怖い人


 人によってソレは異なる。形がないもの、あるもの。或いは得体の知れない何かであるかもしれない。
 まぁ、俺の場合はたまたまソコにあったから。ちょっとだけ手を伸ばしてみただけ。今思えば、これはとても幸運なことだったのかもね。


 あの藤沢君人(フジサワ キミト)にお気に入りの相手がいる。それは、最近よく話題に上がる話だ。
 藤沢君人を良く知る人物は多くを語らない。知らない方が幸せだと口を揃えて云う。
 幼馴染の友人だという男でさえ、「あいつは何を考えているかわからない、ただ――時として酷く恐ろしい」と、これ以上関わるなと警告してくるのだ。それ程に、謎であり、残酷な人物なのだろう。
 ――そんな彼にお気に入りができたという。
 お気に入りの名前は、與羽暁(ヨハ アカツキ)。ある意味この学園で知らない者はいないだろう。というのも、この男子ばかりの学園で、崇拝されている生徒会を次々に虜にした時期外れの転校生の、一番の被害者だからだ。
 そして今、件の暁は、転校生にブチ切れているところだ。食堂で大暴れする暁を、藤沢は二階の役員専用テラスから見ている。

「――止めなくていいのか?」

 楽しそうに目を細めて傍観していた藤沢に、幼馴染の友人が話しかける。藤沢は暁から視線を外すことなく、「楽しそうだから」と返してきた。確かに、生徒会や転校生と乱闘する暁は、争いを嫌うような風貌をしている割りには、とても華麗に拳を繰り出していた。見かけによらず、闘争心が強いようだ。
 友人は藤沢と同じように暁に視線をやりながら、向かいに座る。喧嘩というより、武道を嗜んだ暁の動きに無駄はない。しかし。

「あいつ、そのうち怪我するぞ」

 乱闘、しかも相手は複数だ。怪我しないわけがない。

「んー、そうかもねぇ」

 藤沢は暁から視線を外すことなく暢気に答える。関心がないとか、ただ楽しいから見ているというだけではないと、長年付き合いのある友人は気づいていた。その証拠に笑みは浮かべているが、視線が外れない。それは、お気に入りとされる暁が傷を負わないように周囲を監視しているようにもとれた。その様に小さく溜息を吐くと、藤沢から暁へと視線を戻す。ふと暁の後方で怪しい動きをしている生徒がいた。

「おい、あれ」

 思わず言葉にしてしまったが、藤沢も気づいているだろう。暁の後方でテーブルからナイフを持ち出した人物――生徒会副会長がいた。彼は金持ち特有の甘やかされて育てられ自分本位な考えを持つ傾向があった。そして、彼は転校生に傾倒している一人だ。
 暁は目の前にいる転校生との喧嘩に夢中で気づかない。

「危ないなぁ」

 藤沢がどこか冷めた口調で呟く。副会長が暁の背後に迫る。その時、ふいに視界が陰った。違和感があって影ができた方を振り返ろうとするよりも早く、視線に副会長の方に花瓶が向かっていったのを捉えた。
「は?」と無意識に出た言葉と同時に、花瓶が副会長の頭に当たり、ガシャアアアアアン!と派手な音が食堂に響き渡る。気づけば、先ほどまでテーブルの上にあった花瓶がなくなっていた。
 血の気が引いた。
 一階では大惨事になっている。混乱し悲鳴が上がる一階の食堂と藤沢を交互に見る。

「お、まえ…」
「ああ。暁に怪我はないみたい」

 良かったとわざとらしく安堵する藤沢に人生何度目かの恐怖を抱く。恐怖により縮こまった心臓を落ち着かせ、こいつはこういう奴なんだったと無理に納得させる。目の前の藤沢は物事に執着、関心がない。だから、関心がない人が物のように壊れたって、何とも思わないのだ。だって、関心がないのだから。それでも、友人は一応という形で彼を嗜める。

「おい、死んだら洒落になんねぇぞ」
「ん?ああ」

 藤沢は生返事をしながら、騒ぎの中で驚いた顔をする暁へと視線をやる。

「驚いちゃって、可愛い」

 もはや藤沢の視界に暁以外のものは映っていない。ぶっ倒れた副会長や、わめき散らす転校生など眼中にないのだ。幼馴染の友人は若干顔を青くしながら、今後のことを考えた。
 暁が転校生と生徒会と衝突してしまうのは、転校生がどうにかならない限り避けられないだろう。むしろ、一ヶ月という今の今までブチ切れなかったその忍耐には脱帽だ。しかし、今後も衝突してしまうのは目に見えている。友人はちらりと藤沢を見る。暁が怪我させられそうになる度に、今回のような殺人紛いのことを毎度されては敵わない。

