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真っ赤なドレスと同じ色の巻き髪を逆立てる勢いでエティエンヌは唇を強く噛んでいた。彼女の視線の先には、水晶の中に映る竜の国の花嫁――エティエンヌの中では既に義妹となっている少年がいる。
少年なのに妹扱いとは不思議だが、彼女の認識ではうちの嫁なのだ。
水晶に映る少年は、兄が与えた白い服を身に纏い真っ青な顔をして俯いている。
どうやら晩餐会に出席しているらしいのだが、やたら嫌味ったらしい奴や品のない子どもたちに何か云われたのだろう。
エティエンヌが憤怒しているのはうちの妹をいじめてんじゃないわよ!というものだった。
彼女が水晶を覗けば顔を青くしてばかりの少年が映るのだ。心配や怒りを覚えるのは当然のことだ。
「どうして虎の王は何もしないのよッ!」
思わず声を荒げると、部屋の扉が開かれる。入ってきたのはここのところ頻繁に顔を見せる実兄だった。
エティエンヌの兄、ジャレット・イーグ・ワイバーンは竜の国の王である。彼は異世界からやってきた嫁が現れてからというもの、頻繁に水晶を覗きに来ていた。何事にも興味が薄い彼が少年にだけは興味を示したことをエティエンヌは知っている。そして、彼が出向く必要のない政務をこの部屋でしていることも。
声を荒げていたエティエンヌにジャレットは何も云うことなく、その理由であろう水晶の中へと視線を向ける。そして、そこに映し出された少年の姿に、目を細めた。エティエンヌも視線を戻すとそこにはスープを引っ被った少年がいた。
声にもならない怒りの叫びを上げ立ち上がると、エティエンヌは兄へ冷めた声をかける。
「もう、我慢できませんわ…」
真っ赤な巻き髪が次第に炎へ変化していく様を見せながらエティエンヌは怒りを露にする。
今にも飛び出して行きそうなエティエンヌにジャレットはただ黙って制止をかける。メラメラと髪と炎が同化しているのをよそに、竜の王は水晶へ視線を注ぐ。
エティエンヌはいまだ怒りを露にしていたが、髪の形状を元に戻し徐々に怒りを治め始める。その間にもジャレットの興味は水晶の中の少年にあった。
まだ怒りが残るエティエンヌが音を立てて椅子に腰掛けると、暫くしないうちにジャレットが席を立った。
「どうしたんです?」
エティエンヌの問いかけに答えず、ジャレットは真実の部屋を後にした。
一心に水晶の中の少年を見ているかと思っていたのだが、その目は何かしらを考えるようでもあった。
水晶は未だ憂い顔の少年を映したままだった。
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医者の言葉が胸に刺さったまま、アルトは変化した日常を懸命に生きていた。
神童に追いかけられ、食事の機会を逃すことも少なくない。
タリルは助けてくれるが、医者の言葉や差別問題が頭の中を回って神経が擦り切れていく。それでもアルトはさりげない助けを受け取りながら、捕まることのないように必死で逃げた。
蹴躓いても差し出される手もなく、アルトの状況と光景が少しずつ常習化していく。今は敵国の花嫁を助ける手があっても、常習化し虎の国の人にとって風景の一部となってしまったらその手すらなくなってしまうだろう。そんな恐怖に駆られながら、アルトはタリルの助けで外へと逃げ出した。
神童たちが追いかけてくる道を避けながら遠くへ向かう。追いかけ回されながら覚えた道を行きながらできるだけ城から離れると林のような場所へ入ってしまった。深い森ではなく、アルトは無心で奥へと進む。もしかしたら、無意識に遠くへ行きたかったのかもしれない。ガサガサと枝を揺らしながら先へ進むと急に視界が開ける。そして、アルトは目を大きく見開いた。
赤く艶やかな鱗、呼吸を繰り返す大きな巨体。そして色は違うが自分と同じような瞳。
そこにいたのは、虎の国唯一の竜だった。
赤い竜はアルトを見つけると僅かに目を見開いた。そして、アルトを認識すると一歩下がり頭を垂れた。礼儀正しく礼をする竜。それは、本来高貴な存在である竜の花嫁に対する敬いだ。
恭しく丁寧に礼をする竜に、慣れないことにアルトはどうすればいいかわからず慌てるように頭を下げた。
それから、そろそろと頭を上げると竜も遅れて頭を上げる。
アルトの瞳に竜が映る。目の前にいるのだ。それだけで、アルトは酷く心が安堵した。さほど遠くない過去だが、夢か幻かと思ってしまうような黒い竜との出会い。それは、今の日常が悲惨で心の安寧が少ないからだろう。
アルトは無意識に手を伸ばす。鱗に触れる。あの時の感触とは違うが、温かい。
こうして虎の国唯一の竜と会えたことで、アルトはあの時の黒い竜と繋がっている気がした。目の前にいる赤い竜には悪いけれど。
それでも、何かしら繋がりが欲しかった。
差別を受ける境遇で、心が優しさや温かさを求めているからだろう。
どこか寂しそうな顔を見せる竜の国の花嫁に、赤い竜は目を細めるだけで沈黙を守った。
鳴くこともなく、唸ることもなくただアルトを待っていた竜は、いくらか心を落ち着けたところでふわりとその巨体を浮かべた。目の前で静かに風が舞うと、触れている温もりが離れていく。アルトはそれをどこかぼんやりと眺めていた。
赤い竜がいなくなってほんの少ししてからはっと気づくと、再び静かな風と共に赤い竜が目の前に現われた。
赤い竜は、口にかごを咥えておりそれをアルトへ差し出す。
アルトはそれを手の中へ受け取ると、慌てて頭を下げお礼を述べた。赤い竜はそれより早く中をと促すので、アルトはかごの中の布を取り去る。
「…あ」
かごに入っていたのは、食べ物だった。パンにチーズ、そしてりんご。
「え、と…俺に、です、か?」
案に食べていいのかと尋ねると、赤い竜は二度ほど頷いてみせた。
赤い竜の優しさにじわりと胸が温かくなる。目頭が熱くなって、でも泣いてはいけない気がして唇を噛み締める。目に涙をいっぱい溜めてようやくアルトは笑みを見せたのだった。
赤い竜がくれたパンとチーズとりんごはアルトの腹だけでなく、心も満たしてくれた。
赤い竜がアルトの今の状況を知っているか否かはわからない。ただ、赤い竜の目にアルトが痩せて映っていたのは確かだった。
そんなことを知らないアルトはその後、丁寧にお礼をして来賓室へと戻ってきた。
部屋は誰も居らず、タリルさえもいなくて寂しさを覚える。
仕方なしに、アルトはチェスト上の虎の種の鉢へと視線をやった。
日々の逃走はとても大変だが、アルトは毎日水をやることを欠かさなかった。部屋へ居られる時にはいつでも水をやっていた。
鉢の中を覗くと平らな土があるだけで、何の変化もない。
前の世界では植物にでさえ避けられていた気がする。
アルトは排水場に置いてある器の水を掬って水遣りをした。
今日は赤い竜に会えた。あの時の竜のように優しかった。竜はみんな優しいのかな。まだ二体しか会ってないけど。
「早く芽が出ないかな…」
水をやりながらアルトは呟く。
水に濡れた土はただ色を濃くするだけで、何の変化もない。
虎が生まれるという種、アルトは早く会ってみたいなと心の中で思った。
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