大人になると素直さが置き去りになる

◼︎


「あれ?」
「ん?」

現場での修理作業の帰り、ふと思い立って最近いきつけであるお店の暖簾を潜ったら、カウンターテーブルに見覚えある顔があった。服装はいつもと違うけれど、その人の目の前に置かれているマヨネーズと、そこに立てかけられている刀を見てすぐに分かった。

「こんばんは、土方さん。隣、良いですか?」
「あぁ」

断りを入れてから土方さんの隣に腰をかけ、馴染みある店長にいつものメニューを頼んだ。

「こっちのも食うか?」
「あ、ありがとうございます。珍しいですね、非番ですか?」
「今日は早く上がれてな。非番は明日だ」
「じゃあ、今晩はよく飲めますね」
「どっかの修理屋がちゃっちゃと修理してくれるお陰でな。物損関係の面倒くせェ手続きが随分減ったんだよ」
「へぇ相当優秀な修理屋なんですねぇ」
「今度高ェ酒の一つでも奢ってやんねェとな」

お互いに笑みが溢れた。目の前にジョッキが置かれて顔を上げる。

「ファーストちゃん、はいよ!」
「ありがとうございます」
「…あっ、そうだ!ファーストちゃんさー、飲み代の代わりにちょっとちゃちゃっと直してほしいモンあるんだけどいいかなー!?」
「店長またですか?……まぁ、飲み代浮くなら」
「良いのかよ」

店長に頼まれたのはジョッキの修理だった。先日団体客が入ってきて、乱闘騒ぎになったらしく、なかなかの量のジョッキが破損してしまったらしい。グラスもなかなか高いからね…。
ささっと両手を合わせて錬成し、席に戻る。

「相変わらずすげーな。魔法でも見せられてる気がするわ」
「よく言われます。土方さんも錬金術学んでみますか?」
「いんや、素振りしてる方が性に合うわ」

いかにも真選組副長らしいセリフに笑い、「んじゃ、気を取り直して乾杯しましょう」と言うと、無言でグラスを持ち上げてくれた土方さんに「かんぱーい」と間延びした声を上げてグラスを鳴らした。

「その感じだと仕事は順調みてーだな」
「はい。皮肉なことにあの一件があってから…商売繁盛ですね」

土方さんが食べかけていたタコキムチを一つ頂いて口に含む。ここのタコキムチ美味しいんだよなぁ。これを頼むってことは土方さん相当ここへ通っているのだろうか。

「あ、そうだ。土方さんに相談したいことあるのですが、良いですか?」
「あん?」
「ちょっと最近悩んでることがありまして…」
「ほう。江戸一番の修理屋が頭を悩ませるたぁ…。なんだ?」
「単刀直入に聞きますけど、恋ってなんでしょう?」
「ゴフッ!!」

吹いた。土方さんが思いっきりビールを吹いた。そしてさらには気管にも入ったらしく涙目を浮かべながらむせ返った。…あー炭酸は痛いですよね、ちょっとかわいそうなことしてしまったのかもしれない。

「コイ、だぁ?」
「はい。恋というのは科学的に説明すると脳内物質やホルモンの一種の影響を強く受けているらしく…。向こうの国では詳しい文献を拝見することは出来なかったのですが、特にはプラスの感情にさせるドーパミンだったりセロトニンの影響があるとかないとか。生憎自分の脳みそは開けませんし、こればっかりは苦手な感覚に頼るしかなく…。そこで土方さんに、」
「ちょ、待て待て待て待て。ちょっと待て。お前さん婚約者いたよな?そいつと付き合ってたんだよな?その時の感覚もそんな感じなのか?」
「恋人いましたけど…それはもう六年以上前の話ですよ?惚れた腫れたなんて…ブランクありすぎてペーパードライバーに戻ったようなものです」
「ペーパードライバーっつーか…うん、なんか色々遡りすぎて原始人に戻ったレベルだな」
「失礼ですね。おモテになる土方さんには馬鹿らしい悩みかもしれませんが、私には結構深刻なことなんです」
「生憎こちとらモテた記憶はねェよ」
「またまたご謙遜を」
「で、話は戻すが…。恋がなんだって?」
「恋するってどんな感じなのでしょう?」
「…それ俺に聞くか?」
「だからおモテになる土方さんなら、と思いまして」
「あぁそういうことか。ドーパミン云々に衝撃受けちまって他のこと抜け落ちたわ」

なぜ。少々ムッとして土方さんを見ると彼はまた新たな煙草を手に取って火をつけては、横に置いてある刀を軽く持ち上げた。

「残念だが俺ァコイツが恋人みてェなモンでな。お前さんが納得いくような答えは持ち合わせちゃいねェよ」
「……なるほど。刀に欲情してるんですね。…同性愛も広まってることですし、…そうですね、そういう愛もありますね」
「オイなんか色々違うような気がするんだけど。やめてくんないその目」

