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 虎の国へやって来てから二日目。カンタレラの毒によりまだ微熱が残る体で、アルトは早くこの世界に慣れようと情報を欲した。世話係のタリルはそれに答えてくれて、この世界のことを教えてくれた。それは、習慣であったり、草花だったり、時には人間自身のことも話題に上がった。アルトはそれに耳を傾け、どんどん知識を身につけていった。けれど、まだまだこの世界で生きるには知らないことの方が多すぎる。それにアルトは竜の国の花嫁だ。嫁ぎ先のことを少しは知っていたいと思うが、タリルは虎の国出身で竜の国のことを知らないらしい。それ以前に、竜の国は謎に包まれている部分が多すぎて、タリルでさえも情報が回ってこないらしかった。

「…ごめんなさい、お役に立てなくて」
「そっ、んなこと、ないからっ。タリル君には、すごくお世話になってる、しっ」

 眉を下げるタリルに否定してフォローする。そんなアルトに、タリルは申し訳なさそうに苦笑してからアッと、何かを思い出した。

「そうだっ、アルト様。竜の国のことはわかりませんが、この国に唯一…」

 自分に何かを伝えようとしたタリルの言葉を遮り、バンッ!という派手な音と共にそれは現われた。

「へ〜、来賓室ってこんなだったんだ〜」
「アッ!アイツだろ!?竜の国の花嫁って!」

 ズカズカとノックもせずに入ってきたのは、二人の少年。どちらも美しい金髪の持ち主で、一人はつり目で血統書付きの猫のようなどこか艶のある男の子で、もう一人はくりくりとした目が可愛らしい元気な印象を受ける男の子だ。

 アルトは急に入ってきた二人に、驚いて萎縮する。タリルも突然の登場に驚いたが、アルトを気遣って守るように前に出てくれた。

「…ごきげんよう、神童様方。何か御用ですか?」

 神童という新たな単語に、アルトが僅かに反応する。
 神童、って、何? 
 身動きすることもなく、ただ疑問符を浮かべるアルトに、一人の子が駆け寄ってきた。思わず、びくっと体を引く。

「なぁ!お前が竜の国の花嫁だろ!?」

 やけにキラキラとした目で見られ、アルトは引き気味に「え、はい、一応」と答える。すると間髪を入れずに「じゃあ、お前違う世界から来たってことか!?」と、更に問いかけてきた。アルトに興味津々な神童に対して、アルトは困惑する。

 何、この人。

 前の世界ではアルトに積極的に絡んで来る人はいなかった。寧ろ、異のものとして見られ、避けられ無いものとして扱われていた。そんな過去と経験を持つアルトは、自分に関わろうとする人物に慣れないどころか、疑心さえ生まれた。

 なっ、何で、この人こんなに俺に関わってくるの?
 積極的、悪く云えば馴れ馴れしい神童に、人に慣れない、人との関わり方をあまり知らないアルトには、この人物を疑わざる得なかった。

 神童の彼自身は、異世界から来た竜の花嫁が物珍しく映り、興味本位で纏わりついているのだが、当のアルトはそんなことまで考え付かず、ただただ狼狽する。質問の嵐に、曖昧な返答をしながら距離を取ろうとするが、叶わない。

 アルトは自分に関わろうとする神童の彼にいよいよ混乱して恐怖してきた。物事を考えることに長けているアルトは、生い立ちから人との関わり方や心理に関して疎い所がある。そのため、彼の言動には理解に苦しむ。否、理解できない。
 子どものような立ち居振る舞いをする神童の一人に、アルトがタリルへ助けを求めると、それよりも先にもう一人の神童が動いた。

「トンマーニ、駄目。花嫁様はまだ体調が悪いんだから」

 滑らかな身のこなしでアルトの前までやって来ると、神童を嗜める。すると、アルトがまだ全快ではないことを思い出した素振りで、嗜められた神童が慌てて謝ってきた。やっと開放されたと、助け舟を出してくれた神童へ視線を向けると、目が合う。

「挨拶が遅れてごめんなさい、花嫁様。僕は、神童のセルマ・ドリーです」

 丁寧に挨拶してくるセルマに、アルトは慌てて体の向きを直して頭を下げた。同時に志羅或人と名乗ると、もう一人の神童が元気よく手を挙げた。

「俺ッ!俺はラウラ・トンマーニ!ラウラって呼んでくれよな!」

 激しく自己主張して来るラウラに、アルトは多少ビクつきながら「よ、よろしく、お願い、します」と返すと、急に手を取られた。

「アルトッ!お前、この国に来たばっかでよく知らないんだよな!?」

 いいことを思いついたという表情をするラウラに、思惑が分からずアルトは不安がる。しかし、ラウラはそんなアルトに構わず、己の親切心を押し付けた。

「神童の俺が直々にこの城を案内してやるよ!」

 嬉々として頼んでもいない案内役をかって出て、アルトの腕を掴むラウラ。加えて、ラウラの案にセルマも手を叩いて賛同する姿にアルトは固まった。
 神童の二人は、アルトがカンタレラの毒からまだ回復していないことは知っているはずである。特に、セルマの方は、今しがた性急な質問をするラウラを嗜めたくらいだ。しかし、今の二人はまだ微熱が続くアルトを外へ連れ出そうとしている。

 え、これは、どういう、こと?
 大凡病人への扱いではなく、ぐいぐいと強引に腕を引っ張ってくるラウラの言動は、理解ができない。更に、ラウラを促すように声をかけるセルマの言動にも混乱する。ラウラに布団を捲られ急かされながら困惑するアルトに、タリルが声をかける。

