ヤンデレ彼氏ーファーストコンタクトー
忘れ物をして、生徒会室から出ようとしたら、扉の向こうにそいつはいた。
「あ、どうも」
平凡な黒縁眼鏡をかけた、平凡な奴。けれど、中身は平凡なんて言葉で表現できるような奴ではなかった。
「俺、用があるんで」
それじゃと、俺とすれ違いに生徒会室に入っていく見知らぬ奴。生徒会役員でもなければ、風紀委員でもない。
俺は、唖然として閉まった扉を見る。
この時の俺は、こいつに執心することになるだなんて、予想もしなかった。
でも、今思えば一目ぼれだったのかもしれねぇな。
ヤンデレ彼氏<ファーストコンタクト>
ガバリと深々頭を下げられた経験は、案外少なくない。そして、熱心にお願いされることも。それは、相手が俺にできると期待しているからであり、俺もそれを難なくクリアできてしまうから、相手が俺にお願いすることは理知的なことなのだろう。
「お願いだっ、倉持!お前しかいないんだ!」
深々と頭を下げ、熱心に俺に頼みをする風紀委員会顧問の教諭。その様を見ながら俺、倉持トキは、今しがたされた話を要約する。
つまりは、こうだ。二週間前にやって来た破天荒な転校生は、この男子校でも絶大な人気を誇る親衛隊持ちの生徒会役員を次々に惚れさせた。役員たちは、日々転校生に構い、生徒会の仕事を放棄。そのため、溜まった仕事の処理を生徒会顧問が一人でこなしていたが、一週間した時点でダウン。それを見かねて親友でもある風紀委員会顧問の教諭が俺にその仕事の処理を頼みに来たということである。ちなみに、風紀委員会顧問は、顧問を務める風紀委員会で手いっぱいらしい。
「理事長には許可を取ったから、お願いだ!お前しかいないんだよッ!」
理事長にまで許可をもぎ取ってきておいて、お願いとは…。そういうのは、もはや脅迫に近いことをこの人は知っているのだろうか。
しかし、まぁ、彼らの気持ちもわからないでもないし、な…。
「わかりました。俺でよければやります」
「本当かッ!?ありがとう!」
じゃあ、これ生徒会室の鍵だから、そう云って俺の手に鍵を持たせると、風紀委員会顧問の教諭は風のように去って行った。
俺は、ただ溜め息を吐き、早速生徒会室へと向かった。
風紀委員会顧問が何故俺のような平凡に仕事を頼んだのか。その理由は簡単。それは、俺が学力特待生で常に主席をキープしており、かつ、理数系クラスの中でも9人しかいない通称会計クラスのトップだからだろう。頭の良い奴は借り出されたりするのだ。
俺は長い廊下を歩き、生徒会室の扉の前に立つ。どれだけ仕事があるのかわからないが、とりあえず頼まれたことはやらなければ。小さく息を吐いて、吸い込む。扉を開けると人がいて少しだけ驚いたが、すれ違って中へ入った。
中へ足を踏み入れて、五つある机の上に随分な量の書類に目をやると、後ろで閉まったはずの扉が開いた。
「お前、そこで何してる」
扉の前に立っていたのは、今しがたすれ違った人物。俺はその人を目にしてそちらこそここで何していると問いたかった。だって、ここを出入りする生徒会は、転校生に夢中になって仕事をしていないはずであり、碌に生徒会室に近づかないという話だったから。
目の前の人物は威圧的な視線でこちらを見てくる。誰かはわからないが、さっさとこちらの身分を明かして仕事に取り掛かった方が懸命だ。
「俺は、理数系の会計クラスの二年、倉持トキです。風紀委員会の顧問に急遽要請されてきました」
淡々とそう述べると、相手は眉間の皺を更に深く刻んだ。
「だからって、お前は一般生徒だろうが」
「ええそうです。でも、理事長から許可を取ったらしいので。というか、あなたも一般生徒なのでは?」
そう云うと、相手は目を見張った。俺はそんな様を見せる相手に構わず、近くにあった机に座り書類整理を始める。すると、相手は俺の机をバンッ!と叩いてきた。上に載っていた書類が雪崩を起こす。
「俺はここの会長だ」
「はぁ」
低い声で口火を切る相手――会長に、俺は生返事をして落ちた書類を拾い上げる。と、会長はポカンとした表情をするので、俺はそれに構わず机に座ると、すぐに会長からの視線が一直線に注がれているのに気づいて、思わず言葉を零す。
「会長、行っても大丈夫ですよ?」
「あ?」
会長を促してみるが、当の本人は眉間に皺を寄せたまま俺の云った言葉の意味を理解していないようだった。俺は書類から目を放さずに云う。
「だから、転校生の所へ行ってもいいですって云ったんです。確かに、生徒会が仕事を放棄していることを好ましく思っていない生徒は大多数です。でも、俺はそうは思わないんで」
「…どういうことだ。俺たちは必要ないとでもいいてぇのか」
見当はずれな返答をされ、俺は書類をペラリと捲って、顔を上げるとそこには神妙な顔をした会長がいた。
「違いますよ、会長。俺が云いたいのは優先順位の話です。転校生の競争率、高いんでしょう?他の生徒会の方も夢中らしいですし。だったら、会長は仕事なんてほかってでもそちらを優先するべきです。そういう時ってあるじゃないですか。何をおいても譲れない瞬間とか」
