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 開かれた扉の先には、円形の広間があった。アルトはその部屋へと一歩足を踏み入れる。大理石のような高価な石が敷き詰められた床に靴が鳴る。部屋の中にはまだ誰もいない。その事実にアルトは心底安堵した。恐らく竜の国の花嫁という位置づけの自分は主賓だ。だが、竜の国に対する差別が絡んで、この惨状ができあがったのだろう。けれど、もしこの部屋に神童や宰相、他の重鎮たちが勢ぞろいしていたら、アルトはどうにかならない自信はない。

 まだ、人がいなくて良かった…。

 小さく安堵の溜息を吐くアルト。その様子を視界の端に入れながら、黒虎は誰も居ない晩餐会の会場に眉間に皺を寄せる。少なからず今の現状に嫌悪を抱く黒虎だが、余裕のないアルトがそれに気づくはずもなかった。
 黒虎と自分以外がいない部屋でアルトは呼吸を整えて、漸く周囲を見渡せるほどには余裕ができた。ゆっくりとテーブルに近づいてみる。白いテーブルには食器が並べられており、それを囲むようにフォークやナイフが置かれている。鎮座する食器は赤い模様ばかりだが、アルトはその中に青い模様のものを見つけた。その青い模様が入った食器は耐魔食器の特徴だ。アルトはその食器の近くまで寄って、恐る恐る指でそれに触れてみる。何の反応も返ってこない食器を見て、タリルの気遣いが届いていることを知り、心が温かくなった。
 緊張が少しだけ解けたような気持ちで食器の模様をなぞっていると、ふいにくんっと裾が引かれる。振り返ると、黒虎が顎をしゃくって座れと訴えてきたので、アルトは「はい」と返事をした。器用に前足で椅子を引いてくれたので、礼を云って座る。黒虎はそれに頷くとしなやかな動きで一つに席に座った。その動きと数席ある椅子が一つ埋まったことにアルトは何かが弾けるような衝撃を受けた。

 そっ、か。

 失念していた。黒虎はこの国唯一の王の虎なのだ。虎の国で二番目に地位が高い位置にいる。ならば、この晩餐会へ出席するのは至極当然のことだ。自分一人で挑むような気持ちだったアルトは、心強い味方がいたことに嬉しくなった。その様子の変化で、アルトが急に嬉しげな雰囲気を醸し出したので黒虎は一体なんなのだ?と不思議に思う。小首を傾げようとすると、その動作を遮るようなバンッ!という音が部屋に響き渡った。
 けたたましく扉が開く音に黒虎が顔を歪め、アルトが驚いて目を見開くと、煌びやかな衣装を身に纏った神童の二人と宰相がそこにいた。普段身に着けている服もどこか高そうな印象があるが、今彼らが身につけているものは普段の比ではない。ジャラジャラと金の装飾を身につけ、二人とも露出が激しい。アルトは二人の衣装を見て、これがこの国の正装なのだと思ったが、一方の黒虎は嫌悪で更に顔を歪めた。今の神童の二人は所謂夜伽の服を身につけているのだ。夜伽用の衣装の特有で肩や腹部が露出しており、薄い生地で作られているため、体の大半が透けて見えてしまっている。明らかにこれから食事をしようという格好ではない。ましてや、竜の国の花嫁を招いての晩餐会で着用する服装ではない。黒虎は嫌悪の表情を露にしたまま神童の二人に挟まれて機嫌の良い宰相を見遣った。

 宰相がついていながら、この愚行を許すとは。

 黒虎は心中でそう呟いて、密かに「いや――」と否定した。これは城内の規律、規則が緩やかに紊乱し始めているからだ。そして、その理由を黒虎は知っている。わかっていた。  思量に耽る黒虎に、両手に花を抱えた宰相がテーブルの真ん中に縮こまっていたアルトを見つける。途端、あからさまに端正な顔を歪めて、卑下した視線を送る。

「…竜の国の花嫁様はもう席についていらっしゃるようですね」

 小さく、だが確実に届いた遠まわしの嫌味に、アルトは顔をさっと青くしてすぐに立ち上がろうとする。けれど、その前に黒虎が唸り、一喝される。それは、「立たずとも良い」と云っているようでアルトはほっと安堵し、浮き上がりかけていた腰を再び下ろした。
 宰相は黒虎を一睨みしてから、神童らに優しく声をかけて座るように促した。神童たちは、宰相に良い返事をしてからアルト――正しくはアルトの格好を見てこそこそと話をし、嫌な視線を遣す。それは、恐らく質素な白のワンピースのことをこき下ろしているのだ。アルトはその神童らの態度を見て、唇を噛み締めた。竜から貰った大切なものを馬鹿にされて、でも国際問題になる、また保身のために声を出すこともできない。悔しくて、腹が立って、悲しい。瞳に涙が溢れ出そうとしたとき、それを見ていた黒虎が神童の二人を唸った。その声にビクッと肩を揺らした二人はそそくさと自分の席へとつく。この国で二番目に地位が高い黒虎には、あの神童たちも何も云えないのだ。またしても助けられたアルトは黒虎を見ると、彼に「気にするな」と眼だけで云われ、コクンと頷いた。

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