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目が覚めて見えたのは、白い鉄格子の向こうに広がる雲と、白い光だった。

 監禁5日目。

 アルトは、丸い檻の中で微動だにしなかった。白い檻の中、寝床にしている平らな白い石の上で横になっている。

 あの日、前の世界の美術室で山田に殺されかけて、こちらの世界に来た時から、俺は何も口にしていなかった。元々食が細い方ではあったが、流石に五日も飲み食いしなければ腹だって減るし、喉も渇く。けれど、この檻の中に食べ物はない。白い檻からは出ることはできないし、ましてや人の居ない空間で俺に食料をくれる人などもいない。だから、俺は飢え死にしないように、極力体力を減らさないように寝て過ごした。

 カサついた唇を舐めながらアルトはもう何回云ったかわからない言葉を繰り返す。

 一体いつまで俺はここにいればいいのだろう。

 このままでは確実に俺は餓死してしまう。せめて檻の中に何かないかと見回したけれど、丸い檻の中、あるのは平らな石の寝床となるスペースとその横に置いてある小さな机。そして、その上に置かれたボールのような皿。大よそ食料となるものはない。檻から手を伸ばしても雲を掴むことはできない。白い光もまた、何か得られるものではなかった。

 皿を怪しく思って何か出ないかと二日間格闘した。けれど、得られたものは皿は皿でしかないということのみで、空腹をどうにかできるものではなかった。

 せめて水があればいいのに。無い物を欲しがりながらアルトは、時折やってくる意識喪失にそのまま身を任せる。

 意識を失うのはきっと食べ物を口にしていないからだ。

 お腹がすいた。喉がカラカラだ。

 このまま気を失って目が覚めなかったら、きっと死ぬのだろう。けれど、泣く体力もない。悲しむ感情も心の根元にはあるのに、それを表す気力がない。

 アルトは遠くなる意識に、目を閉じた。



 自分の体に意識が戻る感覚がして、アルトはうっすらと目を開いた。死ぬかもしれないと思っていたアルトは、奇跡的にも目を覚ますことができたようだ。

 死んでいなかったことにホッとしつつ、アルトは空を見た。この世界でも夜は存在するらしく。昼間にはあった白い光がいつの間にか水色の優しい光を放っている。星もちょこちょこある。それ以外は真っ暗だ。

 アルトは仰向けになったまま、意識を喪失しそうなのか、眠たいのかわからない、兎に角意識がまた飛びそうな状況で、ふと横に何かの存在があることに気づいた。目が覚めて今の今まで気づかないほど弱っていることを再確認しながら、そちらへと顔を向ける。

 自分の虚ろな瞳に黒い塊が映る。それは大きな怪物だった。アルトはその存在を見ながら、見たことはないが「竜かな」と認識をしてみる。竜はただこちらをじっと見ていた。

 アルトはそんな竜を眺めて、ああ俺が監禁されているのはこの竜から身を守るためかと、無い回答を勝手に作ってみる。でも、食べるにしても俺はちょっと死にかけているし、厚みもないから美味しくはないだろう。ぼんやりとした頭でそう思うと、竜は大きな翼を広げてふわりと檻の傍までやって来た。音も立てず、軽やかな動作に意識が薄い中でもやけに印象的だった。

 竜は鉄格子を挟んだすぐそこにいる。特に暴れるでもなく、竜は何を思ってか、食べられそうか吟味しているのか、ただアルトをじっと見ているだけだった。だからだろう。アルトは普通なら絶対にしない行動をした。狭い檻の鉄格子から、竜に向かって手を伸ばしたのだ。頭の片隅では、食べられちゃうかもと思ったが、手は止まらなかった。

 竜は、アルトが手を伸ばしたので、一瞬固まったがすぐにその手に顔を摺り寄せてきた。手のひらに、ふわふわしてつるつるした鱗のような温かいものが触れる。

 あ、気持ちいい。

 人ではないが、その存在にアルトは心底ほっとした。

 起き上がるだけの気力は無いが、頭を撫でるくらいはできる。人懐っこい竜は気持ちよさそうにアルトの手に擦り寄る。

 一頻り撫でると、竜は横になっているアルトの顔へそれを近づけてきた。白い鉄格子の傍に竜の顔がある。アルトはぼんやりとそれを眺めて、竜の目が自分と同じことに気づいた。

 前の世界では散々影口を叩かれた、自分のコンプレックス。

 この世界へ来た時、最初は苦しい思いばかり、今もだけど、してきた。本当にこの世界で合っているのかも確かめようがなかった。でも、今初めてこの世界に親近感が沸いた。

 アルトはふふっと笑う。すると、竜が不思議そうにこちらを見てくるので、同じ瞳だと伝えたかった。けれど、喉が渇いてまともに声を出すことができない。だから、代わりに竜の顔を撫でる。竜は撫でるアルトの手に再び擦り寄るとふいに頭を上げた。それを視線で追うと、竜は自らの尾から長めの鱗を引っこ抜いた。何をするのかとただ呆然と見ていると、竜は口から鱗を離しそれをアルトの檻に向かって投げた。鱗はふわりとアルトの体に落ちてくる。それを、何だろうと思ったのも束の間。鱗は急に白く光るとその光をアルトの体にどんどん広げていった。

 次の瞬間、アルトは白い服を着ていた。さらさらとした感触の布に、服をくれたのだと気がつく。お礼を云おうと口を開くが、ありがとうのたった五文字が口ぱくになってしまう。ハクハクと何度か繰り返したが嗄れた喉から声は出なかった。仕方なくアルトは、再び竜に向かって手を伸ばす。竜は何かを察して手に擦り寄ってくれた。

 温かく優しい竜の鱗が気持ちがいい。

 再びやって来た意識喪失の波。アルトは混濁する意識の中、ただ竜を撫で続けた。

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