「あのっ、アルト様はまだ完全に回復されていません。案内は、後日お願いしますっ」

 アルトを気遣い恐らく自分よりも身分の高い相手に、意見するタリル。アルトは胸の内で大変感謝したが、その言葉を訊いて神童の二人の雰囲気ががらりと変わった。ラウラは明らかに憤慨し、セルマはうっすらと冷めた、見下げるような視線を寄こしてきた。

 何、で…?
 ほんの少し前まで笑っていた二人が、今は端正な顔を歪めている。アルトは二人の表情を見て、混乱する。ほんの数分。本当に少し前まで二人は柔らかい笑みを浮かべていたというのに。タリルの言葉は常識として最もなことだし、アルト自身も助かった。落ち度はないはずだ。自分の味方をしてくれたタリルに、アルトはそう強く思う。
 拳をきゅっと握り、二人の神童に雰囲気を変えた理由を問おうとした。が、口を開く前に部屋の扉が大きく開かれてしまう。顔を出したのは、昨日世界の説明をしに訪れた宰相――パスクァーレだった。

「ラウラ!ここにいたのですね」

 パスクァーレは部屋に入るなり、神童の一人ラウラに駆け寄ってその身を抱き締めた。

「どこへ行ったのかと心配しましたよ」

 パスクァーレの急な来訪に、アルトとタリルは萎縮した。昨日の一件で苦手意識ができてしまったのだ。

 緊張した面持ちを見せるアルトに、その様子を盗み見ていたセルマがパスクァーレへと歩み寄った。そして、ラウラをその腕に抱きしめるパスクァーレの腰に抱きつく。

「…パスクァーレ様」

 甘えた声を出し、パスクァーレの意識を向けさせるセルマ。パスクァーレはその声に気付いてセルマへと向き直る。

「僕たち、竜の国の花嫁様にこの城の案内をしたいと申し上げたんです」

 でも…と、語尾を濁すセルマは、悲しげな表情を浮かべた。そんな顔をして見せるセルマに、ラウラが眉を下げて「そんな顔すんなよな」と、励ますがどこか悲しげだ。二人の神童の様子を見て、宰相のパスクァーレは悲痛な表情をすると、侮蔑した視線をアルトに向けてきた。その瞳には明らかな怒りと、卑しめがあった。

「…まさか、虎の国の宝である神童たちの優しさを、受け入れないとでも云うんじゃないですよね」

 パスクァーレの問いかけではない言葉に、アルトは心中で「あ…」と呟いた。

 そういうことか。なんだ、そう、なんだ。

 パスクァーレと同じように、ラウラとセルマもアルトを見る。パスクァーレだけではない、ラウラもセルマも同じ蔑んだ瞳に、アルトは気づかされた。 

 初めから友好を築こうと近づいてきたわけではなかったのだ。ただ、遊びを装って蔑むために寄ってきただけ。もしかしたら、最初に浮かべていた笑みは、貶めるための罠だったのかもしれない。

 アルトは、パスクァーレの言葉に青くなったまま頭を垂れた。

「…すみません、案内、お願い、します」

 この国では竜の国の人は差別される。竜の国に嫁ぐ身であるアルトも例外ではない。
 冷たい視線。わかっていたはずだ。
 前の世界でもこの視線の中で育った。慣れている。
 アルトがぎゅっと拳を握ると、表情が一変し楽しそうな笑みを浮かべたラウラが、声をかけてくる。

「ほら!何してんだよ!行くぞ!」

 ニコニコと笑みを浮かべながら部屋を出て行くラウラ。その言葉は、今のアルトの状況には命令にしか聞こえない。

「…すぐ、行きます」

 緊張と雰囲気の変化に熱が上がってきたアルトだったが、その無意識な命令に抗うことはできず、ベッドから立ち上がった。
 若干のふらつきが見られる中、セルマがうっすらと目だけで笑う。タリルに支えられながら、アルトは先を行くラウラを追った。
 




 倦怠感と熱が残る体でただ歩くことだけに集中したアルトは、神童と宰相共に虎の国の城を案内していもらっている最中だ。しかし、それは建前で、城内の人々から見た光景は異なる。
 先を行く神童と宰相の後を鎖もないのに、まるで罪人のようについて回る竜の国の花嫁。足が縺れる度に、付添人に支えられている。その情景を目の当たりにした人々は、物珍しさにアルトを注視する。が、熱と上手く動かない体で歩みを続けるアルトはそれに気づかず。ただ先を歩くだけという神童と宰相について回るに必死だった。

「…アルト様、もう無理ですよ」

 傍らに来たタリルに、アルトは何も答えない。歩くことで意識がそちらにばかりいっていたのだ。
 熱と倦怠感で汗を吹き出すアルトを見ながら、タリルは考えた。案内なんてアルトを連れ回すだけのただの口実だ。神童と宰相はただ竜の国の花嫁を虐げたいだけなのだ。それはタリルばかりではなく、こんな状態だがアルトも気づいている。しかし、如何せんアルトの体調は思わしくないし、僅かに回復していた時でも頭が回るアルトだが、今の状態では機転を思いつくのも難しいだろう。
 タリルは己の主のことをただ考える。何かこの状況を打開できる策はないかと唇を噛んで考えると、歩いていたアルトの足が縺れ体が傾いた。

「アルト様!?」

 前のめりに倒れるアルトに手を差し出す。が、急なことで支えきれずついにアルトは廊下に倒れてしまった。
 アルトは、床に顔を押し付けながら、床のタイルの冷たさに気持ちいいと心中で呟く。そして、頭上で自分の名前を叫んでいるタリルに申し訳ない気持ちを抱きながらも、意識を失った。




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