたらまだ傷は軽い方で、そこであの次郎長とやらに加減されたことに気づく。
目覚める前に、やけに鮮明に覚えているあの血飛沫の記憶も蘇った。咄嗟に布団を剥いで点滴を抜いた。
「…名前」
「坂田」
入口の方を見ればちょうど部屋に入ろうとしている坂田の姿。起きている私に驚いてから、少しだけ安堵の溜息を吐いた。
「……既視感満載だな」
「…うるさい。…お登勢さん…はぶっ!?」
近くの椅子に置いてあったコートを羽織り、傘を手に取り扉へ向おうと坂田の横をすれ違えば、思いっきり腕を掴まれて硬いものにぶつかった。
「…ちょ、っと……坂田…?」
ぎゅっと白いものに包まれて身動きが取れなくなった。
…これ…どうしろと?
「名前、だよな?」
「名前、ですが?」
内心戸惑っていると坂田は大きく息を吸って大きく吐いた。
「なに」
「悪ィ、安心した」
「なんで。安心パックとしてお金取っていい?」
「ババアんとこだろ。こっちだ」
「いや聞けよ」
ほんの少しだけ言動に違和感を感じる坂田の姿に妙な胸騒ぎを感じつつ、いつもより覇気のない背中を追った。
辿り着いたのは一つの病室。ベッドに横たわるお登勢さんの姿に声が出なかった。
「…」
「なんとか一命は取り留めちゃいるが…まだ油断はできねェ」
「…坂田、「ありがとうな、名前」…は?」
背後にいる坂田を見上げると、虚ろげな瞳と目が合う。
「それから富嶽絡みから手を引け」
「…は…?」
「近々この町で戦が起こるかもしれねェ。背後に富嶽…ヤツの気配があるが、お前もババアの勢力と見られた以上、自分の仕事どころじゃなくなっちまってらァ。かぶき町から…江戸を離れた方がいい」
「なに、言って…」
「ババアもそのうち町外の病院に移送が決まってっし、お前もここに寄り付く理由もねェだろ?真選組のヤツらはー…あー、まぁ、適当に理由付けとけばいいんじゃね?」
「…ねぇ…坂田…さっきから何言ってんの」
「ーーそれに、万事屋はもうたたむことにした」
「坂田!!」
1人でベラベラと話を続ける坂田の胸倉を掴み、その前に床にはっ倒した。
「何弱気なこと言ってんの…?アンタ…今まで何度も江戸を、かぶき町を、万事屋を守ってきた…そうでしょ?」
「…」
「何が四天王だ…何が勢力だ…。こんな小さな星の小さなの町守ってきたハズのアンタが…!なんでそんなんなの…っ!」
「…次郎長の強さは分かっただろ」
「!」
「お前もババアもやられたあと、手負いのヤツに突っ込んでいってもこのザマなんだ。あれほどの化け物がもう1人いて…叶うわきゃねェだろ」
「…っ」
「――ごっついやろ、ウチのオジキ」
病室の入り口から聞こえた声の主を見上げる。
誰だこの七三、と病院服姿のその男をぼんやり見上げていると、下にいる坂田が起き上がって私は坂田の上から立退く。
「ワシの命を助けりゃ…とも思ったか?残念じゃったのう、もう何もかも遅い!戦争はもう止まらへんで!」
品なく笑う七三の側まで近づいた坂田はゆっくり右手を持ち上げたかと思えば、腹を抉るようにして爪を立てた。
忽ち飛び散る血に状況が分かってきた。
どうやらこの七三、次郎長手下のようで縁があって坂田に命を救われたらしい。それから、彼の口からお登勢さん、旦那さん、次郎長の三人の間柄を知り、さらには次郎長の娘が、自分の父親を縛るかぶき町から父親を解放させようと別のところで動いている、だとか。
…お登勢さんは、実の妹を亡くし、更には旦那さんまで…。一体どれだけ辛く悲しかったことか。
あの人の余裕そうに紫煙を燻らせるその裏側を一瞬だけ見たような気がした。
「あの親子…これでホンマに幸せになれるんか」
ぼんやり呟いた七三の声と同時にブーツが音を立てた。
「どうやってもなれねーよ。俺が潰すからな」
「!」
坂田のセリフにぴくりと身体が動いた。
「…やっぱり嬢ちゃんやガキどもに芝居うっとったな。ムチャやで四天王一人で相手取るつもりが」
「――二人ならいい?」
そう口にすれば二人がこちらを振り向く。
「んだこの嬢ちゃんは」
「名前…あのな、そういう事じゃねーんだ」
「じゃぁ何どういう事」
「…死ぬかもしれねーんだぞ」
「死ぬかもしれないから引け?ははっ、アンタが何言ってんの」
「お前な…」
「一度や二度は死んだようなものだし」
「俺が拾ってやったんだからもちっと大事にしろ。二度目はねェ」
「アンタのタマだって私が拾ってやったようなもんなんだけど忘れてんの?そっちの方が大事にしたら?タマ無くしてオカマになる前に」
「んだろコルァ」
「オイオイオイオイィィイ!お前ら待てやァ!」
互いにガン飛ばしあう私と坂田の間にあの七三が割り込む。
落ち着きを取り戻した坂田は細長い溜息を吐いたのちに私の胸下を指差した。
「大体名前、オメーはもうこの町とは…っ、ギャァァア!!!」
が、その指をへし折る。
「確かにかぶき町と私は縁がない」
「だから、」
「いや、無かった。でも出来たんだよ。縁が」
「は?」
「"身内"として、戦わせてもらうよ。
――お登勢さんの可愛い姪っ子、として」
「!」
「あんさんまさかの…お登勢んとこの…!」
目を見開かせた二人にほくそ笑んでやった。ヒロインはそうそなくっちゃね。
「バーさんの…死に際を…見届けてやるんじゃないのかい…。…アンタたちの死に際なんてあたしゃ見たかないよ」
嗄れた声にベッドを振り向けばお登勢さんがこちらを見ていた。
「バーさん、たまった家賃は必ず返す。だから…待ってろ」
踵を返す坂田の背を何も言わずに追いかけた。
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