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 アルトはそれに引き寄せられるようにして、目を覚ました。うっすらと意識が戻り、徐々に覚醒していく中で窓から差し込む淡い青の光を視界に捉えた。しかし、幻想的なその光に引き寄せられたのではなく、アルトは部屋に香る匂いに反応したのだ。

「あ、アルト様、お目覚めですね」

 良かったですと笑いかける人物は、自分をお世話してくれる係りであるタリルだ。彼はカチャカチャと食事を用意している。そう、アルトはタリルが用意する食事の匂いに起こされたのだ。
 ベッドからむくりと起き上がる。と、急にお腹が空腹を訴えた。その音にアルトは顔を赤らめ、タリルはくすりと笑う。

「お腹が減っているみたいでよかったです」

 ベッドの上にテーブルを設置して、食事を置かれる。皿は5つ程あったが、それらはいずれも少量で申し訳程度にちょこんと皿に乗っている。アルトはその皿とタリルへと視線を交互させた。その視線は、「これ、俺に?」やら「食べてもいいの?」という類のものだ。それを察したタリルは「これはアルト様のために用意したものです」と答え、さじをアルトへ渡す。アルトはそれを受け取りながら嬉しそうに礼を云うと、目の前の食事に視線を落とす。何日ぶりかの食事に心が躍る。思えば、この世界へ来てからまともな食事を食べたことがなかった。

 ずっと檻に閉じ込められていて、餓死寸前だった、し。

 腹を満たすために飲んだカンタレラのせいで瀕死になっており、それから徐々に回復してきたものの、白湯や湯薬ばかりだった。だから、アルトにとって目の前にあるものがこの世界へ来て初めての食事なのだ。アルトは半ばうきうきとした心情でちょこんと乗ったご飯を手に取る。が、白い皿に指が触れた瞬間。皿の底から水があふれ出し、乗っていた少量のご飯が流れてしまった。水は留まることを知らず、勢いは小さいが溢れ続けている。その様を見たタリルは目を見張り、アルトはサァっと顔を青褪めさせた。流れてしまったご飯を慌てて手でかき集めようとする。

「あ、あの、その、ごめん、なさいっ」

 ぁああと、テーブルの上で川になったその中からご飯を懸命に集める。しかし、小さな粒のご飯はアルトの指から逃れ、テーブルの上で踊ってしまっていた。こちらまでもが泣き出したくなるような表情をするアルトに、タリルはそっと静止させた。

「落ちついて下さい、アルト様。ちょっとお皿下げますね」

 このままだと、水浸しになってしまいますからと、タリルはアルトが生み出してしまった水の皿を下げるとすぐに配水場へとそれを持って行った。配水場に置くと戻ってきたタリルはおろおろキョロキョロと落ち着かず謝罪を繰り返すアルトを安心させるように微笑んだ。

「大丈夫ですよ、アルト様。僕がうっかり普通のお皿で持ってきてしまったのが悪いんです」
「え、あ、その、でも、タリル、君は、知らなかったん、だし、その、う…ごめんなさい」

 やっぱり自分の変な力のせいでと顔を青くするアルトに、タリルは首を横に振った。

「いえ、力のことは少しだったけど、知っていたし。アルト様、ご自分の力をそんなに責めないで下さい。その力はとても素敵なものなんですから」

 と、タリルは水浸しになったテーブルを布で拭きながら、落ちつかせるようにまた、力を否定しないように諭す。が、アルトはお皿と折角作ってもらった料理を駄目にしてしまったことを悔やんでいる。それと同時に、この先こんな力を持っていてはどうやって食事を取ればいいのかと不安に駆られている。今も真っ青な顔をして目をキョロキョロさせているのを見て、タリルはにっこりと笑ってみせた。

「安心して下さい、アルト様。アルト様のように不思議な力を持った人はこの国にもたくさんいます。それと、お皿に関しては、耐魔食器があるので大丈夫ですよ」
「…耐魔、食器?」
「はい、アルト様のように不思議な力を持った人のために作られた食器です。やっぱり、力を持つ人っていうのは食器を壊してしまうことが多いんです。なので、力に影響されないように、耐えられるようにと、耐魔食器が作られたんです。」

 アルト様のお食事も今度からは耐魔食器でお持ちしますねと云われ、アルトはその説明に「そんなものがあるんだ」と感心した後、タリルの気遣いに「ありがとう、タリル、君」と礼を述べた。少なからずホッと安堵するアルトに、タリルはふふっと笑う。

「これでアルト様のキョロキョロを一つ解消することができました」
「え、キョロキョロ…?」

 首を傾げるアルトに、タリルはいいえ、こちらの話ですと誤魔化した。キョロキョロというのは、アルトが不安や戸惑いを感じたときのもはや癖となっている眼球運動のことなのだが、当のアルトはそれに気づくはずがなく。テーブルの上の食器の水を拭い始めたタリルに深く聞けず、この国特有の何かの用語なのかもしれないと納得付けることにした。その間にタリルはテーブルを綺麗にしてから食事の乗った皿を一つ取る。

「えっと、アルト様。申し訳ないんですけど、今日は普通の食器なので、僕が食べさせて差し上げますね。明日からは耐魔食器にしますので」

 はい、あーんして下さいと、アルトはさじに掬われた食事を口元へ近づけられる。思えば、この国へやって来てから、毒を飲んで瀕死だったということもあり、食事や水は全てタリルに食べさせてもらっていた。意識があるときにも薬湯を飲ませてもらったことがあったが、申し訳なさと、恥ずかしさと自分にここまでしてくれる嬉しさにどぎまぎした。今も少しばかり恥ずかしいが、食べさせてもらうより他はない。アルトは顔を赤らめながら、消え入りそうな声で「お願い、します」と頭を下げた。

 タリルに食べさせてもらい食事を終えると、アルトは後片付けをするタリルを暫く眺めていたが、ふと窓から差し込む優しい水色の光に気づきそちらへと視線をやった。水色の光は、あの時の夜と同じ輝きを放っている。その優しい光に、アルトはふとあの夜に会った竜のことを思いだした。優しく温かい竜。今思えば、気を失ってからもずっと傍にいてくれていたかもしれない。願望が織り交ざった曖昧な記憶を辿りながら、アルトはあの竜にもう一度会いたいと瞳を閉じた。

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