ふう、と宙を漂う紫煙を眺め、手元のグラスに手を伸ばす。

「土方さんなら分かると思ったんですけどねぇ。難しいですね、そういうの」
「…知るかってんだ、惚れた腫れただの」

今度は誰に聞いてみようか。キャバクラで働く妙さんに一つ教わろうかとも思ったが、なんか違う気もする。短いため息をつきながらグラスについた水滴で適当に数式を書いてみると、背後にいたお客さんの黄色い声が耳に入った。

「ねえねえ!あなたやっぱりあの人のこと好きなの!?」
「わ、わかんないよ!ただなんかつい目で追っちゃうし、なんかあの人の周りだけキラキラしてるっていうか!」
「それ恋よ〜!好きってことじゃんー!」

ふう、と隣で土方さんが紫煙を吐いた。

「…だそうだ」
「ふむ。キラキラしたら恋」

どうやら聞いていたらしい。キラキラ、ねぇ。最近会った坂田さんの姿を思い返してみる。
ちゃらんぽらんの周りに……キラキラ…か。

「鬱陶しいな」
「黙ってろインテリ」

すかさず隣から突っ込まれた。それからぐい、とジョッキを口に含んだ土方さんは少しだけ荒々しくカウンターテーブルにジョッキを置くと新しいタバコを手に取った。

「野郎のことか」
「…バレてますか」
「付き合ってみたら良いじゃねぇか。なあに、想像通りの屑なら捨てるだけ。単純な話だ」
「怖いこと言いますねぇ」

「何も間違ったことは言っちゃいねぇよ」土方さんはぶっきら棒にそう言った。

「……ただ、夢を見るんですよ」
「夢?」
「少し浮かれてしまうと夢に出てくるんです。血だらけのあの人が。…まるで私に警告するかのように」
「…そいつは…」

何か言いかけた土方さんは「ヘイらっしゃい!」なんて店長の元気な声が店内に響き渡ると、開きかけた口をまた閉じてしまった。私は特に彼の台詞の続きを催促することはしないでジョッキを口元に運ぶと、土方さんがふと咥えていた煙草を手にとり、その手で頬杖をついてこちらを見ると優しく微笑んだ。色男、なんて言葉がよく似合うなぁとしみじみ思いながら喉を鳴らす。

「…なぁファースト」
「はい」
「前に教えた俺の名前、覚えてるか?」
「え?……えっ!?名前、ですか」
「呼べよ、今」
「…えっ…今…ですか?…っと……十四郎…さん?」
「もう一回」
「十四郎さん?」

ちょ、この頬に添えられたこの手はなんだ?と尋ねようとしたら背後でガタンと一際大きな物音が立って、肩を震わせた。何事かと思って振り返るとそこに居たのは坂田さんだった。

「さかた、さ」
「あーっと、奇遇だねーファーストチャンに多串くん?あー……何?お宅らそんな感じだったの?まじか。あ、そうなの?なんかごめんね、空気壊して。おやっさん、俺財布忘れたからまた来るわ」
「今まで財布持ってきたことあったかよう銀さん!次はツケの分財布に入れて持ってこいよ!」
「おー」
「待って、待ってください坂田さん!」

着流を掴もうとして立ち上がったところ、片手を掴まれて止まる。振り返ると土方さんが私の手を掴んでは真っ直ぐこちらを見上げていた。
坂田さんはそんな私と土方さんを一瞥すると店の戸を開けて出て行ってしまった。

「…誤解を解きたくなったか?」
「えっ?」

土方さんの言葉を理解するのに少しだけ時間がかかった。

「野郎に俺たちが恋仲と思われても気にならねェってんなら、その程度。それが嫌ならそういうことだろ」
「…あ」
「それに、元婚約者のことは本当はお前が一番分かってんだろう?アイツはお前の枕元にやってきてお前の幸せを踏みにじるような小せぇ男じゃねぇってことぐらい」
「…」
「お前の元婚約者は心の底からお前の幸せを願うような男だと。そんな男だからお前は選んだんだ」
「土方さん…」
「惚れた女には幸せになってほしい、それだけだろ」

最後の言葉は、一度は誰かに言ったことがあるのだろうか。昔話を語るかのように穏やかな口調で土方さんはそう言った。

「信じてやれよ、アイツを」

ゆっくりと手を離されて背中を押される。

「行ってこい」
「…はい!今度奢らせてください恋愛マスター!」
「誰が恋愛マスターだ。これ以上事態拗らせる前にとっとと行け」

しっし、と軽くあしらわれるように手を振られて、そんな土方さんに頭を下げてから踵を返した。


ーーーーー


ピシャリと閉められた戸を見てから、アイツの手を引き留めた己の右手を見る。…随分細っこい手首だったな。なんて思いながらその感触をかき消すように冷たいグラスに手を伸ばした。

「鬼の副長、フラれちまったねェ」
「なんの話だ」
「失恋話なら聞いてやんよ」
「馬鹿言えおやっさん。さっきの話聞いてなかったのかよ。俺ァコイツが恋人だ」

ま、確かに良い女だったよ。そんな言葉は酒と一緒に飲み込んだ。


PREV INDEX NEXT
top