「…藤沢、もう少し與羽の近くにいてやったらどうだ?」
「ああ、ちょっと遠いもんね」
「近くにいればそれだけもっと早く対処できるだろう。それに、近くにいた方が與羽が傷つかずに済むと思うが」
「…ああ、そうだね」

 藤沢は、久しぶりに友人の言葉に耳を傾け、立ち上がった。考えがあってかなくてか、藤沢は友人の案に乗るようだ。
 藤沢が二階のテラスから降りて行くので、追いかけるようにして友人も降りて行く。昼食が手付かずだったが、そんなことどうでもいい。
 藤沢が一階の食堂へと足を付けると、周囲がざわついた。学園どころかアウトローな職業の者にまで一目置かれているからだ。周囲の目にあるのは、恐怖と好奇心。他にも色々あったが、それらの感情でこの男に近づくととても危険だ。
 藤沢は、いつもの何を考えているのか分からない顔で暁へと歩み寄り止まった。色々と真っ赤になっている副会長や、喚いていたはずの転校生を無視して。

「暁」

 名前を呼ぶと事態に驚いていたままの暁がはっと気がついて、不安そうな顔をして藤沢の元へと駆けて来る。普通なら、乱闘中でも背後でいきなり花瓶が割れる音と、悲鳴やら真っ赤になって倒れている人がいたら狼狽して当然だ。
 暁は混乱と不安で藤沢の服をぎゅっと握り締めた。

「…ミト」
「うん、驚いちゃったね」

 暁の髪を撫でながら、笑みを浮かべる藤沢に、友人は目を細める。こいつはずるい男だ。酷く執着しているくせに、相手から自分を求めさせる。いや、執着しているから、相手が自分を求めていることを確かめたいのかもしれない。
 友人は藤沢からちらりと暁へと視線を送る。
 あの藤沢のことを『ミト』などと愛称で呼ぶ少年。どこかツンと澄ましたところがあると思っていたが…。
 しっかりと握られている藤沢の裾を見て、案外こっちも予想以上に懐いていると悟る。
 藤沢が来て安心したのか、それとも元々冷静な性格だったのか、落ち着いた暁は藤沢と普通の会話をしている。二人の雰囲気は甘いというわけではなく、ただ単に親しい友人といった感じだ。いや、それも違う気がする。ただ二人にしかわからない、そんな雰囲気だ。
 友人が静かに藤沢と暁を観察していた時、こちらに向かって件の転校生が副会長を引き摺ってきた。

「おいッ!俺を無視するな!」

 暁へ向かって憤慨する転校生。もう既に興味を失ったのか、藤沢から問われた「今日のご飯何食べる?」に、「昼飯食べてすぐに思いつかない」と返している暁は転校生を完全に無視だ。そして、「それもそうだね」と暁に返している藤沢も転校生などに関心はない。
 目の前にいても二人が相手をしてくれないことに焦れたのか、転校生が色々真っ赤になって気絶している副会長を放して地団太を踏む。

「君人もこいつなんかに構ってないで、俺を構えよ!」

 出会った当初から藤沢の容姿を気に入っているらしい転校生は、彼の気を引きたくて仕方がないらしい。が、当の藤沢は転校生に関心がなく、暁をいつでも猫かわいがりしていた。
 至近距離にいるにも関わらず転校生を無視して会話する暁と藤沢。先ほどまで殺気立てて転校生と対峙していたとは思えないほど、暁は転校生を視界に入れてない。藤沢に関しては、暁にしか興味がない。
 友人の目から見ても今の状況は悲惨だった。思わず目を反らしたくなる現状だが、このまま自分が放置していればそれこそ死人が出る。仕方がないと深い溜息を吐いて、友人はこの場を収めようとした。が、その前に癇癪を起こした転校生が藤沢に構われている暁へと急に殴りかかった。