俺の意見に、会長は再度目を見張る。
「そういう譲れない時が来たら、仕事は俺みたいにこなせる人間に任せてしまって、落ち着いてからお礼として水羊羹を献上して、その後にがっつり取り返せばいいんですよ」
「…お前に利点ねぇだろ」
「ありますよ。俺にもそういう瞬間が来た時には、会長たちに俺がほっぽり出したものを代わりにやってもらいますから。ほら、こういうのを助け合いって云うんですよ」
俺は会長を真っ直ぐに見つめる。
「譲れないもの、手に入れたいモノは、全力で落とす。転校生然り、授業中のネットオークション然り、ですよ」
唖然とする会長。
「ネットオークション…会計クラスが何やってんだ」
「案外みんなやってますよ。…じゃなくて、会長。ですからどうぞ行ってください」
転校生のこと好きなんでしょう?と問いかければ、会長はいや…と否定した。
「俺はあいつを好きじゃねぇ。確かに面白そうだとは思ったが…」
「好きじゃない?」
俺は優しく見守るような顔つきだったのを、一時硬直させた。思考までも停止しかけた。だが、そこで思考を止めるわけにも行かない。というか、ふつふつと怒りがこみ上げてくる。
静かになった俺を不審に思ったのか、会長がこちらを覗き込んで来たが、その瞬間俺はキレた。
「…そうですか。じゃあ、そこに座って仕事して下さい。何考えてるんですか。興味?そんな中途半端な気持ちで仕事を放ったんですか?全力で落としたいという気持ちもなく。それはただのサボりです。ふざけんじゃないですよ。こっちは全力で落札したいんだろうと思って気を遣ってこうしてやってきたのに、何ですかこの様は。いいから、そこに座りなさい!」
俺の叱咤に会長はすぐさま席についた。そして、俺は持っていた書類を会長の机に叩き置く。
「今日は帰れると思わないで下さいよ」
鋭い目つきをくれてやれば、会長は怯むどころか何故だか嬉しそうな愉しそうな表情を浮かべていた。何故でしょう。Mですか?
「…なぁ、落としたい相手がいたら全力を出すんだよな?」
「ええ、そうです。全力です」
「その全力を受け入れてもらえなくても、か?」
「は?何云ってるんですか」
俺はじとりと会長を見る。会長は俺の返答に何かを期待しているようだった。
「それは全力じゃないです。全力を受け入れさせることが全力っていうんですよ」
屁理屈を云う俺に、会長は期待を含んだ瞳を熱の篭ったものへと変化させた。
「お前の考え方、俺に合ってるな」
クツクツと笑ったかと思うと、会長はスッと笑みを失くし、立ち上がった。そして隣に立ったかと思うと、顔を近づけられた。
「んんッ!?…っ、…んぅ…ふ…」
急に奪われるようにキスをされて、驚いて引き離そうとするが、更に深く口付けられてしまう。舌なんてとっくの昔に侵入されていて、それこそ全てを奪うようなキスに、悔しくも溺れそうになる。
気持ち、いい…じゃ、なくてですねッ…!
俺は弄ばれている唇を放して欲しくて、合わさっている会長の唇を噛んだ。
「…ッツ!」
油断していた会長は、俺に噛まれ下唇を切った。赤い液が滴ったのを見て、ザマァと思ったのも束の間。
会長は切れた唇に手をやると嬉しそうに、そしてうっとりと笑った。
「トキが付けた傷…」
恍惚とした表情をしながら、会長は指で拭うと舌でそれをエロく舐め取った。俺に視線を向けたまま、だ。俺はその目を見て、ゾクリと体を振るわせる。熱の篭った瞳、その奥にある狂気に気づいてしまったから。
俺は逃げようとするが、目の前に会長がいてそれはできない。
ちょっと、冗談じゃないです、こんな変な人ッ…!
何とか逃げようと会長の前でじたばたしてみるが、抵抗も虚しく俺は会長に捕まった。
「トキにも、俺の痕残さねぇとなぁ」
怖ーーーッ!って、今気づいたけど、俺の名前勝手に呼んでんじゃないですよ!
俺が青ざめて心の中で絶叫していると、会長は俺の顎を掴んで顔を右へ傾かせ左の首筋に噛み付いた。
「い゛ッ!」
思い切り歯を立てられて、半端なく痛い。血が滲むくらいに噛み痕を残すと、会長は舌を這わして吸い付いた。濡れた感覚に気持ち悪くて顔を顰めると、漸く開放される。
「…これでトキは俺のものだな」
愉しげに微笑まれて背筋が凍る。会長の手が再び伸びてきて、俺に付けた痕を指がなぞった。
「全力を受け入れさせるために、全力を出す。お前が云ったんだぜ?」
責任持てよと、会長の愉しげに笑う悪い顔に、こちらの顔が引きつる。嫌な展開になりそうだとそろ〜っと視線をズラせば、「ああ、云い忘れたなぁ」と思い出したような口調でいうので、思わずそちらへと視線を戻すと。そこには先ほどの狂気に満ちた瞳があり。
「――俺の愛は重いぜ?」
今更ながら、俺は取り返しのつかないとんでもない失敗をし、とんでもなく最悪に病んでる系の相手のターゲットになったことに気づいたのだった。
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