どうしてこうなった。


 ガッターン!

 ペンが走り紙が捲られる音だけの静まり返った教室で、一人の椅子が激しい音と共に倒れた。

「何だよ、これ!?」

 大声を出して、周囲の注目を集めたいのか騒ぐ一人の生徒。けれど、クラスメイトである他の生徒は気にも留めない。なんせ今はテスト中なのだ。皆目の前にある紙に集中しなければならないし、件の生徒に構う暇さえない。その中で一人、問題を凄まじい速さで解く生徒。彼は今騒いでいる転校生であり問題児である生徒の様子に、くすりと心中で嘲笑した。
 転校生が騒ぐのも無理ないかもな。
 ペラリと捲り、裏の問題へ視線を落とす。

 だって、このテスト、全部英語で書かれてるもんな。

 そう、目の前のテストは全て英語で表記されていた。「以下の問いに答えなさい」という問題でさえ英語なのだ。ちなみに、今は社会のテスト中。クラスメイトはすらすらテストを解いているのに気づいた転校生が顔を真っ青にしている。それを窓の反射でさり気なく覗いながら、俺は再び心中でクスリと笑った。
 上流学園は、未来のリーダーを養成する学び舎だ。リーダーシップを身につけるためのカリキュラムだけでなく、世界に通用するようにと考えられた授業内容。優秀な教師陣。そんな学び舎には自然と優秀な生徒が集まり、大手企業のご子息の中でも優秀な子が入ってくる。上流階級では、この上流学園に入学することは所謂ステータスになっており、パーティなんかで「うちの子は優秀で、イギリスの学校へ入学することになったのよ。お宅のお子さんはどちらへ入学するの?」なんて、うちの子自慢するご婦人たちへ「上流学園」と一言云えばその場を黙らせることができるくらいには、優秀でかつ敷居が高すぎる学園として有名であった。
 そんな上流学園の授業での会話は全て英語。流石に古典や現代文は日本語だが、授業で使用する言語が英語だと日常会話も英語になってしまう。そこへ転入してきた転校生。最初の自己紹介の時点で彼の程度が知れてしまった。明らかに勉学に励んでおらず、協調性もなくコミュニケーションが取れない。英語での授業に「おかしい、間違っている!」と騒ぎたて、自分がついていけないことを周囲と環境のせいにして棚上げしたことには目を見張った。
 俺はテスト用紙から窓へと視線をやる。反射して見える転校生は、顔を青くしていたのを今度は真っ赤にした。憤慨しているようだ。
 ガッシャーーーーーン!
 転校生が机をなぎ倒す。

「何でみんな何も言わないんだよ!こんなの間違ってんだろ!?」

 テスト用紙が小さく舞って床に落ちた。今度は自分が問題を解けないことで憤慨しているようだ。まったく恐れ入る。
 やっていることが小学生、否、幼稚園児でもしない。そもそも、転校生の学力で入れるような学園でもクラスでもないのだ。上流学園は世界水準でもレベルが高い学校であるし、加えて特進クラスはその中でもトップクラスだ。そして、この学園はその高レベルの学力を保つために超実力主義となっていて、定期考査ごとにクラス替えが行われ、成績不振の者は上のクラスから転落していくばかりでなく、授業内容についていけていないと判断された者は教師に呼び出され、下のクラスに落とされる。定期考査以外で上に上がることはできないが、常に下に落とされるという恐怖システムが導入されているのだ。それなのに、転校生が転入、クラス落ちしないのは、彼の叔父である理事長代理がそうさせているのだろう。俺は転校生の行動を覗いながらテストを用紙に文字を走らせ、小さく溜息をついた。
 転校生が転入してくる前は、確かに素晴らしい理事長がいた。が、彼は全校朝礼の際、マイク越しに「ふぐはッ!」という奇声を発してギックリ腰を患ってしまったのだ。加えて、過労やらなんやらがオプションで付き、一ヶ月の入院となってしまった。そして、その隙を狙ってやってきたのが、今の転入生の叔父である。そいつは理事長代理という座に君臨し、転校生という異端児を学園へ招きいれた。そして転校生を使い学園を崩壊へ陥れているのだ。と、少々大げさに説明したがテスト中の変なテンションだと思って下さい。
 俺は開始15分でテストを解き終えると、いよいよ本格的に転校生を監視し始めた。ちなみに、転校生は俺が問題を解いている15分の間ずっと喚いていた。

