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俺だってこの世界に自分の居場所がないなんて、わかっていたよ。この世界で生まれて物心ついた時から常に違和感がついてまわったんだから。周りだって、俺の目のことだけではなくて、俺が自分たちの世界とは違う異物の存在だって感じていたと思う。そんなこと、俺だってわかってた。わかってたさ!でも、どうすることもできないじゃないか。俺はきっと世界を間違った。それでも、自分の居場所がないにしろ、この世界で生まれてしまって、育ってしまったんだから。
俺という異をないものにしたい、無くしてしまいたいのはわかる。俺だけがきっと違うのだから。でも、だからって。
「死ねぇえええええええええええ!」
カッターナイフが俺に向かってくる。俺は変な汗を出しながら美術室の床を転がった。背中をぶつけて痛い。でも、痛みなんて感じている余裕はなかった。再びやってくるカッターの刃を避けなければ、俺は確実に死ぬ。
「何でまだここにいるの?僕があれだけ話してあげたのに」
カッターを弄びながら俺に話しかけてくる彼。彼は変わり者と有名で、クラスの中でも浮いた存在だった。彼は常に一人だった。そして、俺も生まれて友達なんてできたことなんてなかったから、一人だった。だから、何となく移動教室の時に一緒に行動していた。彼は一方的にわけのわからないオカルトじみた話をする。俺はただ行動を共にする。それだけだった。でも、俺はただそれだけでも、嬉しかった。だって、人の傍にいてみたかったから。
俺は、じっと前を見た。彼、山田は苛立ちながらカッターをぐっと握った。
「だからー、僕は君にここから消えろって言ったよね」
山田が床を蹴ってこちらにやってくる。
きっと山田も、俺が間違ってこの世界にいることに気づいているのだ。否、この世界の誰もが俺の存在を異と分かっている。でも、だからって、こんな殺そうとしなくてもいいじゃないか。
「死ねよッ!」
山田が叫ぶ。俺は振り回されるカッターから逃れようと必死に逃げる。けれど、でたらめに振り回す山田の攻撃を避け切れなかった。左腕が熱くなった。じくじくと痛み始める。俺が左腕を押さえると、その間に山田が蹴ってきた。体勢が悪くて俺は机を倒しながら派手に転がる。机の上に乗っていた筆立てが倒れて筆やらペンやらが俺の頭に落ちてきた。また背中をぶつけた。痛い。
どうしてこんな目に合わなければならないんだ。俺がきっと世界を間違えたから?それでも、こんな風に山田に殺されなければならないことにはならないはずだ。だから、俺は山田を睨みつけた。青とも緑ともいえない目に山田があからさまに顔をしかめる。
「うわっ、気持ち悪いッ!人と違う目とか気持ち悪ッ、死ねよッ!死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね、死ねッ!」
きっと俺は世界を間違えた。目も人とはちょっと違う。でも、こんな云われ方されなきゃならないなんて、違うだろう。世界を間違えたのもどうしようもないじゃないか。目が他と違うのも、どうしようもないじゃないか。
俺は怒って、悲しくなった。俺の周りにはペンと鉛筆と筆、そして山田とは違う刃が黒いカッターが落ちていた。俺は徐にその黒いカッターを掴んだ。
山田に殺されるくらいなら俺が殺してやるとかそういう安易な殺意じゃない。ただ、そこに武器があったから掴んだだけ。
「何?そんなものまで持ち出して。そこまでして、偽物の世界にいたいわけ?」
カチカチカチ。カチカチカチ。
山田がカッターの刃を出し入れする。今の山田は怖い。怖くて仕方がない。俺はそんな山田の仕草まで何を考えているのかわからなくて怖かった。カッターを持った手が震える。山田は笑いながらゆっくりとカッターの刃を出し入れしながら近づいてくる。
カチカチカチという音がやけに耳に響く。俺は、震えた手でカッターを構えた。その様を見て山田は笑う。
「アハハハハハハッ、アハハハ、アハハハハハハ、ハハハ、アハハハハハハハ、ハハハッ!」
何がおかしいっていうんだ。もう、怖い。もうこんな世界、辞めたい。
ガタガタと震える俺に、一頻り笑った山田がふうと息を吐いた。
「――刃、出てないよ?」
つまらなそうにそう云った山田はもう目の前まで迫っていた。ガンッと肩を蹴られて、後ろに転がる。後ろにあった机にぶつかって俺は床に倒されてしまった。思わず瞑ってしまった目を開くと、至近距離に山田がいた。
「ひぃッ」
息を吸うのと同時に変な叫び声が漏れた。山田は倒れた俺に跨る。重いとか軽いとかそんなものは感じなかった。ただ恐怖そのものが俺の目の前にいるということしか認識できない。
山田が笑う。
「世界が違う。なら、僕がそれを修正してあげるよ」
カッターを持った山田の腕が大きく振り上げられる。
俺はきっと世界を間違えた。目も人とはちょっと違う。この世界では、影口だって叩かれた。精神的攻撃が酷くて胃が食べ物を受け付けなくてよく吐いた。空っぽのお腹が痛んで眠れなくてベッドを転げまわったこともある。けれど、それでも耐えてきた。この世界に生まれてしまった俺は、この世界にいるしかないから。でも、でも…。
殺される恐怖に目じりから涙が零れた。瞳に、山田の持っているカッターの刃が映る。
でも、でも…。
こんな殺されなきゃならないのは違うだろう。影口叩かれるこの世界は嫌だ。精神的攻撃してくるこんな世界なんて嫌いだ。俺だって、俺だって、自分の居場所がある世界に行けるなら行きたいっ。俺は…ッ。
カッターが振り下ろされる。
――この世界、辞めたいッ!
近づいてくるカッターの刃。それを最後に瞳に映し、志羅 或人(シラ アルト)は、姿を消した。
突然姿を消され、残った山田は一人笑う。ぷらぷらとカッターを振り回し、カチカチカチと、カッターの刃を出し入れしながら。
「世界が違うのなら、自分の本当の世界に行けばいい」
先程までそこにいた存在へ向けて山田は呟く。
違和感を押し込み、意味の無い苦行をしてまで、偽物の世界にいる必要はない。
「君だってそう思うだろう?」
山田は誰も居ない空間に向かって問いかける。
「今いる世界が違うなら、自分の本当の世界へ行けばいい」
山田は続ける。
「キーワードは“この世界辞めたい”だ」
そうすれば、今の世界を辞めて本当の世界へ行ける。
君の今の世界に、君の居場所はある?
合わないと思うことや、精神的、身体的苦痛は受けてない?
そこが君の本当の世界なの?
もし違うと気づいて、本当の世界に行きたいと思ったらキーワードを口にすればいい。本当の世界へ行きたいと強く思いながらね。
「それが駄目なら、僕がこのカッターで君の本当の世界を切り開いてあげるよ」
ちょっと痛いかもしれないけれど。
山田はそう笑って、愉しげにカッターの刃を出し入れした。
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