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 黒虎は晩餐会の広間から退出した王を追っていた。竜の国の花嫁を招いての晩餐会。始まる前からの退出などあってはならない。先を行く王に追いつくと、黒虎は王を引きとめようと前に出た。
 グルルッと唸り、今しがた王がした行動を注意する。
 竜の国の花嫁であるアルトはこの虎の国にとって最も重要な主賓だ。けれど、残念ながら立場は弱い。だからこそ、王からの庇護が必要なのだ。もっとこの国の民の意識が違えばアルトの認識もまた違っていただろう。だが、現状はそうではない。
 何を考えていると黒虎が王を睨め付ける。が、王はその視線すら煩わしいと歩みを止めず黒虎の横をすり抜けた。
 すれ違い、廊下に響く靴音に酷く衝撃を受ける。まさかそんな行動に出るとは思わなかった。忠告にも耳を貸さないような愚行。一国の王がそんな行動に出るとは。
 一体どうしたというのだ。
 以前、昔はこうではなかった。小さいことにも耳を傾けるだけの謙虚な姿勢があった。
 黒虎は、振り返って己の主を見る。凛々しい背中は以前と変わらない。それ故に、変わってしまったことが悲しい。
 何がお前をそこまで変えてしまったのだ。
 唯一の従者の言葉にも耳を貸さなくなってしまった王に、黒虎はただ背中を見つめるしか出来なかった。 

 王を引き止めることができなかった黒虎は、残してきてしまっていたアルトを思い出し広間へと戻った。
 国の重鎮であるパスクァーレや神童たちの差別意識は強く、アルトを卑下している。何もないといいがと広間の扉を開くと、目の前に飛び込んできた光景に目を見開いた。
 テーブルの上や床は食器が散っており、その中に水が出る食器が転がっている。宰相や神童は皆立ち上がり、ラウラの座っていた椅子は後ろへと倒れていた。それだけならまだいいが、何より驚いたのは主賓であるアルトがスープを頭から被っていたことだ。
 すぐにアルトの前に出ると、予想外の人物が空のスープ皿を持っていた。衝動的に動きそうなラウラではなく、あのセルマが皿を持って肩で息をし「お前なんかがッ!」と喚いている。
 何事だと黒虎が唸ると、冷静に端で見ていた宰相のパスクァーレが口を開いた。

「…驚いただけですよ」

 やけに冷静な口調で宰相が続ける。

「まさか食器から水が出るとは思わないですからね。それに驚いたセルマが手を滑らせて、結果花嫁にスープがかかってしまったわけです。セルマに悪気はありません。むしろ…何か起こりうる可能性を持っているなら、それを進言しなかった花嫁に問題があるのでは?」

 宰相の言葉にアルトはスープまみれになりながら、ただ無言で目を見開かせている。その表情で宰相が真実を話していないことがわかった。主賓であるアルトに対してこれは非礼に当たる。神童の行いは重罪だ。それがどんな形でもだ。それくらいアルトはこの国にとって、とても重要な人物であり高位な存在なのだ。それなのに、それを知っているはずの宰相がセルマを庇い、アルトに更なる攻撃をしている。
 黒虎が眉間に皺を寄せ、思わずグルルッと唸れば、宰相は肩を竦めた。

「花嫁もお召し物にスープがかかってしまったことで懲りたでしょう。今回は不問として差し上げます」

 さぁ、セルマ行きますよと優しくセルマの肩を抱いて広間を後にする。それを追うようにラウラも広間を後にした。
 残された黒虎は、スープを頭からかけられたアルトを気遣い、テーブルの上にあったナプキンを差し出す。宰相の発せられる言葉に次第に青い顔をし、ただ唇を噛んで耐えていたアルトは、ぎこちなく笑った顔を作って黒虎に礼を云った。
 あまりにも悲惨な状況に取り合えずで差し出した布。全身にスープをかけられて、小さなナプキン一枚で足りるはずがない。せめて顔だけでも拭ってくれと渡したが、アルトは頭や顔を拭うより先に己の服の汚れを拭った。それを見て、黒虎はこの服が竜の国の王からの贈り物なのだと気づいた。
 大切な贈り物の汚れを一生懸命拭うアルトに黒虎は何とも云えない気持ちになる。胸が痛くなるほどの感情が押し寄せ、黒虎はただ頭を垂れた。

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