「なぁ!なんで皆何も言わないんだよ!?」

 転校生は相変わらず一人で騒いでいる。が、クラスメイトは総無視だ。なんせ特進クラス生き残りがかかっているから。あ、先生が動いた。どうやら痺れを切らしたらしい。

「…綾小路、今はテスト中だ、座れ、黙れ」

 英語は通じないとわかっているためか、日本語で注意する先生。今日もホスト力が眩しい。ホスト教師――皇先生の言葉に、転校生の綾小路が反応した。

「あッ!隆臣!俺のことは青空って呼べって云ってるだろ!?」
「…うぜぇ」

 お決まりの返答に、皇先生は辟易している。が、他の生徒への妨害を阻止するためにも転校生と戦ってくれる。先生が相手をしてくれているおかげで、生徒が一人、また一人とテストを終えていく。
 開始30分を迎えようとしていた頃には生徒全員が先生と転校生の意思疎通の取れていない会話に注目していた。流石特進クラス。優秀な人材の集まりである。皇先生もクラス全員がテストを終えたことに気づくと、ちらりと時計を見た。我が校は開始30分以降問題が解けた者から退出してもいい決まりになっている。先生は役目は果たしたと溜息を吐いたので、俺は内心で拍手を送る。と、俺の先生への賛美の瞳が転校生の目に留まってしまったらしい。

「あっ!お前何見てんだよ!今はテスト中なんだぞ!?カンニングだ!」

 隆臣!こいつ俺のテスト見てきた!カンニングだ!と皇先生へ訴える転校生。いやいや、お前の真っ白な答案用紙見ても答え出てこないから。紙床に落ちてるしね。しかも、紙は俺の方じゃなくて反対側に落ちてるから。お前の方が違反行為だからね?テスト中に椅子と机投げ倒して、教師と会話するとか常識外れもいいところだから。
 俺が小さく溜息を吐き、転校生が更に喚き散らそうと口を大きく開いた時、ガラッ!と教室の後ろの扉が開いた。そこに現われた人物たちを見て、転校生は「あッ!」と嬉しそうな声を上げる。その面々に、教室内が僅かに色めく。現われたのは、この上流学園の生徒会の皆様だ。

「久遠!」

 タタタッ!と、生徒会の皆様、その筆頭である蓮城久遠の元へと駆けていく転校生。自分に会いに来たとでも思ったのだろう。が、駆け寄ってきた転校生に構わず久遠は口を開く。

「宮人」

 俺様生徒会長の口から出た名前。呼ばれた名前に該当する生徒はもちろん一人しか居らず、俺はまだテスト中なんだけどなと思いつつ「はい」と返事をした。俺が会長――久遠先輩の声に答えると、転校生は思い切り目を見開いた。まさか平凡な俺が有名な会長と知り合いだとは思わなかったのだろう。
 久遠先輩は驚いたままの転校生をそのままに、俺の所まで歩み寄ってきた。テスト中であるにも関わらず、堂々と教室に入ってきた久遠先輩に俺は苦笑する。

「先輩、まだテスト中ですよ。非常識です」
「あ?30分経ってんだから問題ねぇだろ。それとも、特進クラスの奴らは30分でテスト解けねぇのか?」
「いえ、それはないです」

 即否定すると、久遠先輩はじゃあ問題ねぇだろと口端を吊り上げた。その笑みを見て俺も「もう、しょうがないですね」と呆れたように苦笑する。
 周囲は俺と先輩の仲に、初めは戸惑いやら疑問やらを織り交ぜたような顔をしていたが、頭が回る人間ばかりの特進クラスだ、俺と生徒会が関わるようになった経緯くらい簡単に推測してしまったようだ。今はただ見守ってくれている。そう、俺が生徒会と関わるようになったのは、ただ単に頭が良かったからだ。特進クラスの中でも常に首位をキープ。それと少し人より要領が良かったので、自然と生徒会の執務のお手伝いとして借り出されることになったのだ。だから、俺が生徒会メンバーを知っていても、生徒会が俺を知っていて声をかけることも至極当たり前のことだ。まぁ、生徒会の先輩たち、特に久遠先輩に気に入られて甘やかされているのは自覚しているけれど。と、思考に浸っていると久遠先輩が問いかけてきた。

