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 神童と宰相が城内を案内していたら、竜の国の花嫁が倒れられた。それは、城内に広く知れ渡った。
 虎の国の王の唯一の虎――黒虎は一向に花嫁と接触しない王に代わり、花嫁の様子を見に向かっていた。
 艶やかな漆黒の毛色はこの国で唯一のものだ。しなやかに動く黒虎を城内の人々は頭を垂らし通り過ぎるのを見守り、その傍らにいる虎たちは、敬うような視線を向けてくる。同じ虎たちから感嘆のため息が時折聞こえてくるのは気のせいではない。
 黒虎は、人間の傍らにいる虎たちを見る。
 この虎の国は、国名の通り多くの虎が存在する。それらは虎の国の人間に対し、従者という位置にいる。かつ、己の主の地位の一つ下の地位を与えられる。そのため、王の従者である自分は国で二番目に地位が高い。それは必然であり、“黒”である自分しか成れないものだ。
 黒虎の視界に同じ虎たちの毛色が映る。赤、青、緑、黄。多種多様の濃い色合いの虎たちに自ずと溜め息が出る。
 黒虎は、様々な色を瞳に映しながら花嫁の元へ急いだ。
 




 昨日倒れたアルトは、意識喪失後の話をタリルから聞かされた後、何度目かになる謝罪をしていた。

「ごめん、なさい…」
「いえッ!だから、アルト様は全然ッ、ちっとも悪くないって云ってるじゃないですかッ!」

 悪いのはあの神童と宰相ですから!と声を上げるタリルに申し訳なさが募る。あれから、気を失ったアルトをタリルは人を呼び来賓室へ運ばせ、医者を呼んできてと忙しなかったらしい。加えて、発熱の悪化に医者にこってりと怒られたという。その話を訊いてアルトは顔を青ざめさせて、謝罪の言葉を繰り返した。
 前の世界で人と関わりを持ったことがなかったアルトは、心配と手間をかけさせたことを心底申し訳なく思い、それ以上にその後の現在タリルとどう接すればいいのかわからず、混乱と錯乱と戸惑いを起こして、謝罪を繰り返すという行動に至った。
 真っ直ぐにタリルを見、謝罪の言葉を述べた後、戸惑いに目を泳がせ、そして再び謝罪しと、その行為を繰り返している。

「ごめん、なさい…」
「だから、全然大丈夫ですから!」

 そんなに目を泳がせなくても大丈夫ですから!と、戸惑ったままのアルトを落ち着かせようとするタリル。
 アルトは現在状態の悪化のためベッドで絶対安静中。タリルも、何度か額に乗せた布を変えたが微熱は続いている。押し問答のような会話をしながら、タリルは今も冷たい布に変えようとする。が、思ったより洗面器の水が温く冷たい水が必要になった。

「もう謝らないで下さい。ほら、僕水取り替えてきますから。戻ったら…そうだ、神童の詳しい説明をしましょう」

 だから、もう謝らないで下さいよ?とたしなめられ、アルトは「うん…」と返した。
 タリルは洗面器の水を部屋の一角にあるレンガ造りの排水場に捨てると部屋を出て行った。
 アルトは世話をしてもらって申し訳ないと思うと同時に、自分の看病をしてくれることを嬉しく思った。胸がほっこりと温かい。こんな感覚は味わったことがない。部屋で一人ほくそ笑んでいると、早いうちに扉をノックする音が聞こえた。
 タリルがもう戻ってきたのかな?と首を傾げさせる。けれど、よく考えてみればこんな早い時間に水を汲んで来れるはずがない。アルトは顔を青ざめさせた。思い浮かぶのは昨日会った神童と宰相の顔。また虐げられるのではないかと恐怖に震える。けれど、返事をしないわけにはいかない。自分はこの世界では地位が確立していないし、一方相手は地位が高く、自分をどうにかしようと思えば安易にできてしまう。
 アルトはぎゅっと拳を握り締めた。
 前の世界でも、耐えてきたじゃないか。
 ぐっ、ぐっ、と、拳を握り、アルトは扉の向こうへと返事をした。

「…ど、どうぞっ」

 緊張で変な声が出る。小さな声だったが扉向こうでそれを訊いた相手には十分だったようだ。ゆっくりと開かれると、そこにいたのは真っ黒い塊だった。
 アルトは目を見開きその存在を注視した。するとそれは、この国へ連れて来られる少し前に見た黒い虎だった。
 黒い虎は紙袋を銜えながら、ゆっくりとアルトがいるベッドの前までやって来る。一歩手前でピタリと止まった虎に、アルトはよくわからず首を傾げると虎は恭しく頭を垂れた。その様があまりにも品があり、思わず見とれるがどうして虎が頭を下げたのかわからず。とりあえず頭を下げなければとこちらも深々と頭を下げた。すると、虎はアルトのベッドまで近寄ってきて布団を前足でペシペシと叩いた。顔を上げ、虎を見ると首を左右に振っている。それはまるで、「そんなことせずとも良い」と云っているようだ。アルトは「…はい」と思わず返事をすると、虎は咥えていた紙袋をベッドの上にポトリと落とした。え、なに…?という顔をするアルトを虎は顎でしゃくる。どうやら、開けて見ろということらしい。
 アルトはカサリと音を立て、紙袋を開ける。するとそこには白い花が一輪とボールのような茶色の実が入っていた。アルトはその白い花に釘付けになる。

「こ、れは…」

 まさか、俺に?と続けそうになった言葉をアルトは無理やり飲み込んだ。花が贈られそうなシチュエーションだが、まさか自分にくれるなんて、そんなこと勘違いしてはいけない。そう思ったのに、途切れた言葉だけを訊いていた虎はあろうことか頷いて見せたのだ。アルトは胸を熱くする。まだ体調が万全ではないアルトに届けてくれた花。つまり、この目の前の虎はアルトを見舞いに来てくれたのだ。嬉しさが心の中に溢れてくる。今まで人に花を貰ったこともなければ、見舞いをされた経験もないのだ。
 ストレスで胃痛が酷くて学校行けなかった時も、お見舞いとかなかったし。
 初めての経験に、顔が緩む。けれど、そんなだらしない顔を見せていいのか分からず、弧を描きそうになる口元を下唇を噛むことで抑える。口元をもにゃもにゃしながら、アルトは礼を云わなければと思い立ち、黒虎へと向き直る。が、喜びが抑えられず照れたように笑った。

「…ありがとう、ございます」

 ほわほわと本当に嬉しそうに笑うアルトに、虎も予想以上の反応に嬉しかったのか、ペロペロとアルトの頬を舐めた。ざらざらとした舌が少し痛いが、親しくなれたようでアルトは更に嬉しかった。



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