「おいッ!」

 あまりに急な展開で、顔を青ざめさせる友人。けれど、転校生の手が暁へ届く前にそれは受け止められた。もちろんそうするだろうということは友人にも分かっていた。けれど、友人は恐怖する。理由は、藤沢が暁を傷つけようとした相手に何をするのかわからないということだ。彼を傷つけようとした副会長に花瓶を二階から投げつけるような奴だ。本当に今藤沢が転校生へ何をするのかわからない。
 転校生の拳を受け止めた藤沢は、普段と変わらぬ表情でそれを放した。どこかほっとする周囲の中、友人だけが緊張する。
 藤沢は何も変化のない、いつも通りの顔で近くにあった飲料水のボトルを手に取った。友人がそれは鈍器だ、転校生、逃げろ!と声にできない声を上げると、藤沢は何を思ったかそれをテーブルへと叩きつけた。その拍子にボトルの底の方が割れ、尖ったガラスが出来上がる。
 本気だ。
 友人はごくりと生唾を飲み込む。
 確かに転校生はここ一月ほど暁が虐げられる原因となっていた。更に、先ほど暁に直接的な危害を加えようとした。転校生という存在を抹消する条件は揃っている。

「転校生、逃げろッ!」

 藤沢がボトルを握り直したのを見て友人が叫ぶが、凍てついた、それこそ殺人鬼のような瞳をした藤沢に恐怖を抱いたのか、転校生は動くことができなかった。
 藤沢が一歩転校生の元へと近づく。もうダメだ、血の雨が降ると友人が冷や汗を流すと、ボトルを持ち上げた藤沢を不意に止める声がした。

「ミト」

 その声に藤沢の手が止まる。暴走したあの藤沢を静止させたのは、お気に入りと称される暁だった。
 暁は藤沢の腕を掴むと「止めとけ」と一言。その言葉と大して力を入れずに掴んだ手に、藤沢は失っていた表情に少しだけ人間らしさを取り戻して「うん」と返事をした。
 興味を失ったボトルを放して、掴まれている腕を逆に掴んでするりと手を絡ませる。指まで絡めたのを見て友人が思わず状況を忘れて「恋人繋ぎかよ」と、突っ込む。
 転校生をそのままに、暁は「行くよ」と藤沢をその場から連れ出した。
 後に残った転校生や生徒会、取り巻きたち、現状に友人は盛大な溜息を吐いた。
 

***


 食堂での事件はどうにか収拾が着き、あの副会長はやはり入院となり、現在療養中。生徒会役員らもあれ以来目を覚ましたらしく、執行部の仕事を全うしている。件の転校生はあの後実は漏らしてしまい、周囲から冷めた目で見られたためかあれ以来すごく大人しくなった。余程あのときの藤沢が怖かったのか、今でも廊下ですれ違おうものなら、脱兎のごとくどこかへ駆けて行ってしまう。
 兎にも角にも、食堂での事件から変化が生じ学園は以前と同じように平和を取り戻した。が、その変化は生徒会や転校生へだけではなく、暁の周りにも変化が生じた。それは、あの藤沢を止めたことからきており、誰もが今まで以上に遠巻きに見るようになった。本人はあまり気にしていないように見えるが、少しだけ寂しそうにしているのを藤沢の友人は知っている。それはもちろん、藤沢も知っていることだろう。だから、あれ以来藤沢は暁の傍に居るようになった。助言したこともあるのだろうが、彼自身暁の傍に居たかったのだろう。暁も今は藤沢を頼る場面が多く見られる。以前から孤立していた暁だが、今は特に酷く孤立して、藤沢に依存しなければならないように見える。
 友人は中庭で昼休みを過ごす藤沢と暁を眺めた。本を読む暁の邪魔をする藤沢は至極楽しそうで、幸せそうだ。それこそ、人間らしい表情をしている。念願の暁と一緒に、それこそべったりできて嬉しそうだ。
 暫くその様を眺めていた友人はふと考え付いた思考に体を震わせた。藤沢が楽しそうにしている光景を見つつ、自分が考えついてしまったことに頭を振って必死に否定したのだった。

 
 
 人は必ず、信じるものを持っている。それは己自身であったり、偶像の産物だったり。
 俺の場合は、暁だった。
 人間らしい人間で、キュート。時々色っぽい。
 他の人になんて絶対にやりたくない、俺だけの神様。
 だから、暁も俺という信者にもっと寄りかかればいいのに。でも、暁は楽をしようとしない。足掻いて人間らしくあろうとする。そこがまた暁の信者としてはたまらないのだけれど、もっともっと俺に堕ちればいい。
 神様なのに、堕ちるっていうのは変だけれど。
 隣で本を読む暁が、時折こちらを覗う視線を遣すのを知りながら俺は暁の膝に頭を乗せた。




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愛しすぎて超越してしまって、神様にしちゃった。



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