「で、お前はテスト全部できたのか?」
「はい、一応」

 そう答えると先輩は頭を撫でてきた。

「そうか、偉いな」

 最近気づいたのだけれど、久遠先輩は何かと理由をつけてよく俺に触れてくる。今もそうだ。褒美なのか、慰労なのかわからないが、俺の頭を撫でそれから頬に指を滑らす。後輩を可愛がるという感じからは少し逸脱した触れ方だが、久遠先輩が優しげな目で見てくるので好きにさせた。
 俺と久遠先輩がほのぼのとした雰囲気を醸し出していると、それに耐えられなくなったのか、それとも若干空気になりかけているのが嫌なのか、恐らく両方だろう、転校生が声を上げた。

「お前っ!何久遠に触ってんだよ!?」

 喚く転校生に周囲はきょとんだ。何せ俺は席から一歩も動いていない。それに、触れてきたのは久遠先輩からで、俺からは一度たりとも触れてはいない。一部始終を見てきたというのに、何故そういう解釈になる。俺は何度目かの溜め息を吐く。
 というか久遠先輩、転校生が般若の顔でこっち見てくるんで、もう撫でるの止めてくれませんかね。
 それでも相変わらず俺の頭や頬を撫でる久遠に、顔を上げて問いかける。

「それで、俺に何か用ですか?」

 漸く辿り着いた質問に、それを耳にした先輩たちがぞろぞろと教室へ入ってきた。ああ、もうこの先輩たちは…と、小さくため息を吐くと、会長に名前を呼ばれた。

「宮人、手伝え」

 会長の久遠先輩だけでなく、生徒会の先輩たちまでもが集結したから何事か起きたか、それとも何事か起こそうとしているのかは薄々気づいていた。そして、今の会長の言葉。云わんとすることはわかっている。そもそも、先輩たちが撒いた種なのだ。

「…先輩たちが半端に甘やかすからですよ?」

 どうするんですか?と問うと、会長の代わりに副会長が笑みを絶やさず答える。

「それは誤解ですよ、宮人君。甘やかしたことはありませんよ?ただ大人しく監視していた結果です。まぁ、大失敗ですけどね」

 いけしゃあしゃあと云ってのける副会長に、呆れを通り越してもう尊敬しそうだ。けれど、先輩たちが事を起こそうとしているのがわかり、俺は漸く席を立った。転校生の強い視線を感じる。

「それで、何をするんですか?」

 真剣な表情を浮かべる俺に、会長は口端を持ち上げ、鋭い視線で転校生を射抜く。

「転校生、及び理事長の追放だ」

 久遠先輩の言葉に、俺や先輩たち、周囲のクラスメイトがニッと笑った。いよいよ始動されるのだ、追放プログラムが。

「それで、俺は何を手伝えばいいですか?」

 業とらしく、転校生へ聞こえるように尋ねると、久遠先輩が俺の頭をくしゃりと撫でた。

「実は、テスト開始と同時に既に始動済みだ。30分経過した時点で、理事会からの返信も徐々に貰えている」
「じゃあ、俺は特に何もする必要はないですね」

 良かった、楽できると心中で喜んでいると、久遠先輩の指がするりと俺の頬へ降りてきた。

「いや、お前は俺の傍で仕事だ」
「…はぁ」

 既に始動しているなら、何の仕事があるのだろう?と首を傾げるが、久遠先輩が仕事というのなら、何かしらの仕事があるのだろう。「わかりました」と素直に従うと、「いい子だ」と頬を指でなぞられた。

 あれ?

 俺は何故だか自分の体温が上昇するのを感じた。目の前にある先輩の、優しげだと思っていた眼が、何故だか熱を帯びて見える。自分に触れる長い指がやけに熱く感じる。顔が訳の分からない羞恥で赤くなっていく。

 これ、これって――。

 もしかしたら勘違いかもしれない、否、確実な久遠先輩の好意に気づいてしまった俺に、話題には上がっていたものの、見事に相手にされていなかった転校生が声を荒げた。

「何だよ、追放って!?俺が何したっていうんだよ、久遠!」

 ばっと、俺と久遠先輩の間に入ってきて、久遠の胸ぐらを掴む転校生。若干助かったと思ってしまった俺だが、転校生の言動に、というか久遠先輩に絡んでいくことが気に食わなかった。ああ、気に食わない。ムカツク。
 俺が無意識に転校生へ鋭い視線を向け、今までの鬱憤をぶちまけようとすると、その前に久遠先輩が転校生を弾き飛ばした。転校生があ然として尻もちをつくと、久遠先輩が俺に手を差し出してくる。無意識に手を取ると、久遠先輩はぐっと引っ張って引き寄せてきた。って、何で俺は久遠先輩の腕の中にいんの?っていうか、何で頭ぐってされて胸に顔を埋めてん、の…?
 珍しく混乱する俺に、久遠先輩は冷めた声で転校生へ言い放つ。

「…テメェ、こんなところにいていいのか?」

 俺は先輩の声を訊きながら、何となく転校生が怯んでいるのがわかる。というか、俺はどうすればいいの?
 俺の混乱をそのままに、久遠先輩と転校生のやりとりは続く。

「一般生徒への暴行、授業妨害、器物破損、不法侵入。これがお前の違反行為の全てだ。これらは全て理事会へ報告済みだ。お前の叔父さんとやらも今頃理事会への対応でそれどころじゃないだろうな」
「なッ!俺は何もッ、久遠、何言ってんだよ!?」

 転校生は焦ったような声を出して、それでもまだ諦めていないのか、馬鹿なのか、たぶんどちらもだと思うが、久遠先輩へ媚を売り始めた。

「…俺っ、やってないっ…そうだ、久遠!俺のこと見逃してくれよ!そしたら、俺のこと、その…抱いても、いいぜ?」

 予想外の発言に、俺はそれを訊いて思考を停止さる。転校生の表情は見えないが、恐らく久遠先輩を上目遣いで気持ち悪い顔で煽っているのだろう。俺と同じく思考停止していたらしい久遠先輩は、俺を抱いている腕を強くすると、転校生へ言い放った。

「チッ、きめぇ。俺はテメェなんざ抱きたいと思ったことは一度もねぇ。消えろ」

 随分と低い声だった。俺は見れなかったが、転校生が「ひぐッ」って声だけ残して黙った。余程怖い顔をしていたのだろう。それから、転校生は多分床に転がりながら教室を出て行った。そんな音が聞こえたからだ。
 一部始終を音声のみで訊かされた俺が解放されたのは、転校生が教室から出て行ってすぐ、テスト終了の合図であるチャイムが鳴ってからだった。
 チャイムが鳴り響く教室で、久遠先輩は俺を漸く解放してくれた。

「顔真っ赤だぜ、宮人」

 その言葉になんて返せばいいのかわからず。だって、先輩が俺を見る目がまた熱っぽいというか、なんというか好きだぜ〜オーラが出ていたから。
 俺が何も云わないでいると、先輩がぐいっと腰を引き寄せてきた。普段俺様だけれど、俺には優しく、それこそ優しくて頼りになる先輩だった久遠先輩がこんな行動に出るとは思わず、俺はすごく狼狽えた。顔は先ほどからずっと赤かったが、きっと更に赤くなっていると思う。そんな俺は先輩に腰を引き寄せられたまま固まった。久遠先輩の熱視線を避けるように目をあらぬ方向へと持っていく。久遠先輩はその様を暫く眺めてから、プッと吹き出した。

「お、ン前っ、その反応…クッ!」

 久遠先輩は俺をするりと解放すると腹を抱えて笑い出した。俺はそれすらも反応できずに動揺していると、ヒィヒィ笑われた。漸く笑われると、久遠先輩は俺の頭をくしゃりと撫でてきた。まだ頬が赤いのが収まらない俺は、恨めしそうに先輩を見遣る。

「んな顔すんなよ。ま、意識するようになったのはいいことだぜ?」

 クツクツと喉の奥で笑われる。

「別に意識なんてしてませんよ」
「嘘吐くなって」

 先輩が俺の頬を撫でる。ビクンと体が硬直してしまう俺。

「ほら、意識しまくってんじゃねぇか」

 今までとなんら変わらない先輩の動作に、やたらと反応してしまう。だって、しょうがないじゃないか。気づいてしまったんだから。
 もうどういう顔をしていいのかわからなくて、両手の平に赤い顔を埋める。

「無理、恥ずかしい…もう、勘弁してくださいっ」

 やたらと恥ずかしくて、もうこの場から久遠先輩から逃げ出したかった俺に、先輩は俺の手首を掴んでそれを外させた。またビクッてした。
 手を取った先輩は、ちゅっと滑らかな流れで俺の手の甲にキスを落としてきた。思わず肩を跳ねさせた俺に、熱の篭った目を向けてくる。

「俺がこんなチャンス逃すわけねぇだろ?」

 不適に笑った久遠先輩の顔を見て、俺は逃げられないと悟ったのだった。



END.

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